たぶん、日記
このページの概要
☆
本ページは、映画をみたときの感想として、もっとも頻繁に使う言葉が、「つらかったです。」である、という、なぜ映画をみているのかが自分でもよく分からない、私(ogalin)による、アニメ、音楽などの感想日記です。別に、辛口とか批評性とかを意図して「つらい」「つらい」と書いているわけではなく、普通にみての感想が「つらい」、ということなので、映画をみることが大してつらくない、という読者のかたは、
「つらくありませんでした。」→「素晴らしいです!」、「つらかったです。でも、現代的なのでしょうか…」→「普通。」、「あまりにも、つら過ぎます。」→「つまりません。」
と、読み替えていただけますと、だいたいチューニングが合うのではないでしょうか、と、ogalinは考えています。
2003年5月の日記
5月1日〜5月31日
2003.05.30
「ウォレスとグルミットのおすすめ生活」
DVDが出ていたので、観る。
しょうもないもの発明家のウォレスが起こした問題を知性派犬のグルミットが解決する、という展開の英国産粘土アニメだが、今まで3作が30分だったのが、今回のは2分×10の短編集。メイキングによると映画への肩慣らし的なものらしい。スタッフもちょっと変わってる。
しゃべらないグルミットの(「しょうもないご主人様だなぁ」、な)ジト目がなんとも魅力的なのはいつも通り。
ジト目な部分を台詞でも(アメリカ人向けに?)説明してしまっていた映画「チキン・ラン」が、イマイチな印象だったので、不安だったが安心しました。
今回は発明の暴走度が増している(グルミットは結構酷い目に遭っている)のに、自慢げなウォレスの勘違いぶりがアップしており、それは勿論、テクノロジーの発展に警鐘を鳴らしている、とかではなく、悪意ギャグ。英国といえばブラックユーモアです。
主役たるグルミットがしゃべらないという点では無声映画なことと、短編な点、そして破壊的である点で、チェコの短編アニメ「パットとマット」に近い印象を受けた。
「パットとマット」の、あの、目の前の問題を解決するために破壊がエスカレートしていく痛快さはないのだが。
最新号「ドリマガ」で
GBA版クレイジータクシー
の輸入版が紹介されていたけれども、
音楽に「ヤァーヤァーヤァーヤァーヤァ!」というかOFFSPRINGの「ALL I WANT」使ってたら面白いなと思い、「メッセサンオー」カオス館に行ってみた。のだが、売り切れ。
結構問い合わせあったので入荷予定だが、時期不明とのこと。
せっかくだから、日本未発売のGBAソフト
「SEGA ARCADE GALLERY」
を買う。AFTER BURNER,SPACE HARRIER,OUT RUN,SUPER HANG ONの4本入り。古いゲームなので再現度はまぁまぁなのじゃないかなぁ。
難易度設定がないので、下手なわたしだと、あまり進めそうにないのだけれど、OUT RUNが携帯機でちょっとやるにはいい感じ。
2003.05.28
このhpがあまりにごちゃついているので、
川名和子著「オールカラーで楽しく学ぶはじめて作るホームページ」(技術評論社刊)
という本を買ってみました。
インターネットのどこかには、この本に書いてあるようなことがただで読める場所はきっとある、と思うので、今までこの種の本は買わなかったのだけれど。紙の閲覧性という長所もあるし。なにより、泥縄式は時間がかかる。本HP、だいぶすっきりしたと思う。
先日のSFM感想
に追記。小川隆氏のエッセイ
「イラク戦争とSF作家たち」
が面白かった。戦争自体には興味がないわたしでも、こういう記事を読むと、アメリカSF界がアメリカの一部であるという、当たり前といえば当たり前のことを再確認。SF的には国家とか宗教ってのは単なる欺瞞であって、宇宙開発とか宇宙人と戦うためにさっさとそれらを捨てて、人類は皆手を繋いで地球連邦を創設してる筈だったのだが。
んなこと人類進化以上にありえねー!と、妨害者がいないとしても、アクシデントがなくても、んなことありえねー!と叫んだB・スターリングの「ネットの中の島々」は、今でも、わたしの中で最高のSFであり、「最後のSF」でもあります。面白くないけどね。
第3者的反戦思想臭にへきへきしたけれども「ミュージックマガジン」の戦争特集を読んだときも思ったなぁ。アメリカ輸入文化はこの十年以上に「普遍でないアメリカ」の影響が強くなる予感を。
2003.05.27
2ちゃんねる公式情報誌
「2ちゃんねるぷらすVol.2」
を読む。
うーん。この種のインターネット系ジャンクカルチャー雑誌for暇潰し、を買ったり読んだりするくらいなら「2ちゃんねる」してればいいのであって、予測を覆すものがあるかな、と思って買ったが、まぁ、間違いだった。
井上トシユキの「2ちゃんねる宣言」みたく、送り手に単なる暇潰し以上のものを提供する(少なくとも、しようとする意志が見える)ものなら別だけれど。「2ちゃんねる」は、新しく素晴らしい人間の精神のありようだ、と正面から語る「2ちゃんねる宣言」には、ちょっと感動しました。
「2ちゃんねるぷらすVol.2」の中では、SFネタの多い(のはパブリックイメージに配慮してなのか、ななこ出てくるし)吾妻ひでおの1ページ漫画と、引きこもり特集でのカットby桜玉吉はファンとしては嬉しかったが。とはいえ、680円なら目くじらたてることもないか。
「SFマガジン」7月号
特集
「ぼくたちのリアル・フィクション」
を読む。
要はライトノベル(+ライトノベル的他メディアであるところのビジュアルノベルとか)特集。今度文庫で出る、冲方丁の「マルドゥック・スクランブル」のプレ・ストーリイとかあって、タイアップ企画的なものか。
「ペロー・ザ・キャット全仕事」で個人的には神林長平以来の才能では?と思った吉川良太郎が、軟弱青年を主人公に、改造人間と美少女が闊歩する架空パリもの、っという、まんま「ペロー…」風の話を書いている。枚数からすると無茶なくらいの小ネタの詰め込みようと、回想の中でさらに回想する禁じ手な構成とか、やりたい放題だ。
(そもそも嘘過去世界という、現実に繋がらず、且つその理由も説明しない、というご都合主義の極みである)スチームパンクの一番の長所、といえば何といっても「アヌビスの門」的「何でもあり」感であるが、それがいっぱいだ。それでもって、この人の小説は、文章に造語を使いまくる人とは思えないくらい読みやすく、絵が浮かんでくる(ベタなアニメっぽい設定だけれど)んで、非常に面白かった。
他に4作。設定は悪くないが、小説として魅力がない印象。SFマガジンだから無理してるのかもしれないけれど。
巻末にメディア別次世代フィクションガイド70(次世代は作者が30前半までを指すとの記載あり)として、お薦めライトノベルとゲーム等のリストが掲載。正直わたしも、最近はライトノベルや新本格をしっかり追っていなかったので、SFマガジン読むようなロートルSFファンに最前線を教えてくれてありがたい、と言っておきます。
「ジョン・クロウリーの『エンジン・サマー』に通じる、物語が還る場所についての物語、といえる」のかぁ。「エンジン・サマー」、激ナイーブな話だった記憶しかないけれど。
やってみようか、「AIR」。
あと、本題には関係ないのだが、タイトルに個人的NGワードがあった。ぼく「たち」って誰のこと?勿論ここでは「SFマガジン読者」に対して、「次世代」という他者を指しているのだけれど。今回は別だけれども、誰を指してるのか隠すような形で「ぼくら」とか「みんな」とか使うのって、安易な共同体取り込み型反論封じなのか、あるいは、安易に見せかけた悪意かが感じられて嫌。一人称「ウチら」の女子高生じゃないんだし、言葉の送り手たるべき者が使うべきでないというか、使うと、わたしの中の信頼度がマイナス1されるのだった。
2003.05.23
「たけしの誰でもピカソ」で、ルイヴィトンと村上隆のコラボレーション、という売りの
細田守の新作アニメ
を観る。
隆自体も「コンセプト(=元ネタという意味なのだろう)はデジモン、、」と、コメントしていた(オタクネタを芸術と言って売りさばくだけの、俺が!俺が!野郎に決まってると、思いこんでたんだけれど、いい奴じゃん、って細田守リスペクトしただけで好評価かよ>わたし)通り、まんま、細田守自身によるSFアニメの名作「劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」の短縮版。白地の電脳世界シーンとか、現実世界とのリンクでメールのウィンドウが開くとことか。5分という短い尺で、美少女が出て気持ちよくぎゅんぎゅん動けばそれだけで、わたしはOKです。
番組自体はアニメ部分しか、観てないので、コメントはこれだけ。
20030307の本hpで
「true romance」
に触れているが、田村ゆかりの新譜シングルCD2枚聴く(マキシという分類概念、滅びたね)。
田村ゆかり名義の
「lovely magic」
と、蘭花(a.k.a田村ゆかり、ただし、役の声で歌ってるというわけではない)、ミルフィーユ(a.k.a新谷良子)、でじこ(a.k.a真田アサミ)名義での
「ミラクル★テレパシー」
。
両方とも、打ち込みバックに女の子が歌う曲ではあるのだけれど、ポリシックスのカヨVocal曲っぽいアッパーなテクノ歌謡風味の「ミラクル★テレパシー」のほうが、好み。というか、わたしがこの種の音楽に求めているところの基本形がその辺だったり。
「lovely magic」収録の恋歌姫みたいなバラードは、生音系でやって欲しいなぁ。
あと、「lovely magic」をTSUTAYAでは声優コーナーにはなくて、ちょっとあせった。JPOPのコーナーにあったのだが。分かり易く声優に置いて下さい。
シングルCDにユーザーアンケートはがきが付いているのは、ちょっとめずらしいと思うけれど、コナミがゲーム屋だからということもあるのだろうか。
2003.05.20
BS朝日の
「ベストヒットUSA」
観る。
最近は「堀江由衣の天使のたまご」再放送と「井上喜久子のキャラメルタウン」観るためのBSQR専用マシンだったからな、BSチューナ。
最初の「テレ朝版セットのようなCGにしております。」なテロップと、1曲目からビリー・ジョエルの80年代作「アレンタウン」なありさまに、危惧したとおりの懐メロ中心番組。
一応今週チャートは紹介するものの、1位のR・ケリーもエミネムも1コーラスでフェイドアウト。そのくせ、シカゴやシンディ・ローパーはたっぷり流すという偏向ぶり。
そりゃあ、BSチューナ持ちのメイン世代は小金持ち30代以降だろうし、80年代洋楽回顧コンピレーションも流行ってるんだ。懐メロメインにするのは(邦楽番組だって、徳光さんの日テレでのあれが視聴率トップなわけだし。)クレバーな選択なんだろう、と頭では理解してます。
けれど、わたしの「洋楽」の師の一つ(他には、ラジオ日本の「全米トップ40」と「全英トップ20」とか、いろいろ)であった、この番組には、最新洋楽の「紹介」(という、かつての「ベストヒットUSA」が持ってた「機能」)にこそ、こだわってほしかった。今時のチキチキ変調子ラップにはやっぱりなじめない、わたしとしては、そういう方にもお薦めの最新「洋楽」を紹介しててくれる番組であって欲しかった。
もちろん、そんな音楽なんてない、のかもしれないけれど。
チャート以外の最近の曲として、ホール&オーツのインタビューのバックで彼らの新譜をかけてくれたのがスタッフの良心と思いたい。
小林克也氏は往年の元気な感じだったのは良かったけれど、多分、もう観ないと思う。
2003.05.19
僕エヴァがやりたいという気持、以外何も伝わらなかったTV版、を元にしていたとは到底信じられないくらいに、ストーリーやキャラクターが明確に伝わってくる名作アニメ映画
「ラーゼフォン多元変奏曲」
。
この作品はおそらく、今後「再編集」「再構成」イコール焼き直しで儲ける、とはかぎらないんだ、という証として多用されるに違いない。
そのくらい映画に感動したのと、映画予告編でサビを聴いたときはいまいちな印象であったが、映画のエンディングで全長版聴いたら、いいじゃん、と思った坂本真綾の主題歌が聴きたくてサントラを買う。
聴いた感想は、というと、...うーん。
全編の橋本一子のピアノ曲は、わたしのようなクラシック門外漢が聴いても、クラシック既視感が。
真綾曲は、もうすぐ出るベスト版で入手すれば良かったか。まぁ、映画へのご祝儀みたいなものであるからこれはこれで良し。
CD買いに行ったついでに他のCDも買おうかと、bmr誌やCD屋ポップでslyみたいな曲と連呼されてるMacyGreyと、和製slyなスガシカオを視聴したら、本家sly&fammilystone聴きたくなり、結局何も買わずに帰って、家のCD棚ひっくり返して、
Heard ya missed me,well I'm back
を聴く。変速リズムでメロディアス。slyはいいなぁ。
探したところslyの74,75年作が未聴らしい(どこかにあるのかもしれないが、CD整理してないので。4百枚程度なんですが、わたしのもってるCDなんて。ハードディスク内の検索で済むmp3はやっぱ便利です)ことに気付く。買いに行かねば。
2003.05.16
「ヤング・スーパーマン」
第3話後編まで視聴。
「怒りの炎」でのレックスルーサーの若旦那っぷりが可愛くて萌え(「萌」は、ずるいぐらいに何にでも使えてしまう言葉なので、後で個人的定義を入れる予定。今回は「面白い」と同義でいいや)。
「ヤング・スーパーマン」という作品自体は、「スクリーム」「パラサイト」といったケヴィン・ウィリアムスン脚本の映画でおなじみ、
運動選手〉優等生〉ゴス〉オタク
のアメリカ高校ものにおける身分制度の歪みが具現化した怪物たちと、ただでさえバットマンらに較べていい子ちゃんなスーパーマンの、しかも少年時代という、素直さの化身とが、戦う、という話が3話続き、あまりにもワンパターンなのでは?という気もしてきてるのだけれど。
本筋とちょっと離れたところでのレックス・ルーサーの話がせつないのだ。
巨大企業複合体である父親のリストラ方針に対して、若者のピュアネスで反抗〉失敗〉挫折〉ぐれる〉素直少年を観て、初期のピュアネスを思い出す〉再トライ〉小成功。という展開。
作品の中では、ルーサー話はスーパーマンのほうの親子対立と対比してちょこちょこっと、描かれるだけで本筋ではないんだけれど。
何が泣けるかっていうと、若旦那は、後に、
ジーン・ハックマンに。
スーパーマンの宿敵になるのだということ、つまり破滅がこの先にあって、今の若旦那ピュアネスは失われてしまうのだ。
そう(作品の中では「未来」が直接描かれている訳ではないのだけれど)知りつつ、視聴者は観るわけなのが、何とも、せつない。
いってみれば、あと3か月の命なのに、けなげに生きる難病少女みたいなもの。
決してあり得ないと、回りには解ってるのに「早く元気になって、バイクの後ろに乗りたい」とか言って。
最期は「海が見たいの」的展開が、きっと。
スキンヘッドの若旦那にも。
2003.05.14
「本の雑誌」6月号、
特集=われらSF者宣言!
を読む。
SFオタ自虐ネタ。腹が立つってわけじゃないけれど、大森望さんのような業界人として功なり名を遂げた偉い人が自虐ネタいうのは嫌みっぽくないですか。
わたしが卑屈なだけですか。
SFオタ自虐ネタって、要は、水玉蛍之丞がSFマガジンで連載していた「SFから10000光年」(これは好きだった、連載再開希望)と似たような題材なのだけれど、水玉蛍之丞の痛いネタには、必然性があった。センス・オブ・ワンダー至上主義批判みたいな、いってみれば「考えさせる」内容を、自虐ネタというオブラートにくるむ、という。
本特集は、ネタであって、たんなるアニメオタク中傷ネタのTV番組と同じ。
「本の雑誌」のSF読まない読者(泣ける時代小説とか、熱い犯罪小説を読む人たちが結構いるはず。わたしだって時代小説読まないし。)に対して、何か申し訳ない気分。
用語解説こそ入ってるものの、SFオタ以外に向けてないことは、その注自体の内輪ウケっぽいノリから明白だし。
嫌だな、と思うのは、こういうオタいじりネタが「売れるから」やってるのかも、という気になったこと。
わたしが毎号買ってるわけじゃないのに本号は買ったからなおさら、不安になってるんだけれど。
「SPA!」に時折載る、「あなたは取り残されてる」、といわんばかりのコンプレックス煽るタイプの特集記事のように。
SFマガジンの連載を体調不良で休載してる水玉蛍之丞が2ページあり、元気だったのを確認できたのは良かったけれど。(ならSFマガジン休載の事情が体調不良というのは口実で、別な理由があるのかな?)
肯定的なことが書きたいので、話は変わる。
紫堂恭子
「東カール・シープホーン村(上)(下)」
読む。傑作。異世界ファンタジーでなければ成立しない物語でありながら、現実世界においても通じる人の心の問題を問いかける、という。
異世界と言う設定をあえて使う意義が気になってしまうSFオタ的視点から抜けきれないわたしには、理想のような作品。
宮部みゆきの「ブレイブ・ストーリー」では、現代編の面白さ>異世界編の面白さになってしまったのが今一、その理由は精神世界の象徴があからさまだと、ありがち感が漂うから、と20030319付けで本hpに書いたけれど。(映画「猫の恩返し」もそんなとこが鼻についた)。本作は、分量のせいもあるけれど、そういう問題が何故か回避できている。
もう一つ、この種の作品が得てして説教臭くなるという問題を、「エイリアン通り」頃の白泉社黄金期の少女漫画みたいなシャープなのにどこか暖かみのある絵柄のおかげで、だいぶ緩和しているのが強みか。
2003.05.12
アニメージュ誌の
第25回アニメグランプリ
での(わたしにはどこを面白がればいいのか分からない)ガンダムSEEDが各部門制覇。
世代が変わったのかぁ、という気がしきりと。深夜アニメ勢ほぼ全滅だし。
「ファーストに較べたらSEEDなんて」みたく言えるほど、素晴らしかったとは思ってない、というか最初のガンダムの詳細なんて、よく覚えていないんだけれど。(SEED見始めたころは、わたしも「これはファーストで言うXXだね」みたいなこと考えてたけれど、それも流石に飽きたし、っていうかそういうことに制作者側が全く頓着していないんだなって確信が今となっては、あるし)
ただ、ターンAやXでも見所、あるいはツッコミ所はあった気がしてたんだけれど、SEEDはそういうところが「何もない」感がすごくする。
特に、最近、(一方その頃的)世界設定の説明も、主人公の「すごい有能だがいい奴」な描写も、なくなってきて、目的もないまま純粋戦ってるだけな展開で、全く、わたしに引っ掛かるものがなくなってる。(なぜ見続けてるんだろうね、わたしは)
ジャンルはゲームだけれど、SEEDが支持されてる状況みてると、「ゲーム批評」の記事で珍しく感心した「.HACKがユーザーに支持されたのは、DQ・FFと違って、『昔のは・・・』みたいに言う年寄りが回りにいない、オリジナル作品だったから」って趣旨のプロデューサーのコメントをちょっと思い出す。
SEEDは、いかなる意味の「ガンダム知」も不要な作品であることは確かだから入りやすいのかなぁ、とは思う。
もちろん、わたしの嗜好が多数派/少数派か、には単なる知識以上の興味はないのだけれど。少数派上等!なオタクだし。
2003.05.09
平井堅のnew single
「LIFE is ...〜Another Story〜」
買おうと思ったら、レーベルゲートCDだったのでやめ。
「LIFE is ...」ってalbum「LIFE is ...」収録曲(「ブラックジャックによろしく」のendingで聴ける版では、弦が入ってちょっとゴージャスになってますね)だし。
「Ring」「Missing You」「大きな古時計」と買った(「strawberry sex」は歌い上げバラード路線だけじゃないことを示したかった意図はわかるが、この人の誠実さが裏目に出てしまい、ラメ入り背広とかが痛々しすぎて、買わなかったのだが)single収録曲が多くて「LIFE is ...」albumはちょっともったいなかったかなぁと買ったときは思ったけれど、ちょっと取り返した気分。
しかし計5枚シングルカットしたことになるのかぁ。スゴイなぁ。要望にお応えしてシングル化みたいな記事がyahooには出てるけれど、最近流行の、信者から搾り取るビジネスの匂いも少々、、、
とはいっても、TV「ミュージック・ステーション」の本日出演分(piano弾き語りだったので、album版ですね)観たら、いかにも歌うまい人のalbumラスト曲っぽい、いいバラードだなぁと再確認。
album「LIFE is ...」ってわたしの中では、前作の、前々作では一番気に入っていた「love love love」「gaining through losing」のようなアップテンポなgospel choirものがなくて寂しい感じだったってこともあって、「LIFE is ...」2,3回しか聴かなかったのだけれど、聴き直そう。
...
「LIFE is ...」album版聴き直してみると、曲調が下→上みたいにシンプルすぎるので、弦入っていいアクセントになってて、single版アレンジの方が良い気がする。悔しい。single買うか?
2003.05.06
GWは5本ほど映画を見たのだが、その中で唯一、もう一度観ようか思案中の映画(「LILOandSTITCH」といい、なんでわたしは温いハッピーエンドの映画がこんなに好きなんだろう)
「COUNTRY BEARS」
のサントラを聴く。
またも、ディズニーということで、邦盤はAVEXさんとこのCCCD。
なので一曲少ない輸入盤を購入。
ちなみに曲順、ジャケも違いますし、輸入盤はCD-ROM。
うちのPCじゃ起動しないのだが。
映画自体(についての話はここでは省略するけれども)は、バンド話なので、基本はメインキャラの歌を担当したJOHNHIATTによる地味なフォーク・ロックなのだが、他の曲もいろいろ映画の中で使われたぶんだけ入ってる。
わたしにとっては、洋楽アイドル曲な「ギアをトップに」や、いかにもBRIAN SETZERらしいロケンローなどが目当て。
エルトン・ジョンやドン・ヘンリーの仰々しく歌い上げないバラードも当然良い。
ジム・ヘンソンの名を冠したシステムで動かす動物縫いぐるみ映画だし、セサミストリートのりでの映画出演なんだろうけれど、映画でミュージシャン見れるとうれしいものである。
ブルース・ブラザース2000でのビリー・プレストン(アニメ「L/R」での活用はびっくりしたね)みたいに「元気でやってるんだ、良かった」って驚いた訳じゃないけれど。
2003.05.02
ROUNDTABLEfeat.NINO
「APRIL」
を聴く。
ちょびっつのOPでのピチカートVぶりで知られたユニットの1stALBUMなのだが、
全体にスローな曲が多く、音もシングルほどにめちゃ加工ってる曲はない。
ピチカートというよりは、一見ナチュラルだが実は超人工的なラブサイケデリコっぽい印象。
NINOの声はハスキー系。この声が好きな人ならお薦めだが、曲はイマイチ単調でし、それをねじ伏せるほど圧倒的な声とまではいえない。
キャロル・キングやエディ・リーダーのような低音女声好みのわたしでも、正直シングルのほうを追えばいいかなという感じ。
2003.05.01
(不毛な物言いとは重々承知してるんですけれども)小説読んでるよりは2ちゃんねる見てたほうがマシ、と久しぶりに思ってしまいました。
今月のSFマガジン6月号の特集。
拡がり行く小説スプロール・フィクション
本号のための造語で、要は主流文学臭い小説のことらしいです。
「小説」自体を語るための概念というより、SFの新しいスタイルをサイバーパンクのように作ることにも、古いスタイルを真似ることにも、文学運動にも興味のない、今時の「作家」をくるむ概念であることが解説からは伺えます。
5作中、奇譚というかある種のファンタジィが3つ。ディックの非SFについての言及がある、そういう小説が一つ。初出が「エスクァイア」だったりして、(ハーラン・エリスンやルーシャス・シェパード的反SF思想も少ない)本当に普通小説だなぁという感じです。
ショートショートはSFでなくてもSFみたいなものだし、まぁ、面白かったです。ちょいと、国語の授業みたいな気もしないでもないので、ハードカバーでこういうのたくさん読みたいか(解説によるとそのテストケースなのだそうです)というと疑問ですが。
残りの一つ。ポール・パークの「ブレイクスルー」。
こういう小説の存在自体についてちょいと考えさせられた。
バツイチの女教師が、言葉を話せない自閉症児に特殊なブロックを使って会話をさせるという新療法で、コミュニケーションに成功する。子供は意外な才能や虐待の実状など、その手段がなければ、決して解らなかったことが次々と示すのだったが、、、
教師にわからないように子供に別の質問をするというテストで答えられないことが判明する。実は、ブロックで答えを示していたのは女教師自身(一人称小説であり、当然そのことは自覚していないのだが)だった。最後にブロックから出た言葉が「ひとりにしないで」という彼女自身の心だったことを暗示して終わる。
(すいません。小説の結末なので背景色で文字消えネタ使って隠してみました。必然性はないのですが。htmlお勉強ごっこと言うことでご容赦。)
解説にもありますが、NHK「奇跡の詩人」(と、2ちゃんねるでの批判的ツッコミそのもの)なわけです。
小説読んでるよりは2ちゃんねる見てたほうがマシ、というのは、異世界小説読むより北朝鮮報道見てたほうが、ハードボイルド読むより2パックのインタビューのほうが、戦争映画よりイラク戦のほうが、というのと同じようなある種の言いがかりであって、小説には独自の魅力があると、いうのが正解の筈なんだけれども。
2ちゃんねる他でさんざん祭りになった(=体験した)あとで、こういう小説(=仮想体験)を見せられてもなぁ。という、いまさら感が炸裂。現実に半歩遅れてるって事は、「同時代の小説」っぷりは非常に出てるとも言えるので、選者の意図は的中してるのかもしれないのだけれど。
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