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ホーム > 教育ほっかいどう第374号−活動レポート−国宝「土偶」について
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《活動レポート》                       教育ほっかいどう第374号


 函館市著保内野遺跡出土の国宝「土偶」について

                                          生涯学習推進局文化・スポーツ課




○ 国宝の「土偶」

 

 

 

 



○ 平成18年度の発掘状況
 (手前が土偶が出てきた土坑、奥が配石)

 

 

 


 


○ 発見直後に教育委員会に届けられた土偶

はじめに
 平成19年6月8日、函館市(旧南茅部町)著保内野遺跡出土の縄文時代後期後半(約3,500年前)の「土偶」が重要文化財から国宝へ格上げとなりました。国宝の指定は北海道としては初めてのことであり、文化財担当部局としては誠に光栄であり、喜ばしいことです。この機会に、「国宝」とは、そして格上げとなった「土偶」とはどのようなものか、改めて紹介したいと思います。

1 「国宝」とは
  「国宝」とは、文化財保護法に基づき、国(文部科学大臣)が「重要文化財」(建造物、絵画、工芸品や考古・歴史資料などの「有形文化財」のうち、国が指定した重要なもの)の中から学術的価値が極めて高く、かつ、代表的なものとして指定したもので、「世界文化の見地から価値が高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」(法27条2)と位置付けられています。つまり、「有形文化財」の頂点にあり、まさに国民の宝といえるものです。
 現在、国宝・重要文化財に指定されている美術工芸品は全国に10,283点あり、そのうち国宝は1割に満たない861点で、さらに考古資料は41点しかありません。そして考古資料の中でも縄文時代のものは少なく、著保内野の土偶を含めても3例しかありません。第1号は長野県茅野市棚畑遺跡出土の「縄文ヴィーナス」と呼ばれている「土偶」(平成7年6月12日指定)、第2号は新潟県十日町市笹山遺跡出土の「火焔土器」と呼ばれている「深鉢形土器」(平成11年6月7日指定)です。著保内野の土偶はまさに日本の縄文文化を代表する遺物の一つとして位置付けられたわけです。

2 北海道の縄文土偶の特徴
  土偶は、素焼きの「ひとがた」で、わが国では縄文時代に盛んに作られ、当時の精神文化を解明できる重要な遺物です。現在のところ全国での縄文土偶の出土数はおよそ15,000点といわれていますが、北海道の出土数は約400点ほどです。縄文時代の各時期の遺跡から発見されていますが、早・前期は少なく、中期以降に増え、後・晩期が8割以上を占めます。また、出土している遺跡は、道南から道央にかけてが大半ですが、道東でも若干みられます。顔面表現のない単純な形から胴部が空洞の中空や写実的な顔面、人体表現のものへと変遷します。青森県を中心とした北東北の影響を受けたものも多くみられますが、後・晩期には埋葬儀礼に関わるものが多い、という北海道的な特色がみられます。これは多彩な副葬品や死装束がみられる北海道的な縄文時代の手厚い埋葬と土偶祭祀が結びついた結果と考えられます。

3 著保内野遺跡出土の「土偶」の特徴
 改めて著保内野の土偶を紹介します。高さは41.5㎝、頭の一部と両腕が欠損していますが、全体形がわかる中空土偶では国内最大、全体でも山形県西ノ前の高さ45㎝の土偶に次ぐ大きさです。頭、胴体、両脚が空洞の中空で、形状は全体的に均整が取れ、作りは精巧です。頭は小さく6頭身で、両腕がない様子は、ミロのヴィーナスを連想させます。両足の下の方は筒状のもので連結され、さらに筒から両足へも穴が開いており、体部の空洞につながります。これは脚の重みを支えると同時に焼成時の空気抜きの効果があり、中空部の空気の流れを良くして、膨張による割れを防ぎ、内部まで焼けるようにする工夫です。土偶の製作を熟知した製作技術の高さを示す仕掛けです。顔面や文様は基本的に刻み目のある隆帯(細い粘土ひもの貼り付け)で表現され、後期後半の時期の特徴をよく備えています。顔面は仮面、顎はひげか入墨、へその周りは妊婦を表現した可能性があります。それではこの土偶は女性なのでしょうか。積極的な男性表現はありませんが、乳房も小さく、女性の肉体を強調する表現も多くありません。土偶の性別を無理に決める必要はなく、性を超えた霊力をもった「母性の再生」に象徴される「生死」に関わる「神像」と考えればよいのです。

4 「土偶」をめぐるドラマ
 「土偶」は、その発見がドラマチックです。昭和50年の8月、旧南茅部町尾札部の小板アエさんが、自宅裏山でジャガイモを掘っていたときに発見したもので、クワに当たっていくつかの破片となっていました。人の頭の様なものが出てきたので、小板さんはビックリして、供養のためお寺に届けようかとも考えたそうです。そこで、中学1年生の長女が、「これ、学校で習った埴輪だよ」といったので、教育委員会に届けたそうです。
  教育委員会には考古学を勉強した専門職員がいて、すぐに縄文時代の土偶であることがわかり、発見された場所の発掘調査を行ったところ、墓と考えられる土坑(地面を単純に掘った穴)がみつかり、土偶はその中か上に置かれていた可能性が報告されました。さらに昨年の調査では、先の土坑が配石(大小の石を一定の範囲に配置するもの)を伴う集団墓地の一部であることが判り、その学術的な重要性が一層深められました。
「土偶」は死者とともにお墓に入れられていたのです。縄文人にとって死は、「この世」の終点であると同時に、「あの世」または「生まれ変わり」の出発点でもあります。人と生死を共にする土偶は、「この世」での役割を終え、「あの世」での人の魂の再生を助けるよきお供と考えられます。
  土偶は、発掘調査ではなく偶然の発見でしたが、修復したところ、その大きさは国内最大級であることがわかり、さらに作りが極めて精巧であることから、昭和54年に国の「重要文化財」に指定され、日本の縄文土偶を代表するものとして、4回の海外展(ベルギー王立博物館、アメリカスミソニアン博物館、ローマ市立展示館、大英博物館)に出品されました。当時、旧南茅部町には展示施設がないため、普段は役場の金庫で保管され、特別の時だけしか見ることができませんでした。現在は、国宝指定のお披露目展が終了し、市立函館博物館で保管されており、しばらくは博物館で定期的に公開され、平成22年頃には南茅部地区に建設予定の「縄文文化交流センター」(仮称)で常時公開される予定だそうです。
  土偶の複製品は、函館市大船遺跡展示館、道立北海道埋蔵文化財センターなどで見ることが出来ますが、本物の迫力にはかないません。「土偶」が公開される時には是非足を運んで、国宝を堪能してみてください。 
 

 

【この記事のお問い合わせ先】
教育庁 生涯学習推進局文化・スポーツ課文化財保護グループ
 
060-8544 札幌市中央区北3条西7丁目道庁別館   TEL 011-204-5749 FAX 011-
232-1076

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