各文書はすべてサイト設立時の何年も以前に書かれたものであり、適切でない表現等散見されるものと思います。
しかし、このインデックスページの各分野の概論は、サイト移転時(2003年3月)に新たに記されたものです。
内容を構成する各文書の要約であり、現状における筆者の考察を書き連ねております。
1980年代のパソコンゲームを主体とした文書群です。
難度設定など破綻したものも多かったと思われますが、それを上回る面白さを兼ね備えていました。
プレーヤー層がかなり限定されていた事は決して喜ばしいものではありませんが、それゆえの利点というものも多かったと評価できます。
アーケードシューティングと同程度の難しさは害悪と思いますが、それでもやはりある程度の難度は必要というものです。
試行錯誤の余地や、全滅の可能性、最低限度のメモといったプレーヤー側の主体的作業。
こういった要素の存在しないところに、楽しみの源泉を見出すのは困難というものでしょう。
我々が楽しいと感じるのは、スポーツでも学問でも仕事でも基本的に同じ事、自らが何かをなすという要因にあるのではないでしょうか。
PS,SS以降のプレーヤー層の飛躍的拡大、という要因は確かに無視できないものでしょう。
しかしながら、大多数のRPGはこの意味において、プレーヤーを愚弄していると感じざるを得ないものが多数を占めております。
美しい画像と立体表現というハードウェアの進歩が可能にした技術自体は、価値中立的なものでしょう。
ただ、そちらに力を向けすぎたあまり、内容面が疎かになるという傾向は否定しがたいものと評価できます。
技術の進歩の結果が、ゲームテンポのより一層の低下とゲーム性の低下を招いたのみというのは、あまりに悲しいことではないでしょうか。
少なくとも、ゲームの面白さの核心を構成する要素は不変であるはずです。
技術が正しい方向に用いられることを願いたいものですね。
今のところ私は、シューティングゲームを最も好みます。
アーケードゲームが主体ですから、所持という要因が無く、各プレーヤーが如何に取り組むかという以外の要素が存在しない点が極めて高い普遍性を有すると感じます。
攻略パターンを作成するプレイ中以外の過程においては極限まで頭をひねる合理的世界。
ウイザードリーで地図を書いたり、FF5のラスボスに悩んだりするのと全く同じなんですよね。
厳しいからこそ、そこに法則性と解放を見出そうという高度に知的な作業が必要とされるのです。
そしてプレイ中は冷静さと集中力とプリミティブな快感。
性行為における場合との共通性を語られる方がいらっしゃいましたが、それも一理あると感じられます。
ただいささか難しすぎる嫌いがあるのは極めて残念なことかと思われます。
現状のアーケードシューティング(家庭用オリジナルが開発されない現状では全てのシューティング)は、基本的方法論を理解し、かつ継続的にプレイするという人間でないと対応できないという作品ばかりです。
ただそれでも私は、自分が真剣にあるゲームに取り組むという過程そのものに価値があると考えるので、この分野が好きです。
たとえ下手でも、クリアできなくとも、その過程を楽しむことがゲームの本来の姿ではないでしょうか。