- 原文
- Gimme a Break
- 著者
- Mark Rosewater
- 訳者
- NPCさん
- 投稿日
- 2004-06-30
- 更新
- 2004-06-30
私の今回のコラムは、以下の手紙に回答するために使わせてもらおう。
親愛なるマロー、
君のコラムはいくつかのテーマを繰り返す傾向にある。そのうちの2つはこんな感じだ。
- 適切なマジックのデザインは、厳密なルールの上に成り立っている。ゲームが健全になるかどうかは、デザイナーがそれを貫けるかどうかにかかっている。
- マジックの成功は、絶え間ない進化と、積極的に自らのルールを破っていく意欲に基づいている。
これら2つのルールは矛盾してるんじゃないか? なあ、リード・デザイナーさんよ。どういうことか聞かせてもらおうじゃないか!
P.S. きつい口調については謝るよ。でもこの手紙がコラムにいい刺激を与えるんじゃないかな。悪く思わないでくれよ。
わかったよ、マーク。
どうしてそれら2つのルールが実際には両立できているのか、説明しようじゃないか。
じゃあ、ルールを破ることさえ認められている中で、マジックのデザインにはどれだけ厳密なルールがあるっていうんだろうか。単に、ルール破りのためのルールがあるだけだ。君たちはこれまで聞いたことがないだろうね? 今回、そのルール破りについてのルールを明らかにすることにしよう。
デザインにおけるルール破りの中でもっとも一般的な誤解の一つは、新しいカードを生み出す手段としてルール破りを用いている、というものだ。多くのプレイヤーはこんな風に考えてるみたいだ。我々がテーブルを囲んで、総合ルールをパラパラとめくってはこう叫ぶんだ。「おい見ろよ、ルール301.15はまだ破られてないぜ!」(この番号はでっち上げだから『カードXとYがルール301.15を破ってるぜ』なんて送ってくるのはよしてくれよ。私は301.15が何かを知らない。なぜ調べないのかって? これ以上わき道にそれて時間を無駄にしたくないからさ。)
カードがルール破りを生み出すことはあっても、ルール破りがカードを生み出すことはない。それが何を意味するのかって? 我々がルール破りなんてものを認めるためには、まず何よりも、何らかの形でルールを破っているにもかかわらず、クールでふさわしいと思わせるようなカードが必要だってことだ。例として、フィフス・ドーンの《執拗なネズミ/Relentless Rats(5DN)》を取り上げようか(Adrian Sullivanはこのカードをデザインしたのが私であるかのように書いていたけど、このネズミは実質的にはBrian Tinsmanの仕事だろう)。Brianがこのネズミを創造したとき、彼は四枚制限を破ることができるようなカードのことなんて考えてはいなかった。かわりに、彼は《Plague Rats/疫病ネズミ》の新しいバージョンを作り出そうとしていたんだ。
Brianがこのカードに取り組んでいたとき、何かが足りないように思えてきた。4枚しか使えないんだとしたら、草創期の《Plague Rats/疫病ネズミ》デッキの雰囲気をどうやって再現すればいいんだ?(草創期の《Plague Rats/疫病ネズミ》デッキは「デッキに4枚制限」というルールができるよりもわずかに前だった)そこでBrianはカードにルールを破らせた。ルール破りはネズミの創造の副産物だったわけだ。ルール破りが存在するためには、ゲームの通常の制約を超えた柔軟な発想が必要とされる。
もうすでに、それが不自然に感じられない場合においてのみルールは破られるってことは書いたね。ルール破りの真の意図はショックバリューではないんだ。たとえ機能的にしてはならないことをしているとしても、あってもおかしくないと感じられるのであれば、そのカードは認められる。この例として、スカージの《ドラゴン変化/Form of the Dragon(SCG)》を見てみよう。(これもBrian Tinsmanによってデザインされたものだ。彼はルール破りの大の愛好家だ。)
《ドラゴン変化/Form of the Dragon(SCG)》の能力の一つは《Moat(LE)》(あなたは飛行クリーチャーによってしか攻撃されない)
だ。《Moat》は明らかに赤の能力ではない。赤は守備的な色ではないからね。でも、一歩はなれてカード全体を見てみると、《Moat》がより大きなテーマに合致しているのがわかるだろう。もし君がドラゴンだったら、飛行を持たないクリーチャーにアタックされたりはしない。
ドラゴンに変身する――こいつは赤だ、間違いない。それこそが《ドラゴン変化/Form of the Dragon(SCG)》が印刷されるに至った理由だ。そりゃ確かに、機能的に持つはずのない能力を赤に与えたことになるけど、このスペルはより大きなテーマにおいて、意図したとおりのものを赤に与えている。
私を苛立たせるものの一つが、ルールを厳守しようとするあまり、そもそものルールが作られた道理に逆らうようになる人々だ。この格好の例が、大学時代の私に起こった。私はボストン大学の学生(コミュニケーション学科)だった。大学は町の中心にあり(私の寮はケンモア・スクエアにあった――行け、マイルズ・スタンディッシュ!)、すべての寮で玄関のそばに守衛がいて、寮の人間だけが建物内に入れるように監視していた。
そのためにすべての住人が、寮に住んでいる者かどうか見分けるための生徒IDを持っていた。守衛にとっては、それが主な仕事だった。そんなわけで、何度も何度も同じ守衛と会うことになる。守衛の一人をカールと言た。カールはいいやつで、そのうち彼と私は仲良くなった。ときどき退屈したときに、守衛室におしゃべりに行ったりもしていた。
ある日のこと、私は寮の入り口でポケットに手を入れた。そこにIDはなかった。うっかり部屋に置き忘れてきたらしい。とはいえ、そのときの当番はカールだった。そのときの会話は以下のとおりだ。
(私はそのまま通り過ぎようとした。)
この会話は30分近く続いた。住人が入るためにIDカードが必要ではあるとはいえ、住人に会うためにゲストがサインして入るのにIDは必要はないとカールに納得させることで、ようやくこの問題を解決することができた。結局どうやって入ったのかって? ゲストとしてサインして入ったのさ。
なぜこんな話を持ち出しのか? マジックのデザインにおいてルールを破るとき、そもそもそのルールがなぜ作られたのかを問い直すのが大事なことだからだ。《執拗なネズミ/Relentless Rats(5DN)》に関して言えば、我々は4枚制限について考察する必要があった。そのルールが存在するのは、多くの枚数をデッキに入れることでぶっ壊れたものとなるカードがあるからだ。でもすべてのカードがそうではない。壊れていないことを確かめるため、大量のネズミでテストした限りにおいては、ルールを破っても安全であることがわかった。(ああ、開発でテストした限りにおいては安全だったってことだ――現実世界にはもっと大多数のプレイテスターがいるね。)
我々がルール破りを選択するとき、R&Dはそのカードから目を離さない傾向にある。それには2つの理由がある。1つには、ルールを破るカードは何か不当な行いをしてしまう確率が高いからだ。結局のところ、我々はルールを破ってしまったわけだ。2つめは、時としてルール破りカードが将来のデザイン領域を実証してみせるからだ。再び《執拗なネズミ/Relentless Rats(5DN)》で言うなら、ネズミが好評で、かつ問題児でもないとわかったら、R&Dが再び「4枚制限」ルールを破る可能性が高くなる。
私がもらったいくつかの手紙に関する短い余談を挟もうか。ソーサリーウィークの私のコラム(「ゆっくり、しっかり」)で、インスタントにしてしまうとルール上好ましくないために、いくつかのカードはソーサリーである、ということをかなり強調して書いた。でも我々はフィフスドーンで《ヴィダルケンの宇宙儀/Vedalken Orrery(5DN)》を作った。こいつはすべてをインスタントに変えることを許す。一部のスペルがインスタントでプレイされるべきではないと考えているなら、どうして《ヴィダルケンの宇宙儀/Vedalken Orrery(5DN)》なんてカードを印刷したりしたんだろうか?
『インスタントでプレイされては好ましくないスペルがあるというだけで、それができないというわけではない』というのがその答えだ。すべてがインスタントスピードでプレイされたとしても、ルールの上では処理できる。だが、いくつかのスペルはどのように機能するかで大きな混乱を巻き起こす。すべてのカードをインスタントとしてプレイできるようにするカードを作ることと、いつでもインスタントとしてプレイできることで混乱を招くようなカードを作るということは、まったく別の話だ。
私が《ヴィダルケンの宇宙儀/Vedalken Orrery(5DN)》を持ち出したのは、ルール破り兼ルール検証カードの最高の例だったからだ。前の段落で、すべてのカードがインスタントスピードでプレイされてもルール上で処理することができると述べた。私が知る限りにおいて、それは真実だ。だが、完全に疑いの余地がないとはいえない。存在するすべてのマジックのカードをインスタントスピードで試したわけではないんだ。でも、いまや我々は《ヴィダルケンの宇宙儀/Vedalken Orrery(5DN)》を作ったのだから、誰かはやってのけるだろう。(別に、哀れな男が一人で地下にこもって、6000枚を超えるカードを片っ端から試す、という意味ではないよ。)
もしかしたら、インスタントスピードになることでルールを破壊してしまうカードがあるかもしれない。でもそいつは《宇宙儀》を印刷しなければ決して見つけられなかったはずだ。それが、なぜ存在するか、の理由さ。というわけで、難題好きの全世界のジョニー(※カジュアルプレイヤー)に告げておこう。インスタントスピードでプレイされるべきではない、土地でないカードを見つけ出せるか挑戦してみてくれ。期待してるよ。
どういうわけか、多くのプレイヤーは「ゲームはそれ自身のルールによって破られる」ことと「すべてのルールは破られうる」ことを同一視してるみたいだ。それは全く真実ではない。私が好んで使うメタファーが、新しい家の間取り図だ。家族の拡大に伴い(いつもの読者以外のために書いておくと、四ヶ月前に双子が生まれたんだ。二番目と三番目の子供だよ。)、妻と私はプレセールの家を注文した。そして、これから建てる家について建築業者と話をした。
設計と仕様についての話し合いの際、間取り図を見せてもらった。私たちがそうしたいなら(そしてその費用を支払うなら)、好きなように壁を取り除いてもいいと言われた。とはいえ、すべての壁じゃなかった。いくつかの壁は図面上で灰色に塗られていたんだ。それらはベアリング・ウォール(※建築用語だと「耐力壁」)だった。それらは家を支えている壁で、そこになければいけないんだ。
マジックにも“ベアリング”ルールはある。いくつかのルールは絶対に取り除くことができない。それは何かって? 私は建築業者ではないから、それについては秘密にしておこうと思う。我々に何ができて何ができないのかを君たちが知らなければ、デザインはもっと面白くなる。君たちをより驚かせるためにもその方がいいだろうしね。今は“ベアリング”ルールはあるとだけ言っておこう。そして今後、我々がルールを破ったときに、君たちは破られたルールが“ベアリング”ルールでないと知るわけだ。とてつもない混乱が巻き起こって、すべてが明らかになりでもしない限りはね。
今回のコラムで、R&Dがいつ、どのようにしてルール破りを選択するかについて、少しは見方が広がってくれることを期待している。お分かりのとおり、それは見た目ほど単純じゃない。そして時にはフィフス・ドーンのように、いつもより少しだけルール破りに熱中することだってあるだろう。
それじゃまた来週、マイヤを訪ねるときにお会いしよう。
そのときまで、君が楽しんでルールを破ることを祈っているよ。
当ページは、2ちゃんねるの卓上ゲーム板「MTG Sideboard Online 日本語版」スレッドに投稿された記事を、426(braingeyser-lj@infoseek.jp)がまとめたものです。