ひょうご防災新聞  Disaster file

15.山地災害

(2005/11/20)
県内440集落 孤立の恐れ/食料備蓄や道路対策急務

 昨年十月の新潟県中越地震では、山間部の農村を中心に六十一の集落が孤立し、防災面での新たな課題を突き付けた。内閣府の調査では、災害時に孤立する可能性がある中山間集落は全国で約一万九千に上り、兵庫県内でも四百四十集落を数える。昨年秋の台風23号では、淡路や但馬の道路が土砂崩れなどで寸断され、一部地域が孤立した。備えの現状と課題を探った。

 内閣府は今年夏、(1)集落に続くすべての道路が土砂災害危険個所に接している(2)船舶の停泊施設が使用不能になる―の二つを条件に、孤立の可能性がある集落数を調査。全国で約一万七千の農業集落と、約千八百の漁業集落に孤立の恐れがあるとされた。兵庫県内では農業が四百十、漁業が三十四集落で、いずれも全国で十七番目だった。

 県内では豊岡市が農業と漁業の計七十九集落で最も多く、次いで美方郡香美町の五十一集落。山間部が広がる但馬地域の危険性が際立った。

 昨年の台風23号で、淡路市の山奥にある興隆寺地区は土砂崩れによる通行止めで孤立した。翌日、住民が白い旗やペットボトルを振っているのを県警のヘリコプターが見つけ、地元の津名西署員や町職員が歩いて地区内に入り、飲料水などを届けた。

 この経験から、同市は本年度、同地区を含め幹線道路と一本道でしかつながっていない集落の集会所など計五十三カ所にデジタル式の防災行政無線を整備。通常の防災行政無線は自治体側からの連絡を住民に流すだけだが、デジタル式は互いにやり取りでき、情報の断絶を防げるという。

 ただ、内閣府がまとめた県内の農業集落の備えの現状をみると、対策が進んでいるとは言いがたい。災害に強い衛星携帯電話は宝塚市が県内で唯一所有しているが、山間部の支所に一台あるだけで、孤立の恐れがある十集落分はカバーできていない。食料の備蓄があるのも全体のわずか5%と低く、「農業集落なのでそれなりに自活できる」という想定に基づいて、未確認のまま「備蓄あり」と回答している自治体もあった。

 避難施設の耐震化や、救援時に必要となるヘリコプターの駐機スペースについては全国より進んではいるものの、それでも“対策率”は二割前後。避難計画は5%しかなく、テントや毛布、医薬品の備蓄は1%にも及ばない。

 兵庫県の地域防災計画にも孤立に関する項目はなく、「来春の改訂版には盛り込みたい」と県防災企画局。河田恵昭・人と防災未来センター長は「日本は国土の七割を中山間地域が占める上、マグニチュード6・8だった中越地震クラスの地震はどこでも起こり得る。早急な対策が必要だ」と指摘している。

【Q】火事で紙幣が焼けてしまったら、どうすればいい?

【A】 焼けた場合でも、紙やインクの質から、ある程度まで本物かどうかを特定することが可能。ただし、灰がばらばらになると特定が難しくなるので、なるべく原形を崩さないようにすること。細かい部分も集め、容器に入れて日本銀行の支店に持ち込む。
 紙幣の3分の2以上の面積が残っていれば、全額と引き換えてもらえる。面積が5分の2以上、3分の2未満なら半額。5分の2未満なら価値はなくなる。
 溶けた硬貨も、鑑定して本物だと分かれば引き換えは可能なので、あきらめないこと。阪神・淡路大震災では、紙幣、硬貨合わせて約8億円の引き換えがあった。


災害の記憶  元相生市消防本部 消防長 鳥井勝明さん(78)

県南西部集中豪雨  バスを押し流した山津波

 一九七一年七月十八日は日曜で朝から好天に恵まれた。午前十一時ごろ、神社の夏祭りで獅子を回していると、北から真っ黒な雲が現れた。慌てて社務所に子どもを呼び入れた。一―二時間、身動きが取れないような大雨。天気予報にはなかった急変だった。

 消防本部に出勤すると「国道250号の高取峠でバスが流された」との一報。潮干狩り帰りの四十八人が乗ったバスが山津波に襲われ、ガードレールを突き破って二十五メートル下の畑に転落。子どもを含む三人が死亡した。

 道路際に迫る山が比較的低く、土砂崩れが起きるとは想像もつかなかったが、雨水が集まる場所だったらしい。

 現場把握をしているところへ、「一家七人が生き埋め」との連絡。救助を消防団などに頼み、次の現場へ急いだ。

 国道を乗り越えた山の土砂に、民家が海に押し出されていた。濁流が海岸を洗う。救助に向かおうにも重機はない。スコップなどで泥をかき出した。近所の人は「まさか山が崩れるとは思わなかったから、みんな家にいたはず」とぼうぜんとした表情だった。現場では五人が亡くなった。その間にも市内二カ所で住民が川に流された。

 新舞子海水浴場(現・たつの市御津町)で土砂崩れが起き、大勢の海水浴客が亡くなったのを知ったのは翌日のことだった。結局、この大雨で計二十二人が犠牲となった。

 水害をきっかけに、急傾斜地など危険個所への対策が進んだ。国の指定を受け、国道などの砂防えん堤ができた。市は土砂災害や高潮被害が予想される地区に水防倉庫を設置。土のう袋やスコップなど水防器具を配備した。

 消防でも危険地域内の住宅を調査。天気図の学習など隊員の教育に力を入れた。気象の知識は情報把握に欠かせないと痛感したからだ。

 相生市内では七四年、七六年にも水害が発生。七六年の大雨の際、坪根地区で自主避難した結果、死傷者はなかった。以来、幸いにも水害で死者は出ていない。最近は各地で災害が続いており、教訓を生かすことの大切さをあらためて実感している。

(聞き手・松本茂祥)

 
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