ひょうご防災新聞  Disaster file

69.緊急交通路

(2008/03/02)
登録車両の通行確保/県内指定18ルート 住民へ周知課題

 十三年前の阪神・淡路大震災では、被災地へ向かう道路が大渋滞となり、救急車などの緊急車両でさえ前へ進めない状態に陥った。これを教訓に、災害時の緊急車両の通行路を確保するため、兵庫県警をはじめ全国の警察は、あらかじめ「緊急交通路」となる道路を指定している。ただ、一般道路の交通規制は容易ではなく、この道路指定について住民に普段から知ってもらうことが課題になっている。

 緊急交通路は災害対策基本法に基づき、大規模災害発生時に都道府県公安委員会が一般車両を通行禁止にしたり通行を制限したりすることができる道路。県内では、十八ルートが指定された。活断層の分布や河川などの地理的条件から、各地域での災害を想定して決めたという。

 通行できるのは、警察の車や消防車、救急車などの緊急車両と救援物資を運ぶトラックなど、県警に事前登録している車両に限られる。被災地の混乱を避けるため、事前登録も個人ではできない。報道機関などのほか、県と物資提供の協定を結ぶなどした団体などに限られる。

 他府県から被災地への一般車両流入を防ぐには、隣接府県の警察の協力も欠かせない。兵庫県と隣接の府県警は、広域交通管制協定に基づき、府県境に規制地点を設定する。例えば兵庫県で大災害が起こった場合、京都府警は五カ所、大阪府警は十三カ所に警察官を配置することになっている。

 しかし、インターチェンジで規制できる高速道路に比べ、一般国道の規制は住民の理解がなければ難しい。県と国土交通省は現在、県内の緊急交通路となる国道に「大災害時は一般車両禁止」と災害時の対応を予告する標識を設置している。

 阪神・淡路大震災では、県警にも事前の準備がほとんどなく、災害対策基本法による交通規制を始めるまでに二日半かかった。次に大災害が起きた場合は、一人ひとりの行動が重要になる。

 一方、災害時、実際に緊急交通路が使えるのか。道路自体の耐震性も気になる。県警は、緊急交通路が被災して使えなくなった場合に備え多めにルートを設定している。

 また、国や都道府県などは、緊急交通路に使用される道路をはじめ、主な道路について、橋の耐震補強を進めている。

 国土交通省によると、現在、阪神・淡路クラスの地震で倒壊の恐れがある橋は全国で約二千、損傷の恐れがあるのが約一万三千。県内では各約三十、約七百十という。

 大震災で橋脚が倒壊した阪神高速道路は、三月末で耐震補強をほぼ終える見込みという。国などは、二〇〇八年度からの十年間で全国の耐震補強工事を終えたいとしている。

【Q】災害直後の情報収集で気をつけるべきことは?

【A】被害が大きければ大きいほど、情報は把握しにくくなる。被災地内では、被害の全体像や救援の情報が入手できず、被災地から外へ向けた情報の発信も遅れる。被害が大きい地域ほど、情報の空白地帯になることを理解しておこう。

 家にラジオがなければ、車のラジオが利用できる。コミュニティーFM局は、地域限定の生活情報や外国語による情報を流している場合が多いので、活用しよう。情報源をしっかりと把握し、デマやうわさ話は絶対に信じないこと。公的機関などが出した信頼できる情報をもとに行動しよう。情報の収集手段は一つに限定せず、できるだけ複数の手段で入手することを心掛けよう。

(記事は社会部の石崎勝伸、森 信弘が担当しました。)


大地の科学  觜本格

花隈城跡  縄文時代の海岸の崖

 神戸市中央区のJR元町駅西口から北へ、兵庫県庁に向かう人は急な階段を上ることになる。階段は一段が十六センチ。三十八段あるから六メートルを上らなければならない。

 駅南側は標高五メートル以下だが、階段を上り北側に出て坂道を上った所にある兵庫県公館は標高一七メートル。ここに高さ十二メートルの崖(がけ)があることが分かる。崖はさらに西に続き、今は駐車場になっている花隈城跡につながる。崖はここでも十メートルを超す。

 今から五千―七千年前に現在より海面が二―三メートル高い時代があった。その時、海はこの崖の下まで広がっていた。崖は海岸に打ち寄せる波の力で削られてできた波食崖(はしょくがい)である。

 縄文時代の海岸にできた波食崖の跡は、坂道として神戸市東灘区から須磨区までの各所に点々と残っている。灘区の敏馬(みるめ)神社では境内から本殿に登る高さ六メートルの階段として残っている。須磨区のJR鷹取駅付近でも三メートルほどの崖が確認できる。

 縄文時代前期に当たる時期、平均表面海水温は現在より二度ほど高かった。このため、海水が増え、海岸線が陸地内部へ進入する海進が起きた。縄文海進である。関東平野では東京湾が現在の低地に進入し、埼玉県の大宮や浦和付近まで入り込んだ。大阪平野でも上町台地の東側の河内地方にまで、海が広がっていたことが分かっている。

 縄文海進は人間の活動が原因でない温暖化によるものである。地球の歴史の中でたびたび起こった寒冷化と温暖化の繰り返しの一コマである。

 二万年前にピークを迎えた現在に一番近い氷期に海面は現在より百二十五メートルも低かったそうだ。

 その氷期は一万年前に終わり、その後の間氷期へと移る自然のサイクルで起こったのが縄文海進である。

 その証言者である階段や坂道を歩きながら、私たちの先祖が経験した縄文海進の時代の風景を思い浮かべてみる。

 人為的な温室効果ガスの増加が原因とされ、緊急の課題となっている現在の地球温暖化問題を考える上で意味のあることかもしれない。

(はしもと いたる・神戸市立飛松中学校教諭)

 
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