ひょうご防災新聞  Disaster file U

85.地震史を学ぶ

(2008/11/03)
備えは知ることから
 私たちの祖先は、周期的に地震、津波災害に見舞われてきた。そして今、日本列島は地震の活動期にあるとされる。備えは、まず過去の災害を知ることから始まる。地震の歴史を学んでみよう。

 大阪市立自然史博物館(大阪市東住吉区)で開催中の「地震展」では、実際の断層をはぎとった標本や地震被害を伝える江戸時代の瓦版などが展示されている。

  展示スペースには「今までで一番大きな地震は?」「今までで一番高い津波は?」などの質問とその答えを掲載している。ちなみに観測史上最大の地震は、一九六〇年五月のチリ地震という。

  南海地震が近い将来に発生する―との予測も過去の地震の時期を調べた研究の成果。日本ではかつて、地震は地下でナマズが大暴れすることが原因と思われてきた。

  同館学芸員の中条武司さん(38)は「地震はどうして起きるのか。メカニズムや過去の被害を知ることで、『次』を見つめ、防災の構えを確かなものに」と話す。

(岸本達也)

 



大地の科学 觜本 格

大阪湾の歴史2 10万年周期で海面変動

大阪湾の海底地形=「日本の山地形成論」(藤田和夫)より

 大阪南港での深層ボーリングの資料「OD―1」では十四枚の海成粘土層(泥層)が認められた。下から順にMa0、Ma1、Ma2…Ma13と名付けられている。Maは「Marine(海の)」の意味である。一番古いのがMa0で百二十万年前に堆積(たいせき)した。一番新しいのがMa13で現在の大阪湾の海底にたまっている泥である。粘土層と粘土層の間には砂やレキでできた地層がある。

  このように異なる堆積物が繰り返してできている地層を「互層(ごそう)」と呼ぶ。大阪層群の上半分は海成粘土層と砂礫(されき)層とのリズミカルな互層になっている。大阪湾の互層はどのように造られたのだろう。

  現在の大阪湾の海底には泥がたまり、砂やレキはほとんど混ざっていない。川の流れで山地から運び出された土砂のうち、粗いレキや砂は、ふもとの扇状地や河口の三角州に沈積して海岸平野を造っている。河川の流水とともに湾内に運ばれ、湾底に沈積するのは細粒の泥粒子だけである。大雨が降った翌日の海は、黄色く濁った泥水でおおわれている。泥は数日のうちに外海に運び出されたり、海底に沈積したりする。

  地層を造る粒子の違いは、その場所の堆積条件の違いであり、地層のできた時代の歴史を表現している。粘土層がたまったのは海水面が上昇して海が広がった時である。砂礫層がたまったのは海水面が下がって平野になった時である。

  海水面の変動は地球規模の現象で、温暖な時期には海水面が上昇し「海進」が起こり、寒冷な時期には海水面が下降し「海退」になる。

  大阪平野に始めて海が進入してきたのが百二十万年前でMa0が堆積した。やがて海水面が下がるとその海は埋め立てられ、砂やレキの地層をためた。再び海水面が上昇した時に堆積したのがMa1である。この地層は京都や奈良にまで広がる。また、標高二百メートルの六甲山地中腹にも見られ(連載P)、大阪湾は現在の二倍以上もの広さだったことが分かる。この海もまた、後退し埋め立てられる。

  大阪湾では百二十万年前から現在までに約十万年毎の十三回の「海進」と「海退」があった。現在は十四代目の大阪湾ということになる。

(はしもと いたる・神戸市立飛松中学校教諭)

 
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