第4部 「医」をめぐる旅

(2007/07/22)

(4)HIVを考える
広がる感染、低い関心 性を語り、身を守る
トークイベントを進行する面谷さとみさん=神戸市中央区、神戸国際会館(撮影・辰巳直之)

 「お互い話し合わなきゃ」

 「でも、どう言えば…」

 十人ほどの若者が輪になって座る。テーマは「コンドームを着けてくれないパートナー。どうすればいい?」。神戸市がこの七日に開いた「KOBEエイズフェスタ2007」の一こまだ。

 市は七月を「エイズ月間」と定める。二〇〇五年七月に神戸で開かれた「アジア・太平洋地域エイズ国際会議」がきっかけだった。

 会議には世界六十四カ国から約三千百人が参加した。それ以降、市は毎年七月にエイズ啓発のイベントを開く。

 「性をざっくばらんに話せる場は大切」。冒頭の集まりで司会を務めた神戸市看護大専攻科生の面谷(おもたに)さとみ(22)はそう話す。脳裏をよぎるのは一年前、東京の看護大四年で保健所を訪れたときの経験だ。

 「日本は先進国で唯一、HIV(エイズウイルス)感染者数が増え続けている」と聞かされ、ショックを受けた。

 考えれば、高校までまともに性教育を受けた記憶がない。「自己責任って言われても、知らなかったら責任も何もないじゃない」。エイズ問題のボランティアに加わり、若者が若者に呼び掛ける全国HIV予防啓発キャンペーン「wAds(ワッズ)」事務局に面谷は名を連ねた。

 「実際、日常生活で性を語る機会はほとんどない。性感染症の存在すら知らない人がいるかもしれない」

 性教育への風当たりが強まる一方で、若者に知識の格差が生まれる恐れがある。「気兼ねなく性を語る環境をつくることは、自分たちの身を守るためでもある」と考える。

 面谷は、大学生ら四人で予防啓発グループ「SHIP」を結成した。性を語る場を地道に提供していくつもりだ。

 「一人と話し、その人が友達に話す。そうやって少しずつ輪を広げたい」と。

 国際会議の開会式で総合司会を務めたのは、日本HIV陽性者ネットワーク「JaNP+(ジャンププラス)」代表の長谷川博史(ひろし)(54)だった。

 長谷川は一九九二年にHIVの感染を告知され、翌年から予防啓発活動を始めた。昨年の国連エイズ特別総会にも日本政府代表団顧問として出席、陽性者の権利擁護のため国内外を奔走する。

 会議から二年。長谷川は「エイズに理解ある人たちと陽性者が集い、研究者や専門家らとのつながりが一気に広がった」と振り返る。

 ただ国民の関心は高まらない。昨年の新規感染者数は過去最高だった。エイズを発症して初めて感染に気付く人が増えているのが気掛かりだ。

 「発症まで放置する人が多いのは、偏見が強く、陽性者が生きにくい社会ではないのか。検査体制の拡充だけでなく、偏見の解消に力を注がなければ」と語調を強める。

 エイズウイルスは社会の姿を浮き彫りにする。(敬称略)

エイズ通して社会の姿学ぶ
偏見の「負の連鎖」断ち切るために
繁内幸治さん(左)と喜多悦子さん。7月の「神戸エイズ月間」にちなみ、レッドリボンをかたどった花時計の前で=神戸市中央区(撮影・辰巳直之)

 「誰にも言えない」「どうしたらいいの」。メールで、電話で、全国から声が届く。HIV(エイズウイルス)に感染した人たちの叫びだ。

 神戸市でHIV陽性者支援を続けるNGO「BASE KOBE」代表の繁内(しげうち)幸治(こうじ)(46)は一言一言に耳を傾ける。

 医療の進歩で発病を抑える薬が開発され、感染しても普通の生活が可能になった。なのに病院に行けない人がいる。感染者本人の心にある根強い偏見が受診を妨げていると、繁内は考える。

 繁内はHIV陽性者ではない。だが、男性同性愛者として、社会の目線に苦しめられてきた。

 神戸で国内初の日本人女性エイズ患者が確認され、「神戸パニック」と呼ばれる騒ぎになったことがある。行きつけのスナックで客が「同性愛者を店に入れるな」と言い放つのを耳にして身をすくめた。それ以降、繁内はエイズの話題を避けるようになった。

 だが、阪神・淡路大震災で考えが変わった。一瞬で命を絶たれた人々の無念。「すべきことは今せねば」。親しい知人がHIVに感染したこともショックだった。繁内は「HIV」「エイズ」を正面から見据え、支援へと走りだす。

 二〇〇二年に「BASE―」を設立した。修学旅行に関西を訪れた中学生の宿をHIV陽性者と一緒に訪ね、生徒らと鍋をつつき、体当たりの啓発活動を展開する。

 それでも世間の壁は厚い。繁内が熱弁を振るった講演の直後でさえ「浮気さえしなければ大丈夫」との楽観的な声が聞かれる。誰もが感染のリスクにさらされているという現実を直視しない人が、あまりにも多い。

 「感染するのは特別な人。そう考えた瞬間、偏見が生まれる。偏見が広がると、感染者は身を潜める。そして、感染が拡大する」

 「負の連鎖」を断ち切るには―。繁内は日本赤十字九州国際看護大(福岡県)の学長、喜多悦子(67)=宝塚市出身=が提唱する「人道科学」に期待を寄せる。

 喜多は、ユニセフやWHO(世界保健機関)で人道支援を実践してきた。アフリカではエイズや結核で命が失われ、民族問題や女性差別などが事態を複雑にしている。援助する側が「してあげる」との意識を持つ限り、彼らとの溝はなかなか埋まらない。

 喜多は話す。「相手の立場で考える。無意識の偏見や差別に気付き、周囲や自らの意識を正す。そうした方向への社会の発展に道を開く新しい学問が必要だ」と。

 「僕がここにいる。そのことを認めてほしい」と、ある陽性者はつぶやく。

 予防啓発と検査に偏り、当事者を置き去りにしてきたといえる日本のエイズ対策。「それを神戸から見直したい」。繁内の言葉には熱がこもる。

 「差別、格差、生きるということ。エイズを通して見えることはたくさんある。エイズを学ぶんじゃない。エイズで、社会の姿を学ぶんです」

 課題の多い日本のエイズ対策だが、医療面では世界的な高水準にある。助成制度が充実し、高価な薬品も利用しやすいためだ。

 神戸市立医療センター中央市民病院は、エイズ拠点病院の一つ。医師や看護師・薬剤師・医療ソーシャルワーカーら約二十人でつくるサポートグループが、治療から服薬指導・福祉制度の利用まで、きめ細かく患者を支える。

 薬を数日のみ忘れるだけで薬剤に耐性のあるウイルスができる恐れがあるため、投薬治療は気が抜けない。「無理せず服用し続けられるよう、投薬を始める前に患者さんと十分話し合うことが重要」と、薬剤師の登(のぼり)佳寿子(かずこ)(31)。

 患者との接し方にも気を配り、主任看護師の早川悦子(43)は「臨床心理士に心構えを聞く」。それでも、看護師の米原(よねはら)純子(じゅんこ)(39)は「家族や職場への感染告知をどうするか、世間の偏見がケアを難しくしている」と指摘する。

 ただ、病状が安定して日常生活に問題がなければ、開業医が診療することも可能だ。神戸市内の個人開業医(59)は、拠点病院と連携し、九年前から安定期の患者を診療する。早朝、診察を受けて出勤する患者もいる。「時間の融通が利くのは開業医の利点です」

 HIVを「慢性疾患」として治療する状況が広がるにつれ、陽性者の長期ケアが課題となる。拠点病院と一般医療機関の連携が不可欠だが、まだHIV陽性者の治療自体を避ける病院が少なくないのも、大きな課題だ。

 そんな状況を変えていこうという動きもある。兵庫県内の医療関係者有志が三年前に設立した「エイズネットワーク連絡会」だ。

 神戸市保健所に事務局を置き、定期的な研修会で長期的・包括的ケアの実現に努めている。連絡会の立ち上げにかかわった同市兵庫区保健福祉部主幹の白井千香(ちか)(45)は「無理せず、自分のできる範囲で構わない。治療に参加しようという医師の数が増えれば」と、息の長い取り組みを目指す。(敬称略)

(文化生活部・溝田幸弘)

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