第6部 美の冒険者たち

(2007/09/02)

(1)旅するアーティスト
地球の力彫刻に注ぐ 文明との融和を探究
「風はこの星の基本的な要素の一つ。私は目に見えない風を視覚化し、作品にする」と話す新宮晋=三田市藍本のアトリエ(撮影・大山伸一郎)

 「この星に生まれてきたことが、どれだけ幸せで素晴らしいことか。そんなメッセージを伝えたかった」

 「風の彫刻」で知られる世界的造形作家新宮晋(すすむ)(70)=三田市=が静かに振り返る。

 温暖化など病める地球の現状に心を痛める。「環境と文明の関係を考え直すきっかけに」と七年前、風車にも似た自らの作品を携え、一年半がかりで世界六カ所を巡るプロジェクト「ウインドキャラバン」に挑んだ。北極圏の凍結湖、モンゴルの草原、モロッコの岩山、ブラジルの大砂丘…。過酷で雄大な風景の中に自作を置き、自然の美をアピール。現地の子どもや先住民たちと交流した。

 「伝えるメッセージより逆に教えられる方が多かった」

 計画は、資金もなく、無謀とも言えたが、理念に共鳴した友人の協力・支援を取り付けた。建築家レンゾ・ピアノや安藤忠雄、神戸出身の美術評論家中原佑介(76)、オランダの振付家イリ・キリアン、仏エルメス社の会長らと現地の人々をも多数巻き込んだ。

 最初の展示会場は、自らのアトリエ前に広がる水田だった。夜には作品がライトアップされ、ホタルが飛び交った。三田で展示後、作品はコンテナに積み込まれ、神戸港から世界へ向けて船出した。

 準備を含め、プロジェクトでの移動距離は実に地球十周半にも上る。子どもの笑顔に力をもらい、先住民らの鋭敏な感覚や知恵に驚き学んだ旅だった。「人間もこの星に生きる動物にすぎないと、あらためて実感した」

 神戸出身の国民的画家小磯良平(一九〇三―八八年)とは遠縁の親類で、東京芸大でも小磯の教室に学んだ。画家志望だったが、留学先のローマで立体造形の作家に転じ、風や水で動く彫刻で国際的な評価を確立した。奇想天外、優雅な舞≠披露する作品は、世界各地の公園や広場で人々を楽しませている。

 「風は地球の呼吸」「私の作品は、目に見えない風や水のエネルギーをとらえるアンテナのようなもの」

 エコロジーへの関心を深めていったのも、自然な成り行きだった。少年時代、大空にあこがれ、人力飛行機を手作りし、小型飛行機の免許も持つ。新宮自身が「風」であり、地球の声を聞き取り、人々に伝えるシャーマンのごとき存在なのかもしれない。

 今新たな夢を描く。風力や太陽光といった自然エネルギーだけで自立する村「呼吸する大地」の建設だ。そこには学者や技術者・芸術家らが集い、未来の地球の在り方を研究する。構想段階だが「実現すればそこに移り住みたい」。

 国境やアートの枠組みを軽々と超えるその思考。まさに自身が言う「地球遊牧民」らしい生き方だ。(敬称略)

作品に込めた「生命の歓喜」
「人間の本質」追い求め、世界をさまよう
世界を旅した画家・中西勝。自宅には各地の民族芸術品などがあふれる=神戸市東灘区(撮影・斎藤雅志)

 「死を覚悟した軍隊経験と世界放浪の旅が、人生の根底にある」

 風ぼうが仙人を思わせる中西勝(83)は神戸洋画壇の重鎮である。県内最大の洋画団体「神戸二紀会」を率い、今も日々、絵筆を手にキャンバスと向き合う。その画業の転機となったのが、四十代初めの放浪生活だった。

 海外旅行が個人に解禁されて間もない一九六五年十月。妻と二人で移民船「あるぜんちな丸」に乗り込み、神戸港をたった。「絵を勉強したかったわけではない。外国の人々の生活と喜怒哀楽を、この目で確かめたかった。何が『本当の人間』かが知りたかった」

 船内の図書室で小田実(まこと)の体験記「何でも見てやろう」を見つけた。「ではオレは何でも見て何でも食ってやろう」と誓った。

 太平洋を越え、米ロサンゼルスへ。街行く多様な民族に衝撃を受けた。動物的ともいえる彼らの生命力に。メキシコでは、先住民サポテコ族の集落に長期滞在し、ガテマラではトカゲやワニも食べた。

 気ままな足は北欧やドイツ、フランス、イタリア、スペイン、北アフリカへも向く。改造車をキャンピングカーに仕立てた貧乏旅行は、二十数カ国に及んだ。

 旅先で、深く心に刻まれたのはメキシコとモロッコだ。「イタリアで見たルネサンス名画のマリアより、インディアンの女性が一生懸命生きている姿に“強い美”を感じた。大地に生きる人々のたくましさに引きつけられた」

 帰国後、そんな思いを画布にぶつけた。「大地の聖母子」。七二年、洋画界の芥川賞とも呼ばれる「安井賞」に輝いた。どっかりと腰を下ろした先住民の母子を、真正面から画面いっぱいにとらえた油彩だ。一度は戦争で人間に絶望した男が、大地からわき上がるような生命の歓喜に触れ、画家として大きく生まれ変わる旅だった。

 海へと開かれた港都・神戸を抱えるからだろうか。兵庫には「旅」や「異国」と縁の深い美術家たちが少なくない。神戸ゆかりの巨匠、小磯良平と東山魁(かい)夷(い)は戦前、既に仏・独に留学。西欧の歴史や伝統に触れ、創造の糧とした。戦後も多くの画家や彫刻家が、「美の都」パリやローマを目指した。

 神戸出身の菅井汲(くみ)(一九一九―九六年)の画才は、そんなパリで花開いた。「S」字などをモチーフにした、幾何学的で明快な抽象画は国際的に評価され、コスモポリタン(世界人)として生きた。

 黒く塗りつぶした抽象作品で知られる松谷(まつたに)武判(たけさだ)(70)は、パリ暮らし四十年。西宮と行き来して活動するが、「日欧のはざまで、日本人としての感覚を自覚した」。

 中西の盟友でライバルでもあった神戸二紀会の西村功(いさお)(一九二三―二〇〇三年)は「メトロ(地下鉄)の画家」と呼ばれ、終生、パリの洗練や詩情を深く愛した。

 同じ会の鴨(かも)居(い)玲(れい)(一九二八―八五年)も南米やスペインに新天地を求め、異境の空で画境を深めた。ダンディーな人気画家だったが、作品は重厚で内省的。人間の孤独や不安・絶望を凝視した。悩める魂は自らの死をも欲した。その人生の旅路は「自分探し」の、長く苦しい彷(ほう)徨(こう)だったかもしれない。

 近年、国内外で「アーティスト・イン・レジデンス」と呼ばれる取り組みが人気を呼ぶ。公的機関や民間施設が芸術家を招き、滞在制作してもらう試みだ。西宮の山村幸則(35)は、そんな流れに乗り独や米、タイ、ケニアなどで立体オブジェを制作・発表してきた。

 「異文化や土地ごとの歴史風土、人との出会いが刺激となり、創作のヒントになる」と言い、「場」にふさわしい表現を模索した。だから素材も鉄や木・樹脂と多彩で、手法もその都度、大きく変わる。ナイロビでは、スラムの少年らを巻き込み、共同制作した。

 「現地に残す作品は僕がそこに居た証明で、足跡のようなもの。でも徐々に、モノとしての作品ではなく、現地の人たちと共有した時間や記憶の方が大切に思えてきた」と自らの変化を語る。

 一方、神戸生まれで、ベルリンを拠点に活躍する島袋(しまぶく)道浩(38)は「旅そのものを作品化」する不思議なアーティストだ。

 「最近は、旅が当たり前になった。だから旅をしているという感覚があまりない。渡り鳥が空を飛び、宅配便のお兄さんやタクシーの運転手が、いつも車で走っている感じに近い」と、ほほ笑む。

 二十歳のころ、初めて欧州十一カ国を周遊した際、ロンドンの地下鉄で片方のまゆ毛をそってみた。アンバランスな顔になったおかげで変わった人物と話す機会に恵まれ、仲良くなった。日本では、瀬戸内で捕らえた明石ダコを生きたまま日本海や東京へ連れて行ったり、自身の名前と似たシマフクロウを探しに、列島を縦断して北海道までヒッチハイクしたり…。

 旅先での出会いや会話をビデオや写真・絵・詩のような言葉で再現し、人々に伝える。「作品」の本質は、最後の完成物よりむしろバカバカしくも愉快な「旅のプロセス」そのものであることに気づく。つまりは、人とのコミュニケーションこそが作品なのだ。「吟遊詩人」の世界を今に生きる。

 人は旅する。未知なる人や場所を求めて。兵庫から世界へ。世界から兵庫へ。人は流れ人は出会う。

 「人はどこから来て、どこへ行くのか」。近年、中西はそんな根源的主題に挑む。制作中の大作「雲は流れて」もその一つ。かつて巨匠ゴーギャンが、南洋の楽園タヒチで追い求めたテーマでもある。(敬称略)

(文化生活部・堀井正純)

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