ひょうご防災新聞  Disaster file

21.常時微動

(2006/02/19)
住宅耐震診断に新手法/補強後の効果、迅速に評価

  地盤や建物は地震時でなくても、車や電車の振動、風などにより、人には感じられないほどごくわずかに揺れている。「常時微動」と呼ばれるその揺れを測定することで、住宅の耐震性能を診断しようという研究を、産官学の研究者らによる「神戸の地盤・減災研究会」が進めている。外観の目視による従来の耐震診断では分からなかった住宅内部の傷み具合、耐震補強をした後の効果も、迅速で簡単に評価できるという。同研究会の測定作業に同行した。

 同研究会は、一九八一年五月以前の旧耐震基準で建てられた神戸市内の木造住宅のうち、市すまいの安心支援センターで一般耐震診断を申し込んだ希望者に対し、併せて常時微動の測定を無料で実施。二〇〇四年秋から始め、すでに約五十棟を測定した。

 今月一日、同市長田区滝谷町の佐藤康人さん(68)宅に、独立行政法人・防災科学技術研究所地震防災フロンティアセンター(同市中央区)の堀江啓研究員ら測定者三人が訪れた。築三十年の木造二階建て住宅。「阪神・淡路大震災では外観はほとんど被害がなかったが、見えない部分で傷んでいないかと気になって」と佐藤さん。堀江研究員らは早速、常時微動を測定するセンサーを二階に二カ所、一階と屋外の地盤上にそれぞれ一カ所ずつ設置した。

 センサーのコードをノートパソコンに接続し、余分な振動が起きないよう屋外で待つこと約十分。パソコン画面には常時微動による佐藤さん宅の「固有周期」を示すグラフが映し出された。固有周期とは、いわば振り子が振れたときに元の位置に戻るまでの時間で、建物によって違う。一般に地震に強い建物ほど周期は短くなる。測定データの分析結果では、固有周期が0・144秒より短ければ、一般耐震診断の結果(一般診断値)で「一応、安全」となり、逆に0・193秒より長ければ、「やや危険」や「倒壊または大破壊の危険」と判定される可能性が高いという。

 佐藤さん宅は、南北方向の固有周期は0・13秒で「合格点」。しかし、東西方向は0・18―0・19秒で、一般診断値の危険ラインに近かった。堀江研究員は「東西方向の揺れに強くするため、家の南面に壁を増やすことをお勧めします。後日報告する詳細な結果や一般診断値と併せ、補強を検討してみてください」と説明。佐藤さんは「東南海・南海地震が起きれば、神戸でも相当揺れると聞いている。真剣に考えたい」と答えた。

 これまで一般的な耐震補強を施した住宅は、いずれも固有周期が補強前より短くなった。堀江研究員は「ねじれの発生など揺れ方の特徴も図で示せる。将来は各自治体に一般診断と併せて取り入れてもらえるよう、データを増やして精度を高めたい」と話す。

【Q】マグニチュードと震度の違いは

【A】 マグニチュード(M)は地震そのものの規模を示し、震度はある地点での地面の揺れの大きさを表す。マグニチュードは一つの地震に対して一つの値しかないが、震度は場所によって異なる。

 Mが「1」大きくなるとエネルギーは約32倍、「2」大きくなると約1000倍になる。M7以上が「大地震」で、M8以上を「巨大地震」と呼ぶこともある。兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)はM7.3(2001年にM7.2から修正)。

 震度は日本の場合、「気象庁震度階級」で表示され、0から7(5と6のみ「強」と「弱」の区別あり)までの10段階。震度6弱で人は立っていることが難しくなり、震度6強では耐震性の低い建物が倒壊する。

(記事は社会部の石崎勝伸、田中陽一が担当しました。)


災害の記憶  吉川 邦夫さん(69) 美方郡香美町香住区

三八豪雪  積雪3―4メートル、高校体育館も倒壊

 後に「三八(サンパチ)豪雪」の名で語り継がれる大雪が降った一九六三(昭和三十八)年一、二月。休む間もなく降り続いた雪の深さは、私たちの二十世紀梨(なし)農園で三―四メートルに達し、長い時間をかけて育てた木の高さ(約一・八メートル)を優に超えてしまった。

 自宅の二階から出入りして農園に向かい、一本でも救うために雪を掘ったが、枝や幹が見る間に折れた。一冬で、二十人近くの農家が梨の栽培から手を引き、完成したばかりの梨選果場も、一度として使われることがないままに倒壊した。近くにある県立香住高校の体育館も全壊した。

 当時は道路や線路の除雪態勢が今よりも弱く、住民が総掛かりで雪かきをしても、交通機関は機能不全に陥った。私は、この年の三月に今の妻と結婚する予定だったが、彼女が住む四十キロほど南の美方郡香美町小代区(旧美方町)と香住を結ぶバスが運休。何回も足止めを食らい、結納品を運べなかった。

 当時はちょうど松葉ガニのシーズン。今よりも漁船数が多く、港はにぎわっていたが、せっかく水揚げしても輸送手段が絶たれ、売買が成立しない。そのため、住民が港へ足を運べば、とれたてのカニや魚を、だれでも無料で分けてもらえた。

 この豪雪をきっかけに、私たちの間で「梨だけでは生活が不安定になる」という意識が高まり、副業としてカニ民宿を始める人が増えた。農家がリスクを分け合う共済制度も、ほかに先駆けてスタートさせた。もちろん、出荷量を戻すため、新しい木を購入して懸命に努力した。

 梨農家にとっては、今も昔も雪と台風が大敵。台風は、天気予報の発達で、防風用の網や、実を落ちにくくする薬剤を使うことができるようになったが、雪への備えは十分でない。リスク分散の考え方は、これからも必要だろうと思う。

(聞き手・井原尚基)

 
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