ひょうご防災新聞  Disaster file

23.自動販売機

(2006/03/19)
増える災害時対応型/無料化や避難情報提供

 日本は、清涼飲料水の自動販売機だけで二百万台以上あり、米国に次いで世界第二位の「自販機大国」。その設置台数の多さを生かし、地震などの災害時に活用する試みが広がっている。飲料の無料化や避難情報の提供―などだ。自販機の災害対応について現状と可能性を探った。

 阪神・淡路大震災では水道管が破断し、応急復旧に三カ月かかった。備蓄の飲料水は量に限りがあり、道路網の寸断で救援物資や給水車の到着も遅れた。一方で、被災地の自販機も全体の約二割が転倒したと推定されている。

 これらを教訓に、JIS規格や業界の自主基準で転倒防止策が強化され、災害時に飲料を無料で取り出せるように設定できる「災害対応型自販機」も開発された。管理上、設置場所は公共施設などに限られるが、日本自動販売機工業会によると、現在、全国で千台を超える。兵庫県内では今年二月、飲料メーカーの伊藤園が神戸市東水環境センター(同市東灘区)に置いたほか、ダイドードリンコ、近畿コカ・コーラボトリングなども近く設置する予定だ。

 停電時も使えるよう非常用バッテリー付きが多く、自治体職員らが手動で無料に切り替える方式と、無線による遠隔操作で切り替える方式がある。自販機の中身は通常、満杯で飲料四百―五百本。〇四年の新潟県中越地震では実際、補充分を含め約千五百本が無料で被災者に提供された。
全国清涼飲料工業会などが〇三年、五百人の消費者を対象に実施した調査では、「清涼飲料自販機にどのような機能やシステムがあればよいと思うか」(複数回答)との質問に、33・8%が「災害時の飲料提供」、14・4%が「災害時などの情報発信、中継機能」と答えた。これに応じる形で、無料化できる自販機が増え、被害や避難の情報を知らせる電光表示板付きの機種もすでに登場している。

 身近なところでは、設置場所の住所を表示したステッカーの張り付けも進む。携帯電話などで警察や消防に通報する際、周りの自販機を見れば正確な住所が分かるようにするのが狙いだ。さらに、専用装置に非接触ICカードをかざすだけで飲料が買える自販機が導入される中、大阪市立大大学院の中野潔教授(社会情報学)らは、災害時の帰宅困難者が避難中、自販機からカードで現在地を家族に知らせることができる仕組みを提案している。

 無料提供分の飲料や割高となる自販機のコストは飲料メーカーにかかり、負担は小さくない。しかし、自販機が街の景観や空き缶の散乱などの問題で逆風にさらされる中、各社の担当者は「社会貢献を通じ、その役割を見直してもらいたい。今後も災害対応型を増やしたい」と話す。

【Q】災害時のトイレ対策は?

【A】 断水で水洗トイレが使えなくなることを想定し、風呂には水をためておこう。自宅が被害を受け、大勢の人が集まる避難所で生活することになれば、問題は深刻。仮設トイレが設置されるまでには時間がかかり、避難所のトイレはすぐに汚物でいっぱいになる。段ボール箱にごみ袋をかぶせて代用するなど、身近にあるものを活用しよう。緊急時は、大人用おむつも役立つ。  

 排せつ物を運動場などに放置しないこと。仮設トイレはすぐ満杯になるので、トイレットペーパーは別の袋に入れる。また、トイレの回数を気にして水分補給を控えると、命にかかわる。病気や障害のある人が優先してトイレを使えるよう、互いに気を配ろう。

(記事は社会部の石崎勝伸、森信弘が担当しました。)


災害の記憶  岸本與一さん(85) 豊岡市畑上

北但大震災  自分の身は自分で守る

 一九二五(大正十四)年五月二十三日午前十一時十分。旧豊岡市や旧城崎郡城崎町に甚大な被害をもたらした北但大震災は起きた。

 大きな揺れの中、四歳だった私は、母親に抱きかかえられて家から飛び出した。家の前の蔵はつぶれていた。道路も割れて、泥水が噴き出していたのを覚えている。

 家は傾き、一カ月ほど中には入れなかった。みんな材木や布で避難小屋を建てた。私たち家族は、隣の畑に高さ四メートルほどの小屋を造り上げた。この辺りは炭焼きをしていたので、材木が十分にあった。屋根にはわらを敷いた。

 今のように行政がやってくれる炊き出しなどない。共同炊事場があり、食べ物はそこでもらった。そのとき、熱いご飯でもお茶わんを二つ合わせておにぎりにできる方法を教えてもらった。

 二三年に関東大震災が発生したとき、兵庫県からいち早く慰問品を送ったといい、恩返しに東京から慰問品が届いていた。タオルを縫い合わせた袋に歯磨き粉や鉛筆、ノートやあめ玉、キャラメルなどが入っていた。それをもらいに行くのが楽しみだった。

 付近の家はみんな蚕を飼っており、暖炉を持っていたから、大火になる危険性があった。しかし、消防団員が火を出さないよう呼び掛けて回ったことで、火事を防ぐことができた。

 別の集落の人に聞いた話だが、若い女性が材木の下敷きになり、のこぎりで材木を切って助けようとしたが、火が迫ってきて途中であきらめたという。後で材木の上に乗っていた柱を除けば簡単に助けることができたことに気付き、今も悔やまれると言っていた。人間、慌てたら助けられるものも助けられなくなってしまうものだ。

 小学校に呼ばれて当時の話をするときには、「自分の身は自分で守れるようになれ」と言っている。行政が動くまでに自分はどうするか考えておかなければならないと思う。最近の人は、何でもお金を払って業者にやってもらうことが多いのが気掛かりだ。

 
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