ひょうご防災新聞  Disaster file

57.原発の被災

(2007/08/19)
想定の甘さ 住民ら衝撃/耐震性の再点検急げ

 新潟県中越沖地震では、原子力発電所が世界で初めて大きな地震被害を受け、住民や関係者に衝撃を与えた。運転中の原発は、兵庫県に近い福井県の若狭湾沿岸に、全国最多の十三基。浮き彫りになった課題、電力各社などの対策を報告する。

 新潟県柏崎市の東京電力柏崎刈羽原発では、地震の揺れの強さ(加速度)が、設計時の想定を大幅に上回り、損傷やトラブルは約千五百件に達した。加速度の想定超えは、宮城県沖地震(二〇〇五年八月)で東北電力女川原発が、能登半島地震(〇七年三月)で北陸電力志賀原発が既に経験しており、想定の甘さが指摘されていた。

 国の原発耐震指針は昨年九月に改定され「未知の断層による最大の地震を想定する」とした。ただ、この新指針に基づく耐震性の再点検は、若狭湾沿岸にある関西電力美浜、大飯、高浜の各原発で〇九年十二月まで、日本原子力発電敦賀原発でも〇九年三月までかかる予定。中越沖地震を受け、経済産業省は各社に前倒しの検討を指示した。

 しかし、この新指針も万全でないとの指摘がある。神戸大の石橋克彦教授(地震学)は、原発ごとに揺れの強さを設定する際「電力会社、国の恣意(しい)性が入り込む余地が大きい」と批判。新指針を策定する原子力安全委員会の分科会委員を、決定直前に辞任した。今、「新指針をあらためて見直すべきだ」と訴える。

 石橋教授は「日本海側の海岸線直下や沖合の海底で地震が多発している。若狭湾沿岸でいつ起きても不思議でない」と警告。福井県沖の隠岐トラフ(海底の深み)南東縁の断層群でマグニチュード(M)7・6の大地震が起きた場合、若狭湾沿岸で最大の津波が四メートルを超えるとのシミュレーション結果を発表している。

 柏崎刈羽原発では、変圧器で火災が発生したが、鎮火までに約二時間もかかった。油火災に対応する化学消防車が配備されていなかった上、電話の不通で自衛消防隊も招集できず、多くの出動要請の対応に追われていた地元消防を待つだけだった。大地震では同時多発火災が起き、自治体消防の対応力にも限界があるという阪神・淡路大震災の教訓は生かされなかった。

 これを重く見た経産省の指示で、電力各社は、原発での化学消防車の配備▽初期消火要員の増員▽消防への専用回線設置などを計画する。一方、柏崎刈羽原発では、心臓部の原子炉本体は、まだ点検できていない。内部の状況次第で、今後の原発のあり方が大きく変わる可能性もある。

 石橋教授は「地震災害と放射能災害とが複合する『原発震災』のリスクを全国できちんと評価し、その危険度の高い原発から段階的に縮小すべきだ」と主張している。

【Q】BCPとは?

【A】災害やテロなどに備え、企業などが事業を早期復旧させるために作っておく計画。「Business Continuity Plan(事業継続計画)」の略。

 日本では2003年、中央防災会議に「民間と市場の力を活(い)かした防災力向上に関する専門調査会」が設置され、国レベルでの本格的な取り組みが始まった。05年、内閣府が「事業継続ガイドライン」を策定。情報システムのバックアップ、事務所や工場などの拠点確保、社員の安否確認といった点について対策を求め、地域への貢献も重視するよう促している。しかし、計画を策定している企業は少なく、特に中小企業では普及が進んでいないため、兵庫県は本年度、中小企業向けの指針づくりを進めている。

(記事は社会部の石崎勝伸、森 信弘が担当しました。)


災害の記憶  新潟県柏崎市 石黒正さん(59)

新潟県中越沖地震  2度の被災、住宅再建に不安

震度6強の揺れで、大きく損傷した家屋=7月、新潟県柏崎市内(撮影・藤家 武、写真と本文は直接、関係ありません)

 約一カ月前の七月十六日午前十時十三分。自宅の庭で家庭菜園のキュウリをいじっていた私は、ドーンと突き上げるような衝撃を受けた。続いて激しい揺れに襲われ、歩くこともできなかった。

 そのとき、息子の嫁と小学二年生の孫が家の二階にいた。あわてて長靴をはいたまま、家の階段を駆け上がった。

 二人とも無事だったが、自宅はひどくやられてしまった。食器棚から、中身が全部飛び出して割れた。冷蔵庫もとんでもない場所にまで飛んでいた。ガラスも散乱し、はだしでは歩けない状態だった。ショックだったのは、一階から二階までの通し柱が傾いていたこと。もう駄目だと思った。

 三年前の中越地震でも、自宅は半壊した。基礎がずれたりして、昨年の夏に修理が終わったところだった。筋交いを多くしたり、外壁を強化したりしていた。大金をつぎ込んだのに。今回は、前よりずっと被害が大きかった。

 あまりにショックが大きく、ぼう然としてしまった。まさか、生きている間に、これほど大きな地震がまた来るなんて思いもしなかった。

 自宅は、住むことができなくなったので、前の道路で二日間、ブルーシートでテントを張った。夜は、座布団を敷いて寝た。

 今も車庫で暮らしているが、今月末にも仮設住宅に入居できることになった。ただ、入居期間は原則二年間と決まっている。自宅を建て直したいが、住宅再建のめどが立つのか心配だ。

 国の被災者生活再建支援法は「条件が多くて使えない」とみんな言う。私の家も息子夫婦と暮らしていて、世帯収入が引っかかってしまう。

 来年、勤めている会社を定年になるので困っている。銀行もお金を貸してくれないだろう。国はもう少し温かい支援をしてほしい。

 
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