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クラシック・コンシェルジェ

第54回 新国立劇場オペラ劇場
リヒャルト・ワーグナー 「ニーベルングの指環」〜楽劇「ラインの黄金」(全1幕、ドイツ語上演日本語字幕付き)公演リポート

  新国立劇場で01年から毎年1作ずつ制作され、英国の演出家キース・ウォーナーによる大胆な読み替えで話題となったワーグナーの「ニーベルングの指環(リング)」待望の再演がスタートしました。その第1弾として楽劇「ラインの黄金」が3月7日から18日の間、計5回上演されました。私、小谷和美は、年明けからコンシェルジェの猛特訓?を受けながらミッチリ予習を重ねた上で、初日の公演に臨みました。クラシック音楽やオペラに本格的に取り組み始めて約1年、私の記念すべき「リング」初体験をリポートします。

第1場 アルベリヒ登場のシーンでは、キングコングのマスクを被っている

 アメリカン・ポップカルチャーのようなテイストの舞台装置などから「トーキョー・リング」と呼ばれるこのプロダクション。神々の住むヴァルハル(ワルハラ)城はハリウッドを連想させる映画スタジオ、もしくはWマークなどで表わされる。今どきの東京のノリをうまくつかみ、ゲーム感覚すら感じさせるのだが、コンシェルジェの見解では、ワーグナーの描こうとした本質に意外なほど忠実な演出でもあるという。欲望と欺まんに満ちた神々と人間の権力闘争。それは現代の世界情勢にも身近な社内事情にも置き換えてもシックリくる。ワーグナーはヴォータンを崇高な神ではなく、人間らしく描くことで、人類の普遍的本質を暴いたのではないか。私にはこのこと自体が読み替えの手法に感じられた。ライトモティーフ(示導動機)と呼ばれる短いフレーズがアイコンのように機能する。ラストでは先の展開を暗示するかのように「ノートゥング(剣)の動機」が高らかに鳴る。その時、私にも1つの読み替えが浮かんだ。「ワーグナーは天才にあらず。神である」。

ヴァルハル城建設費の支払いを巨人に迫られて、ローゲを
呼び出すヴォータン

 初日のカーテンコールで最も盛大な喝采を集めたのは、アルベリヒ役ユルゲン・リンです。彼の演技と歌唱には愛欲を捨て、呪いをかけたりするという常人には想像しえない行動すら、思わず納得してしまうほどの説得力がありました。
 また、ウォーナーもアルベリヒという役の個性を、彼のコンプレックスを強烈に強調することで見事に描き出していたように思います。例えば彼が支配する地底の国ニーベルハイムでは、コートを着た美しい金髪女性を連れている。彼女を弄ぶシーンで、コートの中がラインの乙女と同じ白い水着姿であることが明らかになる。そこで冒頭、彼がラインの乙女たちに嘲笑され、負わされた心の傷が露になるのです。肉欲に溺れるアルベリヒに対して、哀れみさえ感じてしまいます。その後ローゲにだまされ、ヴォータンにも指環を奪われると、絶望し指環に死の呪いをかける。このシーンで自らの下腹部に刀を突き刺すのですが、もしかすると愛欲を捨て手に入れた指環を奪われて、肉欲をも差し出したということなのでしょうか。アルベリヒが憎めない存在に思えてしまうほどのキャラクター作りがなされていました。

 ほかにも「ラインの黄金」に登場する様々なキャラクターの男性たち。ご都合主義で判断がブレる神々の長ヴォータン。神なのに自分たちのことばかりで、人間たちの幸せなどまったく考えていません。そんなヴォータンを演じたユッカ・ラジライネンについてコンシェルジェは「03年に新国立劇場で楽劇ジークフリート≠フさすらい人(ヴォータン)を演じた時には、のどの調子が悪かったせいもあり、本領を発揮するには至らなかった。その後、バイロイト音楽祭などで大きな役を次々こなし自信がついたのか、今回は安定感のある歌唱と役を掘り下げた演技で十分な存在感を見せた」と好評価していました。
 また、悪知恵を働かせるヴォータンの参謀ローゲ。口先三寸の胡散臭さを感じさせる個性的な演技を披露したトーマス・ズンネガルドはまさにハマり役でした。 弟ミーメは指環の力で地底の権力者となった兄アルベリヒの言いなり。元祖草食系男子ともいえる幸福の神フローなど。以前流行した動物占いのように「ニーベルングの指環占い」を作ったら貴方はどのキャラでしょう?いずれにもぴったりの人物が思い当たって、ニヤリとしてしまいます。

ラインの乙女たちは最初赤ちゃん姿で登場し、次々に衣裳を替えて
いき、最後は水着姿に(C)Matthias Creutziger

 ワーグナーは女性も実によく観察していると思います。冒頭のラインの乙女たちの「ヴァイア ヴァーガ、ヴォーゲ ドゥー・ヴェレ…」などという、頭韻を踏んだだけであまり意味のないような歌詞。ワーグナーには集まってはペチャクチャとおしゃべりに夢中になる女性の声が、そのように聴こえていたのかもしれません。事象の本質や特徴が自然と音になって感じられていたのではないかと想像してしまいます。ラインの動機は水面に光をキラキラ反射させながら流れている川。火の神ローゲの動機はメラメラと揺れ動きながら燃える炎。ヴァルハルの動機は遥か遠くにそびえ立つ城が見えるかのうように感じられる。しかも同じ動機が鳴るとその度に抱いた想いが積み重なり、感慨深くなっていきます。

智の神エールダは謎めいたキャラクター。
舞台セットのジグソーパズルのピースの1つ
から登場する仕掛けには驚かされた

 さて、「トーキョー・リング」の「ラインの黄金」は、2001年3月にプレミエ上演されました。01年といえば、「9.11米国中枢同時テロ」が発生した年です。「ラインの黄金」のプロダクションはこの大惨事が起きる前に作られたもので、当時の米国や米国的な文化への批判が随所に散りばめられています。今回の再演にあたってウォーナーが来日しなかったことを、コンシェルジェは残念がります。恐らくその時とは大きく変わった米国の状況を踏まえて演出をブラッシュアップしたはずだと。確かに、今ならローゲは外資系証券マンだったのかもしれません。

雷神ドンナーが起こした稲妻でドンという大きな音とともに舞台が
割れて、幸福の神フローがかけた虹の橋の舞台が音も無く出て来る。
新国立劇場のハイテク機能の威力が発揮された場面

 さまざまなメッセージが詰め込まれたこのプロダクションの中でも特に印象に残ったシーンを書き留めたいと思います。第4場のヴァルハル城へと続く虹の橋。左側にWAL 右側にはHALLという立体の文字が立て掛けられています。HALLはおそらく映画スタジオのホール。釈迦、イエス・キリスト、シヴァ神などの神々がアニメのキャラクターのような風貌で、招待状を持って集まって来る。その下では黄金を盗まれて嘆くラインの乙女たちが下を通り過ぎていく。3人はなぜかスーパーマーケットのカートを凄惨な姿で押している。「上の方で得意になっているのは卑怯と欺瞞の塊なのよ!」と歌いながら過ぎ去る姿は、スーパーで1円でも安いものをと買い求める一般市民が、政治家や富裕層に対して抱いているイメージを代弁してくれているかのよう。

ラストシーン 神々がヴァルハル城に向かう虹の橋に集まる。
まるでマンガのキャラクターのよう
※写真はすべて新国立劇場提供 (C)三枝 近志

 そんな様子を横目に見ながらローゲは神々の支配の終焉を示唆する。見終わった後、もしかすると、WAL HALLのWALには米国の大手スーパーマーケット「ウォルマート・ストアー(Wal-Mart Stores)」のWalの意味も込められていたのかもしれないなどと、ウォーナーの仕掛けた謎解きに熱くなる私。コンシェルジェは戒めます。「あまり細かいことにこだわり過ぎると最も大切な作品の本質を見落としてしまう。ワーグナーの言わんとしたことを、ウォーナーはきちんと踏まえて演出しているので目先のことだけではなく、もっと根源的なことを感じ取ってほしい」と。確かにおっしゃる通りです。でも、謎解きやいたずらのようなさまざまな仕掛けについて「気にするな」と言われてもそれは無理。やはり、そこにどんな意味があるのかついつい考えてしまいます。「リング」初体験の私が一瞬たりとも退屈せずにこれほどまでに熱くなれる舞台作り。彼の演出が各方面から高く評価されている理由の一端が分ったような気がします。

 原稿を書いているうちに、さらにひとつの疑問が沸き起りました。もしかすると、私たち観客・聴衆も神々と一緒に招かれている客だったのかもしれないと。そういえば、オーケストラによる序奏が始まったその後ろで、ヴォータンが映写機を私たちのいる客席に向けて回していたことを思い出します。これは絶対に何かを意味しているはずです。コンシェルジェにその疑問をぶつけてみると「来年神々の黄昏≠ワでを見終えれば、きっとその答えが分かるはず。今はあまり結論を急がずに来月ワルキューレ@年2月にジークフリート≠ニひと作品ずつ観ながらジックリ考えていきましょう。登場人物と歩みを同じくするように長い時間をかけて、さまざまに思いを巡らしていくこともリング≠ニいう超大作を鑑賞する大きな楽しみでもあるのです」との答え。早く先を観てみたい、来年まで待てません…。

 さて、今回のチクルス上演で指揮はドイツなどで活躍中の若手、ダン・エッティンガーが務めます。現代屈指のワーグナー指揮者のひとりであるダニエル・バレンボイムの薫陶を受けた彼ですが、さすがに「リング」は初挑戦とのこと。開演前、ピットの中を覗いてみると約100人もの東京フィルハーモニー交響楽団のメンバーがひしめき合っていました。
そこから紡ぎ出されたサウンドは、タップリとした量感にあふれたもの。聴かせ所に差し掛かるとテンポを落として丁寧に演奏させていくエッテインガーの指揮ぶりに初心者マーク≠ヘ不要です。「前回のチクルスでも前半2作を東京フィルが担当していたが、今回の方が安定感も増しており、厚みのあるワーグナーらしいサウンド作りがなされている」とコンシェルジェ。さらに続けて「次のワルキューレ≠ナはライトモティーフの扱いがより複雑化し立体構造となっていく。半音階技法の前段階的な要素も登場するなど音楽は格段に深まるってくるので、予習をしっかりしておくように!」。ヴォータンではなくてコンシェルジェからの指令に、私の頭の中にはワルキューレの動機が鳴り響きます。「ハイヤー!ホヨトホー!(ワルキューレたちのかけ声)」…。

小谷 和美

【小谷 和美】
 TBSのデジタル&インターネット・ラジオOTTAVA の広報担当。インテリア・ブランドのプレス、FM放送局の広報を経て、開局から OTTAVAの広報を務める。デザイン、アート、ファッション、エンターテイメントなどの分野でPRディレクターとしても活躍。昨年4月にクラシック・コンシェルジェの企画スタート以来、公演のリポートを担当。デュトワ指揮NHK交響楽団の演奏に感動しクラシックの素晴らしさに開眼。昨年来、首都圏でのワーグナー作品を取り上げた公演はすべて制覇し、「トーキョー・リング」に備えた。


作品データ
台本 1852年、リヒャルト・ワーグナー
作曲 1854年、リヒャルト・ワーグナー
初演 1869年9月22日 バイエルン宮廷歌劇場
日本初演 1969年、東京
設定 神話の時代のライン川周辺
スタッフ&キャスト
芸術監督 若杉 弘
指揮 ダン・エッティンガー
演出 キース・ウォーナー
装置・衣装 デヴィッド・フィールディング
照明 ヴォルフガング・ゲッベル
ヴォータン ユッカ・ラジライネン
ドンナー 稲垣俊也
フロー 永田峰雄
ローゲ トーマス・ズンネガルド
ファーゾルト 長谷川顯
ファフナー 妻屋秀和
アルベリヒ ユルゲン・リン
ミーメ 高橋 淳
フリッカ エレナ・ツィトコーワ
フライア 蔵野蘭子
エールダ シモーネ・シュローダー
ヴォークリンデ 平井香織
ヴェルグンデ 池田香織
フロスヒルデ 大林智子
管弦楽 東京フィルハーモニー交響楽団
公演日程
 3月7日(土)14:00
   10日(火)18:30
   13日(金)14:00
   15日(日)14:00
   18日(水)18:30

【クラシック・コンシェルジェの楽しみ方】
 毎週日曜日付けのスポーツニッポン新聞文化面と、スポニチのWebサイト「スポニチ・アネックス」、そしてTBSのインターネット・ラジオOTTAVAが連動して、クラシック・コンサートやオペラの注目公演と隠れた周辺情報を紹介します。OTTAVAでは毎週金曜日の午後7時から「OTTAVA con brio」で紙面のポイントと関連楽曲を生放送します。日曜日に紙面記事やWebサイトを読みながら、オン・デマンドで音楽が聴けるという今までにない画期的なシステムです。生放送、オン・デマントともに無料で聴取することができます。今すぐ下記のパソコン・イラストのバナーをクリックしてみてください。


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