2008 卯月

 おしりかじりたい、ララララ

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 ・主題別整理版
  上記リンク先の過去の記事(2000/12/6〜2004/5/9)をテーマ別に分類し表題を設定したものです。


戻ります。


4/29
昨日、予習を終えてから帰った。
一応、大学院なので24時間開いてる図書室と、個人用の机とロッカーあります。
民法U、次は予習がらくだと思った。
でも客観的に見ると3時間半ほど。
体が慣れてきたのだろうか。

4/28
つらい。
勉強できない。
というよりも、少しでも時間を浪費すると罪悪感にさいなまれてしまう。
本日も、4時間程度は予習はしたのだが、あとをシレンで浪費してしまった。
明日は民法の復習テストがあるというのに。
というよりも、最大の問題は自身に自信がもてないこと。
無駄に年を重ねたせいか、人を笑えない。
自分も同類だという発想が必ず出てしまう。
今の法科大学院には東京大学法学部も4人いれば、金沢大学や富山大学卒だっている。
侮辱する意図は全くないし、彼らには人間的に好感を抱いているのだが、
その程度の大学を出た彼らが自信に満ち溢れていることに対し、私は東京大学という肩書きが余計に自己の無能さを鮮明にする。
私に法的なセンスがあるのかないのか、この時点で低回してしまう。
まだ少なくとも試験は3年以上先であるのに。
私は無駄に教養をつけすぎたのだろうか。
教官の弁護士などと話しても、彼らはなんて視野が狭いのだとか、斜に構えてしまう。
自分自身は、自己の能力は総合と幅広い知識から来る直感だと認識している。
さほどロジカルな頭脳の構造ではなく、法的思考に向いているのかは全くの不明である。
それでも法曹資格を取得する程度は頭脳の余技として十分に可能だと以前は思っていたのだが、今はその自信がもてない。
勉強をするとはつらいことである。
かつて、理系は文科系より楽(率直に言えば司法試験より楽という意味)だと思っていた。
しかし先日、大学を11時過ぎに帰るころふと悟った。
理系は殆ど求人がないのだ。
(推測だが、基本的に人が死なない限りその補充としての求人はないだろう)
それに比べれば、たとえ3割でも司法試験の合格率がある文科系の方が、はるかに恵まれている。
人の芝生は青く見えるものだった。
全て愚かしいのは己である。

4/20
予想通りというか、予想以上というか、なかなか大変でした。
アメリカではロースクール文学というのがあるそうで、いかにロースクールがつらいかを延々とつづってあるそうです。
童貞ニート日記みたいな読み物だと想像頂けるとちかいのかも。
とりあえず、まだ開始1週間少々ですが、その分量はなかなかのもの。
講義自体は週8回なのですが、一こまの予習に平均すると5時間以上かかっているように感じます。
(時間は体感で正確でない。)
最も近い比喩で言えば、高校数学のようなものかもしれません。
全て予習がしてあることを前提に、授業は生徒を順次指名して発言を求めていきます。
先週は水、木あたりは3時間ほどしかねれませんでした。
もっとも、自ら望んで法科大学院に身をおいたわけであり、その分量に不満はありません。
ただ、今のところはもう少し予習の仕方を考えないと、まず体を壊し、次に心がくじけそうです。
自身の能力が日々試されるというものは前職になかったことなので、割合に充実しています。

4/11
大学院生になってしまいました。
ただ、卒業して得られる学位はなんとも微妙なもので、「法務博士」(専門職)という不可解なものだそうです。
むろん、こちらはおまけであり、本質は司法試験の受験資格が得られることにあるでせう。
とりあえず、勉強に継ぐ勉強があるのみです。
それにしても、3月31日まで仕事をしていたのが嘘のような境遇です。
今のところはですが、勉強をしているのは仕事より楽です。
ただ、まだ生活にもなれず、なかなか机に向かうことも難しい。

  我、生きずして死すこと無し、理想の器、満つらざるとも屈せず。
  これ、後悔と共に死すこと無し

  自らの意志が、強固であるほど様々な試練に苛まれるものだ。
  無論、試練を目前に避ける事も出来れば、逃げる事も出来る。
  だが、試練の真意は、そんな己の心を克服する事にある。

  浮き世に絶対などというものは無く、理不尽な思いを前にして途方に暮れる事もある。
  これを乗り越える為には、確固たる信念と洞察、そして幾分かの行動力を持つ必要がある。

  そして現実はその姿を現す。
  何を求め・・・・・・・・・・
  何を見て・・・・・・・・・・
  何を聞き・・・・・・・・・・
  何を思い・・・・・・・・・・
  何をしたのか・・・・・・・・

  やがて一つの因果は、その意志を元の場所へと回帰させ、記憶の深淵に刻まれた起源の意識を思い起こさせるだろう。
  故に、斑鳩は行く・・・・・・

  それ故に・・・悔いの残らぬよう、やり遂げなさい。
  我、生きずして死すこと無し、理想の器、満つらざるとも屈せず。
  これ、後悔とともに死すこと無し・・・
  わかっていたはずだった・・・私達は、自由を見られるかしら?

  これで、良かったのか?
  大丈夫・・・何時か、きっとわかり合える日が来る。
  そして、遠い未来へ・・・命は受け継がれるから。

3/31
本日最後の出勤日です。
とはいうものの、土曜日も出社して、午前に片付け、午後に残務整理。
最終日の本日も、簡易ながら決裁文書を2件とその他少々が残っております。
4年間の勤務にして、退職金は40万強。
この額面はなんとも評価が難しいです。
とりあえずここ数日で、車検13万、バッテリー交換1.5万、家賃自己負担5万、自動車保険4万強、職場への送別記念品2.5万強、妻に貯蓄2.5万が消滅しました。
何一つ自分で使ってないのに25万・・・・・・
果たして本当に3号被保険者として、妻の扶養になれるのか。
ところで、明日からすぐに院です。
環境の変化は夢のよう。
そういえば、ここ富山でもそろそろ桜が開きます。
昼休みに毎日歩いていた(外周2周していた)高岡古城公園
蕾が大きくなり、開く花も少々あり。
最近は桜を見るたびに思い出します。
願わくば 桜の下にて 春死なむ この如月の 望月の頃

3/23
4月1日から大学院というに、31日までは仕事です。
しかも現職の残務整理が(むしろ新規に事務が発生し続けており)忙しく、有給休暇を消化するどころではありませんでした。
「寿退社の人は、有給を全て消化してその上で退職」というのはきっと、都市伝説なのでしょう。
法律の勉強はここ何年間していないというのに、こんなことでどうなるのやら。
ただ、隣で眠っている妻の寝顔をみたり、またいつかは生まれるであろう私の子のことを考えれば、彼らのためにも私は頑張れるような気がします。
ところで、現職も最後が見えてきまして、仕事が押しているとともに、職場の人との別れの酒席の機会が多くなってきました。
今週は3回(火、木、金)、先週は2回(月、水)などなど。
ちょっと前のはなしです。
現在配属されている部署で送別会がありました。
いかんとも評価し難いのですが、しかもこれが日本全体に普遍化できるのかどうかは解りませんが、参加者は芸を行なうことが要求されます。
(私は送別される主賓なのでその必要はなかった、カラオケでyesterday唄ったけど)
席の近い女の人が3人、ステージでピンクレディーの「年下の男の子」を歌ってくれました。
しかも学生服(ブレザーとかセーラー服とか)
宴席自体が愚かしい風習であり、しかも芸を強いるなど蛮習でしかない。
私のために演じてくれた人々を前に、このようなことを言えるでしょうか。
いい年をした人たちが(一人だけ27歳)恥をしのんで・・・(実際に恥ずかしいかどうかは謎である)
素直にうれしかった私です。
日本の伝統的な宴席風景、私はあまり好きとはいえませんが、なんとも評価が難しい。
私は組織を離脱し自身の才覚で生きることを選び増したが、仮に弁護士になりえたとして、客商売ですからより一層に人付き合い(場合によっては食べていくための阿諛追従)が必要になるでしょう。
例えば、上位の人(年齢、金力、役職、顧客など)に酒をついでまわること。
私は蛮習だと思いますが、世にはそれを受けることによって力関係を確認しようとする人がある程度は存在します。
そういう人が客なら、従わざるを得ないでしょう。
また肯定的な面として、自身が真に尊敬する人であった場合には、酒を注ぐことを口実に、会話を持つことも出来ます。
悪くいえば、顔を売れるということか。
ただ、とりあえず酒に弱い私は、ビールではなく日本酒をついで回り、かつ注がれることにしています。
そうアルコール摂取量は日本酒の方が少なくて住むので。
あと、ビールを少量づつ注ぐというのは、極めてまずい飲み方である。

1/9
これまで、世に倦む日々と記してきた司馬氏の本は世に「棲む」日々の誤りでした。
端的に、私に「棲む」を「すむ」と読む知識がなかっただけ。
この書名は、高杉晋作の辞世の句、
「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは こころなりけり」
に着想したものと思われます。
冷静に考えれば、世に棲む(住む)のは当たり前であって、一種の形容矛盾です。
どうやらこれは、物語の一人の主人公である高杉晋作の思想であるところの、魂は目的を与えられて一時的にこの世に生を受けている、という発送にあるものと推測します。
とりあえず、この本も2度目を読了したので、次は「歳月」を読み始めました。
こちらも著者は司馬氏で、江藤新平が主人公の模様。
出来れば大学院進学前に、次の「飛ぶが如く」全10巻を2回よみたいところ。
閑話休題。
私の勤務する地方自治体では、本日平成20年度予算の内示がありました。
私にはもう関係がないといえばそれまでですが、大変厳しい減額査定。
端的に評価すれば、諸事業の実施が不可能に近いレベルでした。
(ただ、ひとつの事業の全額がゼロ査定となるのではなく、一部費目(例えば委託料など)のみがカットされる状態)
解りやすく表現すれば、コピー代などの事務費減額にとどまらず、事業費そのものが大きくカットされた状態です。
その原因は、地方交付税交付金の減額、地方税収の減額、新幹線建設等の地元負担金、などが大きいものと思われます。
これらの要因は誰の目にも、何年も前から明らかだったはず。
何年も前から、その対策を講じるべきでした。
具体的に言えば、事業そのものの大幅な取りやめです。
少なくとも組織の建前としては、このレベルでの判断は各事業部局ではなく、財政担当部門が行なうべき判断でした。
  (本当は各部署の事業担当自身で気がつくべきかも知れない。
   ただ、多くの場合彼らは日常業務に追われており、また国の交付金の額なども正確にはわからない。
   見積もれるのは地方税収程度か。)
それを怠ったために、今年になっての急激にしてしかも趣旨の一貫しない減額査定によって業務の遂行が困難になる状態。
なんと先見性のない・・・・。
ともかくも、地方自治体の(国も同様ではあるが)放漫な財政運営により、不利益はその住民に降りかかります。
組織というもの一般の特徴でしょうが、多くの場合構成員の一人一人は愚かではありません。
しかしそれが組織として意志を決定する場合、しかもそれが重要な意思決定であればあるほど、信じ難い愚かさを呈するものです。
自治体は、法律に根拠のない事業は行なうべきではありません。
往往にしてそれは、首長の政治目的(得票増大)に過ぎないからです。
またそれは、租税の無駄の元となります。
そして自治体は、法にだめられた戸籍や地方税を効率的にこなすことこそ最も重要です。
主権者たる国民が国政を信託したのはその代表者である立法府(国会議員)であり、地方自治体ではありません。
(憲法前文に明記)
我々が政策の遂行を期待するものは国であって、地方政府が自主事業を行なうことに私は肯定的ではありません。
地方自治体は権力分散が期待されることからその自治が憲法により保障されるに過ぎません。
「福祉国家と小さな政府は両立しない。」
この当たり前の原則が、誰もに理解されることを期待しつつ。

1/6
今年のシレン初クリア。

年末からの継続プレイです。
シレンはもう止めようと誓ったはずだったのに。
大学院に行ったら辞められるでしょうか。
閑話休題。
本日無意味に歩く。
自宅から富山駅まで。

マピオンのキョリ測定βによれば、道のり13.6km、消費カロリー756Kcal。
司馬遼太郎の「世に倦む日々」を読みながら比較的ゆっくり歩く。
かくして、私32歳の誕生日を迎えました。

1/2
司馬遼太郎氏のこと。
少なくとも、彼の主題のひとつに日本の国民国家形成期を描くということは含まれると思います。
彼の著作はほぼ、幕末から日露戦争期に集中しておりますので、客観的にも間違いないでしょう。
ここではそれとは別に、彼の精神について一言。
もっともその思想が端的に現れていると私が思う箇所を引用してみます。
千葉一刀流の祖、千葉周作氏を描いた「北斗の人」
この作品自体は、さほど思想的なものでもないし、フィクションが多く娯楽作品としての要素が大きいと思われます。
周作は、剣術の修行中。
とりあえずついていた師から、一刀流の皆伝を得て、秘伝書を授かる場面です。
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余談だが、古来、兵法の流祖というのは無学なものが多い。
それが一流を起こし、伝書を作り上げるとき、学問のある禅僧などに頼んで件の「教義」を書いてもらった。
自然、文書が晦渋で、何が書かれているのか解らぬものが多い。
解らぬことがむしろ尊げに見える、という点も兵法教義の晦渋さの狙いにもなっている。
例えば周作が学んでいる一刀流は、諸流派の中ではもっとも合理的なものとされているが、それでもその正伝総目録の本文は、次のような文書からはじまっている。
  端末いまだ見はれず人能く知る漠し
  天地の神明、物と推し移り
  変動常無し、敵に因って転化す
周作ははじめてこの文書を見たとき、
(なんのことかわからぬ)
と思い、養父であり師匠である浅利又七朗にきくと、
「心眼で読んでみろ、わかる」
という答えしか得られなかった。
浅利又七朗もわからないのであろう。
(以上文庫257ページから) -------------------------------------------------------------------------------
「浅利又七朗もわからないのであろう。」
このくだりが最高です。

1/1
大晦の夜から就寝にかけての行い。
食事。
家族と叔父家族が集まった。
居宅にもどり、妻と会話。
いささか妻の気を暗くさせた。
妻就寝。
私はせめて新年に期待を駆けて、年の瀬は机で書に向かい、かたちだけは繕おうとした。
「イエスという男」、1回は読了したので、二回目は新約聖書をともに並べて引用箇所を確認しながら読み進める。
11時30分。
入浴し、身を清める。
心の中の妄念、私の心をこのとき支配しがちであったのは、性欲ではなく怒りであり怨念だったのだ。
それらを忘れ、心を静めるよう勤める。
0時。
NHKの行く年来る年で新しい日付の到来を確認してから、宮に詣でに出る。
徒歩にて、近所の神社まで。
参道を登り、手と口を清める。
賽銭を投入し、鐘を鳴らして手をたたく。
夫婦の融和と、家族の健康と、学問の進展を祈願した。
雪もしくは霙の落ちる天候であったが、鳥居を出るときは大変に晴れがましい気分であった。
「なにごとの おわしますかはしらねども かたじけなしに なみだこぼるる」
0時20分
帰宅。
風呂を掃除し、神社でお神酒のかわりに配られていたみかんを食べる。
この日記をつける。
0時40分
以上の儀式は終了。
改めて、自宅でお神酒として酌んだ酒を一杯。
そしてアップロードの後、再び書物に戻る。
来るべき一年に、希望と平安があるように。


戻ります