探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-て-


ディケンズ,チャールズ(Charles_Dickens)

1812年(文化9)、イギリスのランドポール生まれ。ヴィクトリア朝を代表する作家。娘がコリンズの弟の画家チャールズ・コリンズと結婚している。
1837年(天保8)、「ピクウィック・クラブ」で人気作家となる。
1841年(天保12)に発表した「バーナビー・ラッジ」は雑誌連載中にポーがメイントリックを見破って発表した。
1853年(嘉永6)には人間味のある刑事探偵としてバケット警部を「荒涼館」のなかで描いた。
1859年(安政6)には短編探偵小説「追いつめられて」を発表。
1870年(明3)、「エドイン・ドルードの秘密」を発表するが、未完。
1870年(明3)、死去。


寺田裕(てらだ・ひろし)

1949年(昭24)、和歌山県生まれ。大阪府立大学経済学部卒。
1976年(昭51)、「幻影城」第一回新人賞評論部門に「ゲームの規則」が佳作入選。

幻影城掲載誌:14/20/22/23/24/43/50/別冊幻影城掲載誌:5/8/13/幻影城ノベルス/幻影城評論研究叢書/


天藤真(てんどう・しん)

本名遠藤晋。1915年(大4)、東京生まれ。東京大学国文科卒。宝石賞受賞作家の親睦団体GEMの会会員。別名大神卓。
1962年(昭37)、「親友記」で「宝石」の懸賞に佳作二位入選し、「宝石」に掲載。
1962年(昭37)、「塔の家の三人の女」が「宝石」の中篇懸賞で候補となる。
1963年(昭38)、「鷹と鳶」では第二回宝石賞第一席を受賞し、「宝石」に掲載。
1962年(昭37)、「陽気な容疑者たち」は江戸川乱歩賞の次席にとどまり、大下宇陀児の推薦により1963年(昭38)、刊行。
1964年(昭39)に「オール読物」に発表した「日本KKK始未」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1972年(昭47)、「皆殺しパーティ」を刊行。
1973年(昭48)に刊行した「殺しへの招待」が、1974年(昭49)に第27回日本推理作家協会賞の候補となる。
大谷羊太郎草野唯雄との共同覆面作家、鷹見緋沙子名義で1975年(昭50)に「わが師はサタン」を発表。
1978年(昭53)に「カイガイ」に発表した「大誘拐」にて、1979年(昭54)、第32回日本推理作家協会賞長編賞受賞。また、この作品は「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の2位に選ばれる。
1976年(昭51)から「幻影城」に発表し、当初は「幻影城ミステリ」から「多すぎる証人」と題してまとめられるはずだった「遠きに目ありて」として1981年(昭56)に刊行され、「週刊文春」の81年「傑作ミステリーベスト10」の3位に選ばれる。刊行が遅れたのは、「幻影城」休刊後、姿をくらました島崎博が再起の暁に出版を任せたいと考えたためという。
1981年(昭56)に「小説推理」に発表した「純情な蠍」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
ユーモアと本格物を融合させた作品が多い。
1983年(昭58)、肺癌のため死去。

幻影城掲載誌:5/7/12/13/14/15/16/17/19/53/日本長編推理小説ベスト99/幻影城ノベルス/幻影城ミステリ/


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