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探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-ほ-


ボアゴベ(Fortune_Du_Boisgobey)

本名ガスチール・ボアゴベ。1824年(文成7)、フランスのマンシュ県生まれ。
1868年(明1)、「プチ・ジュールナル」誌に「二人の喜劇役者」を発表。
1872年(明5)に発表した「囚人大佐」が、1890年(明23)に黒岩涙香により「執念」として訳される。
1881年(明14)、「マタパンの宝石」を発表。
ガボリオと並ぶフランス大衆小説の双璧であり、黒岩涙香によって数多く翻訳された。
1891年(明24)、死去。


冒険小説大賞(Prix_du_Roman_d'Aventures)

シャンゼリゼ社でマスク叢書をはじめたアルベール・ピガスによって1930年(昭5)に創設されたフランスの探偵小説賞。マスク叢書編集者が企画した作品のなかで、審査員全員の支持を集めた作品に授与され、受賞作は五万部の発行が保証される。
1981年(昭56)まではフランス人作家のみを対象としてきたが(ただし、1969年(昭44)のフィンランド作家マウリ・サリオラは例外)、以降は1989年(平1)に夏樹静子の「第三の女」に与えられるなど、海外作家も多く受賞している。


宝石(ほうせき)

宝石創刊号表紙1946年(昭21)4月創刊。岩谷書店、1956年(昭31)より宝石社刊行。岩谷書店の社長は明治時代、「驚くなかれ税金たった二百万円」という大看板を掲げた煙草業界の大立て者、岩谷天狗の孫、岩谷満。父はベルギー代理大使だった岩谷二郎。
岩谷満は探偵小説と詩が好きだったので、岩佐東一郎宅で知り合った城昌幸武田武彦に話を持ちかけ、川口屋鉄砲店のなかに岩谷書店を設立した。城昌幸が本誌主幹。編集長はその後、武田武彦、津川溶々、永瀬三吾、谷井正澄、大坪直行が継承した。
戦前の「新青年」と並ぶ戦後の代表的探偵小説誌で探偵作家の拠り所となり、探偵小説界に指導的役割を果たした江戸川乱歩の発言の場でもあった。「新青年」が主として木々高太郎が提唱する文学派の牙城だったのに対し、「宝石」は本格支持の砦でもあった。横溝正史の「本陣殺人事件」などの本格長編、海外作品の翻訳(ジョージ・トマス・フォルスターががはじめた翻訳権仲介業のおかげで著作権問題が解決した1950年(昭25)頃より掲載)、江戸川乱歩の「幻影城通信」などによる評論と紹介、自伝的回想録「探偵小説三十年」などが掲載された。
また、新人募集を毎年実施し、作家の育成にも努めたが、1949年(昭24)頃になると、会社の経営が行き詰まり、賞金不払い問題が持ち上がった。
1957年(昭32)8月、江戸川乱歩が編集と経営に参画し、翻訳、イラストを除く一切の編集プランを立案し、文壇作家に作品を依頼するようになった。このとき翻訳を任されたのが、田中潤司である。また、財政難に喘ぐ宝石社のため、江戸川乱歩は原稿料や編集費を立て替えたり、個人名義の定期預金の信用で手形割引をおこなった。もっとも、当初は探偵作家が回り持ちで毎月編集にあたる計画だったという。同時に、「週刊朝日」と共催して短編を募集したり、新人発掘に励んだ。新人募集も1960年(昭35)から「宝石賞」と命名された。
しかし、探偵小説が推理小説としてジャーナリズムに歓迎されるにつれ、次第に「宝石」から離れていくようになった。江戸川乱歩が病に倒れてから経営が悪化し、1964年(昭39)5月、「250号記念号」で廃刊となった。通計251冊(増刊含む)。ほかに「別冊宝石」130冊。「宝石」の名称は光文社に譲渡した。

幻影城掲載誌:7/13/14/41/



ポー,エドガー・アラン(Edgar_Allan_Poe)

1809年(文化6)、アメリカのマサチューセッツ州ボストン生まれ。両親とも旅回りの芸人だったが、幼くして両親を亡くす。命名親であり煙草商人のアラン家に引き取られる。ただし、法律上の養子にはならなかった。
1827年(文政10)、18歳のとき、処女詩集「タマレーン、その他の詩」を刊行。
1833年(天保4)、「壜の中の手紙」が「ボルティモア・サタディ・ヴィジター」のコンテストで第一席になる。
1835年(天保6)、13歳の従姉妹ヴァージニアと結婚し、「サザン・リテライ・メッセンジャー」の編集者となる。
1839年(天保10)、「ジェントルマンズ・マガジン」の編集者となる。
1841年(天保12)、「グレアムズ・マガジン」の編集者となる。
1841年(天保12)にディケンズが発表した「バーナビー・ラッジ」のメイントリックを雑誌連載中に見破って「グレアムズ・マガジン」に発表。
1841年(天保12)、「グレアムズ・マガジン」に世界最初の探偵小説「モルグ街の殺人事件」を発表。
1842年(天保13)、「マリー・ロージェの謎」を「スノードンズ・レディース・コンパニオン」に発表。
1843年(天保14)、ニューヨークの「ダラー・ニュースペーパー」の懸賞で、「黄金虫」が一等入選。
1844年(弘化1) 、「盗まれた手紙」を「ザ・ギフト」に発表。
1845年(弘化2)、編集者として勤めていた「イブニング・ミラー」に詩の代表作「大鴉」を発表し、国民的詩人となる。
1845年(弘化2)、探偵小説集「Tales」や「The_Raven_and_Other_Poems」を刊行。
1847年(弘化4)、ヴァージニアに死なれてからは、生活が荒れ、酒に酔って、夜風にさらされ、脳炎にかかり、1849年(嘉永2)に死去。
1856年(安政3)、ボードレールの「意外な物語」によってヨーロッパに紹介され、ドイルのホームズ誕生の遠因となる。
「モルグ街の殺人事件」が、1887年(明20)には「ルーモルグの人殺し」のタイトルで饗庭篁村(竹の舎主人)によって「読売新聞」に訳される。また、1913年(大2)には「病院横町の殺人犯」のタイトルで森鴎外によって訳される。
アメリカ最大の文豪であり、また、探偵小説を創始した父。天才型探偵(デュパン)とその引き立て役という構図、発端の怪奇性と結末の意外性、データをあらかじめ提示し、意外な決着をつけるフェアプレイ性、推理の過程を説明する結末など、現在の探偵小説の形式のほとんどを発明した。江戸川乱歩のペンネームの元となった作家でもあり、乱歩がチェスタトンと並んで最も高く評価した探偵作家のひとり。


ポースト,メルヴィル・デイヴィスン(Melville_Davisson_Post)

1869年(明2)、アメリカのウエスト・ヴァージニア州のハリスン・カウンティ生まれ。西ヴァージニア大学で法律を修めたのち、刑事弁護士として活躍。
1896年(明29)に発表した「ランドルフ・メースンの奇計」が評判になるが、一方で、法律の弱点を教え、犯罪者を教唆するものとして避難を浴びる。
1911年(明44)の「神の使者」から発表されたアブナー伯父ものは、民主主義が確立しようとする時代の古きよき西部を舞台とし、捕物帳のような味わいがある。
1914年(大3)には「魔女と使い魔」を「メトロポリタン」に発表。
1918年(大7)、「アンクル・アブナーの叡知」を発表。
1919年(大8)、「サタデー・イブニング・ポスト」に発表した「Five Thousands Dollar Reard」がO・ヘンリー記念賞を受賞。
1923年(大12)、「新趣味」に「金剛石」が村越啓一郎によって訳される。
1924年(大13)に出版した「Walker of the Secret Service」の主人公と同名の人物により訴えられ、民事裁判となるが、勝訴する。
ポーヴァン・ダインを繋ぐアメリカ探偵作家に位置づけられる。当代一の人気作家だった。
1930年(昭5)、落馬が元で死去。

幻影城掲載誌:22/


星新一(ほし・しんいち)

本名星親一。1926年(大15)、東京生まれ。東京大学農学部卒。
祖父は東京帝国大学名誉教授の人類学者、小金井良精。祖母は森鴎外の実妹喜美子。父は星製薬の創設者である星一。
1951年(昭26)、父の死を契機に経営不振の会社を継ぎ、逃避のため空飛ぶ円盤研究会に参加。空飛ぶ円盤研究会には三島由紀夫や荒正人も関わっていた。
1957年(昭32)、柴野拓美らとSF同人誌「宇宙塵」を創刊し、2号に「セキストラ」を発表。大下宇陀児に評価され、同年、「宝石」に転載される。
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生樹下太郎佐野洋竹村直伸水上勉結城昌治とともに探偵作家団体の「他殺クラブ」を結成。
1959年(昭34)に「宝石」に発表した「たのしみ」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1960年(昭35)、ショート・ショート「弱点」(1960年(昭35)宝石)、「生活維持省」(1960年(昭35)宝石)、「その子を殺すな!」(1960年(昭35)ヒッチコック・マガジン) など6篇が第44回直木賞候補となる。
1960年(昭35)に「ヒッチコック・マガジン」に発表した「包囲」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に発表した「人造美人」を含むショート・ショートが1962年(昭37)に第15回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1961年(昭36)に「ヒッチコック・マガジン」に発表した「合理主義者」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「宝石」に発表した「三年後の生活」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)、日本SF作家クラブの発足に参加する。
1963年(昭38)に「オール読物」に発表した「宇宙のあいさつ」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「宝石」に発表した「終末の日」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「小説新潮」に発表した「箱」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1964年(昭39)に「SFマガジン」に発表した「夢魔の標的」が1965年(昭40)に第18回日本推理作家協会賞の候補となる。
1966年(昭41)に「オール読物」に発表した「陰謀団ミダス」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「ミステリマガジン」に発表した「鍵」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1967年(昭42)に刊行した「妄想銀行」と過去の業績により、1968年(昭43)に第21回日本推理作家協会賞を受賞。
1968年(昭43)に「週刊朝日」に発表した「コビト」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1969年(昭44)に「小説新潮」に発表した「手紙」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説新潮」に発表した「たそがれ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1971年(昭46)に「小説新潮」に発表した「骨」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1972年(昭47)に「小説新潮」に発表した「紙の城」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和48年度」に収録される。
1973(昭48)に「小説サンデー毎日」に発表した「薬草の栽培法」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和49年度」に収録される。
1974年(昭49)に「小説新潮」に発表した「タロベエの紹介」は日本文藝家協会の「現代の小説 1974年度前期代表作」に収録される。
1974年(昭49)に「週刊小説」に発表した「要求」は日本文藝家協会の「現代の小説 1974年度後期代表作」に収録される。
1974年(昭49)に「小説新潮」に発表した「島からの三人」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和50年度」に収録される。
1975年(昭50)に「小説推理」に発表した「うるさい上役」は日本文藝家協会の「現代の小説 1975年度前期代表作」に収録される。
1975年(昭50)に「問題小説」に発表した「カード」は日本文藝家協会の「現代の小説 1975年度後期代表作」に収録される。
1976年(昭51)、日本SF作家クラブ初代会長に就任。
1976年(昭51)に「カッパマガジン」に発表した「となりの住人」は日本文藝家協会の「現代小説'76」に収録される。
1983年(昭58)に「SFマガジン」に発表した「小さなバーでの会話」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1984」に収録される。
1993年(平5)に「小説現代」に発表した「担当員」は日本文藝家協会の「現代の小説 1994」に収録される。
ショート・ショートの作品数が1,001篇を超える。
1997年(平9)、間質性肺炎のため死去。


保篠龍緒(ほしの・たつお)

本名星野辰男。1892年(明25)、長野生まれ。東京外国語学校仏語科卒。
ルブランの著したルパンに傾倒し、1918年(大7)、「怪紳士」を翻訳。以後、ルパン翻訳の第一人者となる。「ルパン」という読み方を普及させたのも保篠である。
1920年(大9)、「新青年」創刊号に、フリーマンの「オリシスの眼」を「白骨の謎」の題で訳す。
1923年(大12)、小説「山又山」を「新青年」に発表。
戦後は公職追放されるが、のち解除。
1968年(昭43)、死去。


ポストゲイト,レイモンド(Raymond_Postgate)

1896年(明29)、イギリス生まれ。経済学者で探偵作家でもあるコール夫妻の妻マーガレットは姉。左翼新聞編集を経て、「デイリー・メール」や「トリビューン」の記者となる。
1940年(昭15)、「十二人の評決」を発表。チャンドラーは「単純な殺人法」で従来のイギリス古典的傑作を非難する一方、「十二人の評決」を推奨している。
イギリス新本格派のひとり。
1971年(昭46)、死去。


ホフマン,E・T・アマデウス(Ernst_Theodor_Amadeus_Hoffmann)

1776年(安永5)、ドイツ生まれ。父は宮廷裁判所弁護士。ドイツ後期ロマン派の作家であり、ポー大坪砂男に影響を与える。1817年(文化14)に発表した「砂男」は大坪砂男の筆名の元となった。詩人、画家、作曲家、楽長、舞台監督、裁判官でもある。
1814年(文化11)、「カロー風の幻想集」を発表。
1822年(文政5)、死去。
1889年(明22)、森鴎外によって「スキュデリー嬢の秘密」が「玉を抱いて罪あり」の題で訳される。


ボワロー&ナルスジャック(Pierre_Boileau=Thomas_Narcejac)

ボワローは、1906年(明39)、フランスのパリ、モンマルトルの丘で生まれた。刑余者救済の社会事業団に関係し、その経験を元に探偵小説を執筆。
1938年(昭13)に発表した「三つの消失」により冒険小説大賞受賞。
その後、ラジオ連続ドラマ「探偵は追跡中」を執筆。
ナルスジャックは、本名ピエール・エロー。1908年(明41)、フランスのロシュフォール・シュル・メール生まれ。
1945年(昭20)、シムノンのパスティーシュ「メグレほとんど最後の事件」し、9編のパスティーシュとともに、1946年(昭21)、「Confidences dans ma nuit」として刊行。
1947年(昭22)、評論「推理小説の美学」を発表。
1948年(昭23)に発表した「死者は旅行中」で冒険小説大賞を受賞。
ナルスジャックの評論を読んだボワローは共鳴し、
1952年(昭27)、ボワロー&ナルスジャック名義で「悪魔のような女」を発表。
1954年(昭29)、「死者の中から」を発表。
1956年(昭31)に発表した「魔性の眼、眠れる森にて」によって、アメリカ探偵作家クラブ特別賞受賞。
1958年(昭33)、「技師は数字を愛しすぎた」を発表。
1959年(昭34)、「思い乱れて」を発表。
1961年(昭36)、「呪い」を発表。
1965年(昭40)、「私のすべては一人の男」を刊行。
1989年(平1)、パーキンソン病により、ボワロー死去。
1998年(平10)、ナルスジャック死去。
アルセーヌ・ルパン名義でルブランのパスティーシュもある。

幻影城掲載誌:31/


本田緒生(ほんだ・おせい)

本名松原乙之助。1900年(明33)、名古屋生まれ。ペンネームは生家である「北尾」をもじった。本多緒生ともいう。
1922年(大11)、「呪はれた真珠」が「新趣味」懸賞の選外佳作になる。
1922年(大11)、あわぢ生名義の「美の誘惑」が「新趣味」懸賞に二等入選。あわぢ生の名は「日本少年」に投稿していたときに使っていた筆名「淡路千之助」に因む。この作品は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1928年(昭3)、「猟奇」の発刊に尽力し、1931年(昭6)の再刊からは責任同人となる。
苦楽」「キング」の懸賞小説に入選したこともある。また、名古屋にて「ぷろふいる」の愛読者の集いを開催した。
1983年(昭58)、心臓発作にて死去。

幻影城掲載誌:9/13/23/


本間田麻誉(ほんま・たまよ)

本名は不明だが、大久保辰四郎? 生年も不明だが、1910年(明43)頃生まれ? 戦前にはベークライト工場を経営していたが、戦災で焼失。
1948年(昭23)、「犯罪者の戒律」が「別冊宝石」に掲載。
1949年(昭24)、「別冊宝石」に発表した「猿神の贄」が、1950年(昭25)に第3回探偵作家クラブ賞の候補作となる。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に参加するなど、文学派として活躍した。また、阿知波五郎らと同人誌「めどうさ」を発行していた。
抜き打ち座談会以降は姿を消す。行商に従事し、留守中失火により住居を焼失し、消息をたったともいわれる。

幻影城掲載誌:38/40/作家が語る探偵小説観/


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