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今夜の番組チェック
『伝説の野武士球団 西鉄ライオンズ』 河村英文(葦書房・1983年)
- 西鉄ライオンズ本の中では、昔も今もこれが最高峰だと思う。「初年兵エレジー」「キャンプは楽し」「初優勝への道」「反撃南海に屈す」「投手王国の誕生」「獅子たちの時代」と、各章のタイトルを書き写すだけでも、この本の楽しさ、充実ぶりが推察いただけよう。
- 自由奔放かつ目茶目茶に強かったという西鉄ライオンズ。私が物心つき、野球というものをどうやら認識したころにはこの球団は最早世になく、「太平洋クラブライオンズ」になっていた。稲尾や中西、豊田に大下といった面々はすでにおらず、まして本書の著者である河村なんてとっくにいなくなっていた。東尾、土井、竹之内、それになぜか玉井と古賀という選手の名前をぼんやり覚えているくらいだ。そして目茶目茶に弱かった。
- かくして、私は本やビデオでしか西鉄ライオンズを味わえないのであるが、この本は福岡の出版社から出ており、個人的には今から5年ほど前、福岡でふと立ち寄った書店で見つけ、立ち読みしたもののなぜか買わずにいた。その後、急に欲しくなり東京で探したのだが見つからずにいたところ、最近になって池袋のリブロで発見、即座に買い求めた直後からグイグイ引き込まれ、イッキに読了したもの。どうやら私が福岡でたまたま見つけたのは売れ残りで、しばらく絶版になっていたのを1998年に第二版として新装出版したらしく、それで東京でも大規模書店を中心に入手しやすくなったようだ。
- 「飲む・打つ・買う」の三拍子揃った猛者たちが勢ぞろいしていたライオンズ。多数挿入されている写真も楽しいが、著者自身がまさしく三拍子揃った名うての遊び人投手であり、当時の奔放な遊びっぷりを余すところなく活写し飽きさせない。
『風雲の軌跡』 三原脩(ベースボールマガジン社・1983年)
- 西鉄ライオンズ黄金時代の監督・三原脩の自伝。
- 第5章「西鉄ライオンズのサムライたち」が面白い。彼自身もサムライたちを語って倦まないのだろう、多くの紙幅を割いている。大下、中西、豊田、稲尾、高倉、和田・・・。
- 近鉄、ヤクルトの各監督時代の彼について伝える資料があまりないなあとかねてより思っていたが、本書でも軽くしか触れられていないのが残念。
- 注釈が充実しており面白く読めた。
『記者たちの平和台』 スポーツニッポン新聞西部本社(葦書房・1993年)
- 西鉄時代に限らず、後の太平洋・クラウンライター時代まで含めて、「平和台」を舞台に暴れまわったライオンズの回顧録を当時の番記者たちが綴っている。
- スポーツ新聞の記者が書いているだけに、ゴシップみたいなものも含めて種々雑多なトピックがてんこ盛りだが、各選手の個性を美談だけで飾り立てることなく、率直にイキイキと描いているところが買える。
- しかし、大下が遊びまわっている頃の話は掛け値なしに楽しいが、稲尾青年監督誕生あたりからだんだんもの悲しさが漂ってくる。巻末へ向かっては、太平洋に身売りし江藤監督のもと山賊野球を標榜、何とか人気を回復しようと球団があがくが、ついに西武ライオンズとなり所沢へ移転となるまでが淡々と語られ、単なる地方の弱小球団になってしまったライオンズの悲哀がそくそくと迫って来る。
『ビール片手に野球談義』 赤瀬川隼(実業之日本社・1991年)
- 「引き分けは犯罪である」「バックネット以外の金網を撤廃せよ」「試合時間がダラダラ長すぎる」「トランペット、笛、太鼓などの鳴り物を追放せよ」「監督はあくまで裏方」といった、まさに正論としか言いようがない主張を堂々と並べた「野球談義」。
- そのほかに、対談集も収録しているが、特に玉木正之との対談は、ふたりの主張がほぼ完全に一致しており、「そうですね」「その通りですね」の連続であるのが笑える(嘲笑しているのではない。かねてより両者の主張に親しんでいるがゆえにうれしくなってしまったのである)。
- 球団経営やスポーツマスコミに携わる全ての人が、本書に述べられているような認識を持ってくれれば、日本のプロ野球も大リーグに近い程度にエキサイティングになるのではないか・・・というのは淡い夢か。
『〇割〇分〇厘ひとり旅』 岩川驕i潮出版社・1980年)
- 執筆に忙しく、胃の痛くなる毎日を鬱々として送っていた著者は、『巨人軍栄光の四十年』という本を寝転がって読んでいるうち、巻末の「巨人軍在籍選手通算成績」という一覧表にぎっしり詰まった数字の中に、「打率・0割0分0厘」というゼロの羅列がいくつもあるのに気付く。「打率・0割0分0厘の人生」の存在に何となく励まされたような気分になり、「ゼロの人たちに会ってみたい」と、北海道、東北、九州などへ旅に出て、ジャイアンツに在籍しながら芽が出ず退団、第二の人生を送っている「0割0分0厘」の人々を捜すのがこの本のあらすじである。
- 引退した野球選手に会いにいくルポルタージュは様々な著者の手によりいくつも出されているが、それらに比してこの本は「紀行文」としての肌合いが強く感じられる。まず、中年男のひとり旅特有のわびしさと、その裏腹な存在としての身軽さ、気ままさ。安普請の旅館のおかみやタクシーの運転手との何気なくとぼけたやりとり、その地方ならではの安くてうまい魚の味などが、こと細かに記されており、旅情を深めている。
- 九州の高校からジャイアンツに入団、力を出し切れず誘われて東北のノンプロチームに移るもチームは後に解散、そのまま会社に残り、結婚もして今ではすっかり東北人・・・というような人生を読み進むうち、人生もまた旅のごとし、という感を強くするし、とにかくタイトルどおり「人生=旅」の本として秀逸である。