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『太宰治の魅力』 壇一雄・竹内良夫・桂英澄・別所直樹(大光社・1966年)
- 太宰の門弟達三人が綴った回想に、壇一雄に聞く「知られざる太宰治」を加えた書。
- 太宰ゆかりの津軽、三鷹のほか、門弟達と遊んだ箱根など、色々な土地にまつわる回想を読み進むこと自体が、「旅」になる。
- 中でも惹かれるのが、別所の手になる「津軽行」。青森から五所川原を経て金木、蟹田へと進むうち、太宰を生んだ津軽の風景、人情を垣間見る。
- ダウナー系・脱力系の読書人にとっては、太宰は避けて通れないところであると個人的には思うのだが、本書を読んでいると、『太宰さんには、別れたとたんにたまらなく懐かしくなるようなもの、自分が誰にも理解されず、孤独の思いがつよいとき、あの人なら解ってくれるだろう、としきりに思わせるものがあった』(桂英澄)という門弟の回想にも頷けるような気がしてくる。
『津軽・斜陽の家』 鎌田慧(祥伝社・2000年)
- 太宰にとっての「家」ならびに「故郷」に焦点を当て、郷土に残る史料や生き残りの者たちの証言によりまとめたルポ。
- これまであまり語られることのなかった、津島家の青森経済界における位置付けや、津島家同様に隆盛を極めた津軽地方の「成金」たちの盛衰ぶりなどが、丹念に記されている。今までの太宰関連本にはなかなかない切り口が多く、文学関係者が書くものにはない鋭さがある一方、太宰と同郷であるという筆者ならではの温かいものの見方も感じられる。
『太宰治情死考』 片山英一郎(たいまつ社・1980年)
- 太宰とともに玉川上水に入水した山崎富栄に対しては、「太宰を死に引きずりこんだ女」といった評価が今でも残るが、これを不当とし、いかに太宰と富栄が精神的に深く結びついており、また富栄以外の人間がいかに太宰を理解していなかったかを綿々と実証しようとした書。
- 確かに、太宰が家庭を含めた何処においても安住の地を持たず、特に晩年は太田静子との問題や長男の障害の問題など、持ち重りする悩みを抱えていたことは真実であろうと思う。しかし、そういった問題に対して、富栄こそが全能的な救いをもたらす存在であったとは、本書を読了してもなお、どうしても思えないのである。
- 彼と彼女の間にあったものは、もう少し通俗的なものであったのではないのか。彼らの死は、「ヒステリー」や「独占欲」や「自己顕示欲」、そして「タナトス」といった、恋愛に必ずといっていいほどつきまとう諸感情を軸にして、凡その説明がつくのではないのか。かねてより幾多の恋愛の途上で「死」という言葉を軽々しく口にし、そのくせ生き延びてきた男と、ほとんど恋愛らしい恋愛をせぬまま見合い結婚しすぐ戦争未亡人となった、いわば「免疫のない」女、という組み合わせが悲劇を生んだだけではないのか。つまり、男は冗談半分からかい半分、女は徹頭徹尾大まじめで、それゆえ男の方から「死」を口にしてしまえば、最期はにっちもさっちもいかなくなるわけだろう。
- 私が思うのは、富栄だけを悪人に仕立てるのはおかしいし、かといって100%シロ、というのもおかしいということだ。太宰もクロだし富栄もクロ、そして彼らをある意味追い込んで行った家族・先輩・友人・後輩たちもクロだということだろう。クロというのが言い過ぎならば、みんなグレーだということだ。
『太宰治』 細谷博(岩波新書・1998年)
- 「大人」としての「太宰再入門」を呼びかける書。
- 筆者の指摘を待つまでもなく、太宰は若い頃に熱狂され、社会人になり中年になるころには「卒業」され忘れられてしまうもの、とよく言われる。しかし、彼が描く世界は、中年以降の読者にも訴えるものがあるのだ、というのが筆者の主張である。
- 確かに、『ヴィヨンの妻』『家庭の幸福』『おさん』等を読み返すにつけ、筆者の次のような指摘にはうなずけるものがあると思うのである。
『ヴィヨンの妻』『おさん』などに語られた夫婦像のあれこれを思い出してみると、それら作中の崩壊寸前のようにも見える炉辺の幸福の像に、私はむしろユーモラスで懐かしいようなにおいを嗅ぐのです。 そして、そのただ中からあらわれてくるのは、やや裏返しにめくれ返ってはいますが、やはり父であり夫である、家庭の人の肖像ではないか、と思います。太宰は決して<反家庭>の作家ではなく、むしろ<家庭>をこそ描いた作家ではないか、そして、<父>たらんとした作家ではなかったか、と思えるのです。
- 既に太宰のコアな読み手である人(または「あった」人)にはいささか物足りないとは思われるが、「おっさん」になって初めて太宰を読んでみようか・・・と思い立つような、奇特な方にはガイダンスとしてお勧め。
『太宰治 彷徨の文学』 赤木孝之(洋々社・1990年)
- 太宰の最初の「妻」、小山初代をキーにして太宰を読み解いた小論等を集めたもの。
- 金木の生家との絆が断ち切られた元凶としての「妻」・初代に当初から鬱陶しさを感じ、7年を経て儀式としての心中未遂事件を捏造した上でようやく自他ともに納得できる「別離」に辿りついたのだ・・・という、『姥捨』や『列車』の解釈は興味深かった。
『桜桃とキリスト』 長部日出雄(文藝春秋・2002年)
- 同じ青森出身の作家としてかねてより太宰に深い理解を示す作者が放った傑作評伝。500ページを超える大作だが一気に読ませる。
- 太宰に関する本は数々あるが、3つに大別すると「太宰と付き合いのあった友人・関係者達による回想記」、「文学者達による研究書」、そして「太宰と直接の付き合いがない、後世の作家達による評伝」という具合になろうか。
- 第一のカテゴリーに属するものは、リアリティーというか、読者の立場から見た「納得感」の点からは最も優れるように見え、実はそうでもない。これは、思い込みとか虚言とかが混じってしまうことがままあるからだ。太宰と付き合いがあったということを誇ろうとするあまり、事実を歪曲した例は割に多いようである。
- ならば、第二のカテゴリーはどうかというと、「作品に描かれる『私』の生活イコール作者の生活」という初歩的な過ちを犯しているか、逆に実証主義を墨守し過ぎて、事実の不分明を洞察力で補う努力を忘れているかの、どちらかが多い。それに加えて、洞察力そのものがピント外れで使い物にならない例もあると思う。
- 本書は第三のカテゴリーに属するわけだが、作者の洞察力が存分に力を振るわれ、事実の羅列や作品の逐語訳的な解読だけでは可視化できなかった太宰の謎が解き明かされていくさまは鮮やかだ。
- 美知子夫人をはじめとした女性との関わり方、キリストのいう「己れ自身のごとく隣人を愛する」ことへのこだわり、井伏鱒二への敬意と憎悪、そして自殺を選んだ真の理由・・・。これまで分かったようで分からなかったこれらの論点が、納得感を伴ってストンと落ち着く感じである。
- その上で、太宰の作家としての天才ぶりが改めて確認される。作者が同じ職業を持つ者だからこそ、太宰の凄腕ぶりを具体的に理解し提示できたのだろう。例えば、文庫や全集で一気に読むとハッピーエンドがややあざとく陳腐な印象の短編『黄金風景』も、新聞掲載時に2回に分けて読者の目に触れることを計算したものなのだ・・・といった説明は、なるほどなあと唸らされた。
『みんな みんな やさしかったよ』 飯塚恆雄(愛育社・2001年)
- 元音楽プロデューサーで現在エッセイストという作者が、昔から好きだった太宰の『津軽』をなぞって金木や竜飛、小泊といったゆかりの地を旅する紀行文。
- 出版年次の新しさから推察できるように、『津軽』に描かれていた姿とは似ても似つかないつまらぬ地方の場末になり下がっているスポットも多々登場し、作者同様に読者もがっかりさせられるのだが、これは仕方のないことだろう。
- 個人的には、太宰の父・源右衛門の生家(代々造り酒屋として栄えた大地主の松木家)であった木造町の「松木薬種問屋」を見に行ったところ、ボロボロの空家があり、ガラス戸越しに薬品メーカーのウサギのマスコット人形が埃をかぶっているのが見え、ガラス戸の上に「まつきや」という文字が読み取れた・・・というくだりが痛々しく印象に残った。
『恋と革命 評伝・太宰治』 堤重久(講談社現代新書・1973年)
- 「弱者・敗者」のイメージが付きまとう太宰について、真実は全く逆で、「恋と革命」の完成という不可能に近い理想を掲げ、それに向かい一切の妥協を許さず奮闘努力した、とてつもない強靭な精神の持ち主であった!と喝破する書。
- 著者は太宰に師事し間近にその謦咳に接したこともあり、具体的な事象を示しつつ説得力を伴った明快な論旨を展開している。ただ、師と仰いだ人に対してどうしても突き放して考えられない憾みがあり、読者からすれば「オイオイ、それは買いかぶりすぎじゃないの?」というところもなくはない。
- いったいに、太宰と同年代もしくは年長者の筆になる評伝では、太宰は「見栄坊」「甘ったれ」となり、太宰の弟子筋がものした評伝では、「親身で頼もしく話せる兄貴」となる傾向が強いように思う。で、それ以外の部外者が太宰の人間性に斬り込もうとしても、井伏鱒二や美知子未亡人の顔色を伺いながら書くものだから、どうしても既存の評伝の敷いた路線をなぞっているようなものにしかならなかった。
- 井伏鱒二も美知子未亡人も最早この世にないという状態になってから、ようやくこのあたりの呪縛が解けたような感じであり、猪瀬直樹『ピカレスク』はその呪縛のダークな部分も含めて世に晒している感じだが、太宰自身は、少なくとも自分を慕い懐いてくれる年少者にはひたすら優しく甘美な印象を与える人であったということは間違いないようである。で、それを確認するだけで何だか一寸嬉しくなってしまうのも確かで、それゆえ日常生活でガサついた心を癒す読書のメニューとしては、壇一雄や山岸外史あたりの回想記よりも、別所直樹や桂英澄、それにこの堤重久あたりのものの方が好適だったりするのですなあ。
『津島家の人びと』 朝日新聞社青森支局(朝日ソノラマ・1981年)
- 太宰治本人ではなく、彼の生家・津島家の勃興から衰退を丹念に追ったもの。
- 太宰の作品にも生涯そのものにも、彼の長兄・文治が与えた影響は非常に大きいはずである。文治は色々な作品に登場してくるが、太宰がこの兄に対してかなり複雑な感情を抱いていたであろうことは容易に想像できる。まあ、かなり複雑な諸要素を四捨五入してデフォルメしてしまえば、とにかくおっかながっているのが7割、逆恨みも含めて憎たらしいのでぎゃふんと言わせたいというのが2割、そうは言っても父を早くに亡くしたあとの兄弟同士ゆえ力を合わせなきゃ、というのが1割というところか。というわけで、文治さんってどんな人?というのが太宰の読者としては常日頃から大いに気になっていたポイントなのだが、いかんせん参考になるような文献が少なく困っておりました。
- そんな私が偶然見つけたのがこの本。青森県知事になってからの文治さんのエピソードがいくつも載っており、想像以上に真面目で、かつ気難しい「殿様」然とした方だったことが良く分かりました。でもエライのは、交際費を一切使わず、公用に使うものでも全部自腹を切り、それで津島家の衰退が早まっても平然としていたというところ。まさか何十年後に青森県住宅供給公社で14億円の使い込み事件が起こり、県民の財産が烏有に帰してしまうとは・・・。文治さんが聞いたら何と言うでしょう。
『太宰治との七年間』 堤重久(筑摩書房・1969年)
- 太宰に師事した筆者が克明な筆致で描く、タイトル通りの回想記。
- 自分より若い者に優しく親身に接しようとする太宰が、愛情を振り絞るようにして教訓や助言を与える姿は、痛ましさすら覚えるほどである。本当に、イイ兄貴ぶりなんだこれが・・・。
- 折々に太宰の魂からの呟きが収録されておりこれまた涙を誘う。
「おれはね、努めてわらって、楽しげに暮しているがね、ほんとはつれえんだよ。今月の月評、よんだかね。ぎらぎらと才能だけが眼立って、なんてかいてやがるんだ。ぎらぎらとはなんだ。銀紙じゃああるまいし。才能があれば、それでいいじゃあないか。なんで、素直によめないんだ。新聞の広告見てたら、文学の鬼、何々先生だとよ。大笑いさ。何が鬼だ。鬼と芸術とどういう関係があるんだ。鬼が、三本指でペン握って、小説かいてる図なんて、正に噴飯ものじゃあねえか。おれが、身を削ってだな、毛穴という毛穴から、血が噴きでるような気持でだな、小説かいてるなんて、どいつも、こいつも、知りやあしねえんだ」
- 自殺直前の、行き詰まった感じの太宰と山崎富栄のやり取りも生々しく記されており、読めば読むほど、「この二人、どうにか救われる法がなかったもんだろうか・・・」といった想いがしてならない。
『太宰治と津軽路』 桂英澄(平凡社・1973年)
- 太宰の人と作品を辿りつつ、津軽路の旅ガイドを兼ねる好著。
- 太宰の弟子の一人だった著者が、津軽を旅し、越野たけ(太宰の子守)や中畑慶吉(太宰の実家出入りの呉服商)らを訪ね歩く。
- 単なる紀行文に留まらずに、津軽三味線やイタコ等の濃厚な津軽の精神風土と太宰の作風を関連付けるくだりは、さすがに説得力がある。
- また、いささか旧くなってしまったものの、雲祥寺の地獄絵図や斜陽館内部のカラー写真をはじめとした貴重な図版も多数収録されており、目にも楽しい。