旅をテーマに図書館の書棚を漁っていると、どうしても眼についてしまうのが、T村先生の本である。この人の書くものは、各種割引切符を使ったり、夜行列車を乗り継いだりして、安上がりの旅行を楽しむための「ノウハウ本」として、私にはもっぱら認識されていた。
ところが、それは私の認識不足であった。彼の著書は、図書館のある一定の領域において、やたらと冊数を占めているのである。それは「運輸・鉄道」の類のコーナーであったり、あるいは「紀行」のコーナーであったりする。しかし、それにしても随分な多作ぶりである。そして、本の内容は、「JRの最南端の駅から最北端の駅までの32時間乗り継ぎ旅」とか、「駅名に『温泉』の付くところを片端から巡る全国縦断の旅」とかの行程を時系列で綴ったものが多い。
私もそうだが、「旅情」とか、「遠くへ行きたい」というような心情は、誰もが持ち合わせていると思う。そして、そうしたメンタリティを満足できない場合、すなわち仕事や学校がある等の理由で「旅」に出ることが叶わない場合、手軽にその代替物となってくれるのが、紀行文であり、旅のルポものであり、鉄道ミステリーものであり、またこの人の本であろう。
確かにこの人の本を読めば、北海道の温泉や九州のさつま揚げが出てくる。名物駅弁や寝台列車が出てくる。しかし、それは「素材」の魅力であって、この人の書くものの魅力に拠るところは案外少ないのではないか。この人の書くものの中で、唯一この人ならではと思わせるところは、「温泉の脱衣場が汚ない」とか、「イクラ丼の盛りが少ない」とか、「同行者の仕切りがまずい」とかいった「苦言・お小言」の類である。「カンシャクみたいなものを起して、おしっこの出たいのを我慢し、中腰になって、彼は、くしゃくしゃと原稿を書き飛ばし、そうして、身辺のものに清書させる。それが、彼の文章のスタイルに歴然と現れている」(太宰治『如是我聞』)というフレーズを図らずも思い出す私であった。
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今夜の番組チェック
『駅前温泉汽車の旅PART2』 (徳間書店・1993年)
- 一読者(「ケースケ」。高校一年生の男の子)と、東日本の温泉を巡る旅。60歳になろうかという初老の男と、高校一年の男の二人旅という設定に先ず驚かされる。歯車がかみ合うわけないのでは・・・と危惧する間もなく、案の定、カルビ以外の焼肉(臓物とか)が食べられず「これは焼肉じゃありません」と断言したり、温泉めぐりの旅でありながら、硫黄の刺激がある温泉に悲鳴をあげ、入浴せず退散したり、大人の世界でなら「粗相」と言われるような失態を次から次へとケースケ君が演じてしまう。そしてT村先生は、彼の未熟さ、みっともなさを克明に記録し、我々の前にひとつひとつ開陳してくれるのである。
- つかみどころのない宇宙人のような現代っ子が実年旅行作家とかわす丁々発止のやり取りを記すことで、ユーモアの味わいをにじませようとしているのだろうか。しかしながら、素人の少年を引っ張り出してきて、その気負いから来る唐突さやぎこちなさを笑いのタネにするのは、安手のコメディアンの「客いじり」の手法にも似て、あまり愉快ではない。
- なお、T村先生が徳間書店から出している「乗り継ぎもの」には、乗った列車の「車番」と「所属」が必ず書いてある。どうやらこれは、読者と旅する場合は同行者が列車の先頭から末尾まで歩いて書き写して来る決まりになっているらしい。情報価値としてはゼロに近いのではないかという気もする一方、新幹線など16両くらいの長大編成を誇る列車もあるわけで、書き写す手間は相当なものと思われる。それで遂にケースケ君が爆発してしまうところがあるのだが、ここのやりとりが本書の全体を支配する空気をよく表していると思うので、ちょっと引いてみることとする。
「なぜ、車番なんか控えなきゃいけないんですか。どういう意味があるんですか。第一、車番をとるために、先頭のグリーン車へ勝手に入っていっていいんですか。グリーン車の人たちに迷惑をかけることになるし、白い目で見られます」−−六両の車内をひと渡りまわってきたケースケが、つっかかるように迫った。せっかくの《つばさ》乗車時間は赤湯まで二三分しかなく、席を暖めている暇もないので、車番控え作業がばかばかしくなったのだろう。車番を控え、乗り継ぎの本に掲載することに意味があるかどうかという疑問は、僕自身かねてから抱いているのであって、ぐさりと突き刺さる。「興味のある人には大切なデータのようだよ。車両はあちこちへ移動するから、あとになって価値が出るという人もいる。徳間書店の乗り継ぎシリーズについて言えば、最初の『日本縦断鈍行最終列車』以来、ずっと編成表を載せてきたから整合性ということもあるしね・・・」−−我ながら、あまり説得力のない答えだが、こうしか言いようがない。
- ・・・何となく、他人事みたいな言い方である。
- いずれにしても、ケースケの実名と顔写真まで出していることも考え合わせると、一読しての後味の悪さはT村先生の数ある本の中でも随一ではないか。
『「銀づくし」乗り継ぎ旅』 (徳間書店・2000年)
- 著者自身の還暦あるいは「レイルウェイライター生活25周年」にちなみ、「銀」の字が名前に入った駅を訪ね歩く旅の記録。
- この人の本については、いろいろ気になるところもあるが、情報源というのか、旅のガイドブック代わりとしての価値はあるものと考えていた。というのは、道中食べるものや泊まるところなどについて、結構忌憚のない感想を記しているからである。
- そして今回、北海道を旅行する機会に恵まれ、彼のもたらしてくれる情報がどれほど「使える」ものなのか、ごく一部であるが検証することが出来た。
- 本書の中で、苫小牧駅の「サーモン寿司」、小樽駅の「おたるかにめし」という二つの駅弁が激賞されている。前者は、「そのころの駅弁のイメージをくつがえすような味」で、後者は「とにかく、うまい」のだという。
- これらを、北海道ドライブ旅行の途中に、わざわざそれぞれの駅に立ち寄り、買って食べてみたのである。率直な感想を言わせてもらえば、本の中でわざわざ2ページも3ページも割いて紹介するほどの味ではなかった。勿論、どちらも悪い味ではなかったのであるが、T村先生は「食」に対する探究心をあまりお持ちでないように思われた。
- 味覚については個人差があるからさておくが、この本でもT村先生は、同行の若い読者たちや利用した飲食店・旅館等の従業員に対し暴君ネロのごとくふるまっている。北海道の田舎の食堂で、誰も注文を取りに来てくれず同行者のフォローもないことに我慢がならず、店を飛び出したり、同じく北海道のローカル線で終電車に乗る前に駅前の店でラーメンを注文したところ、出来上がりが遅くて食べる時間がなくなり、「長野の上田交通では、旅館のおかみが駅に電話すれば電車を待たすことも可能だったが云々」などとボヤいてみたりという具合である。前掲書にて「ケースケ」の子どもっぽさについて繰り返し言及していた著者だが、ご自身のふるまいもきっちり総括した方がよろしいかと思われる。それとも、「作品」を面白くするための「諧謔」あるいは「レトリック」、はたまた「虚構」であると主張されるのだろうか?
『日本あちこち乗り歩き』 (中央書院・1993年)
- タイトルどおり、日本各地の新線開通区間や変わった車両を走らせている線区を乗り歩いている。
- いわゆる「気まぐれ列車」シリーズ等とは違い、若い読者達を従えてドヤドヤ乗りまわるわけではなく、一人旅もしくは編集者等の同行がある程度のもの。同行者への辛辣なコメントや旅先の飲食店・旅館等への「苦言」も少なく気にならない。
- 何よりなのは、巻頭の章を除いて、T先生のご尊顔を被写体とした写真掲載がないこと。他の著作には、「T村先生、ゲームセンターのエアホッケーにはしゃぐの図」といったような、T村先生とその仲間のスナップショットが所狭しと並べられていることが多いのであるが、この本は最初の方だけ我慢すれば大丈夫である。
- 文章自体も、抑制が効いているというのか、変にはしゃいだり怒り出したりせず、この人の著書の中では肩の力が抜けている方である。
- こういうのを、淡々と書いていれば、「あ、おれもこういうルートで旅してみようかな」等と旅情を上手くインスパイアしてくれ、「旅行作家」となる資格も備えられようと思うが・・・。それが、「銀づくし」だの「日本外周」だのというのは、いかがなものだろうか。
『汽車旅十五題』 (日本交通公社・1992年)
- 前出の「日本あちこち乗り歩き」と似た趣向・タッチの本。
- 「日本縦断スピード乗り継ぎ」の章は、多少落ち着きに欠けるが、一人旅でやっているだけ傷は浅いか。
- 但し、T村先生のスナップショットは満載。基本的に、いわゆる「出たがり」なのであろうか。それも電車の中での堂々たる横顔のお写真などである。夫人とのフルムーン旅行のページに至っては、T村家のアルバムを覗き見ているような、妙な気分にさせられる。
- ふと、これだけ著書がありながら語彙のあまり豊かでない人だな、としみじみ思う。「のびやかな」なるフレーズの使い方など、特に気になる。語彙に限界を感じているからこそ、写真の充実でしのいでいるというのだろうか。そもそも、「フリーの新聞記者」が書いているものだと思えば、この程度で十分なのかもしれない。本人も「旅行作家」とは名乗らず、「レイルウェイ・ライター」なる肩書で呼んで欲しいようでもある。
『きしゃ記者汽車』 (創隆社・1984年)
- 彼の自伝と考えてよいだろう。赤裸々なエピソードが綴られる。
- 中でも圧巻は、京大法学部時代に、愛称列車標を十数回にわたって盗み、ついに京都駅で現行犯でつかまるところ。駅の公安室での取調べ中に、常習犯なのに「出来心で初めてです」とウソをつき、「新聞社や大学に言わないで下さい」と懇願。「友達を待たせているので」等と言い、調書も取られず(但し学生証は取られる)いったん放免されたのをよいことに、お父さんが防犯協会の役員をしているという大学の先輩に頼んで穏便に取り計らってもらうことに成功。つかまる以前にコレクトしていた列車標は、琵琶湖に沈めてしまうのである。
- それで前科者にならずに済み、大新聞の記者として就職。その後は鉄道関係の記者クラブを担当し水を得た魚のように活躍するも、政治記者への配置転換を不服として退職。記者時代に知遇を得た当時の国鉄総裁や交通公社の関係者等のつてを活かし、「レイルウェイ・ライター」として出発し、雑誌の匿名コラムや観光ガイドブックの取材等で食いつなぐが、当時中央公論社を常務取締役で退職したばかりの宮脇俊三が紹介の労をとってくれたお陰で中公新書に書き下ろし(『時刻表の旅』)が収録され、しかもそれが売れたため、一躍世に認められるようになる・・・というのがあらすじである。
- 評価する点があるとすれば、とにかく正直に何でも書いてあるところか。しかし、それこそ新聞記者流のリアリズムも時と場合によるのではなかろうか、と思わせるくらいに、こってりした読後感だ。
『駅前温泉汽車の旅PART1』 (徳間書店・1993年)
- 若い読者を集めて、各地にある「温泉」関係の駅および該当の温泉を制覇していく話。
- 同行の若者達を茶化しながら各地のインプレッションを垂れ流すいつものスタイルについては、これ以上触れないが、この本で指摘しておきたいのは、彼の長女「ひかり」が顔写真も含めて登場する「第2章」。
- そもそも、長女が「ひかり」次女が「こだま」という命名って・・・という疑問はさておいても、1章まるごと、娘との他愛無いやりとりを並べ立てられて普通の読者がどう思うか、ということに対する配慮は、著者・編集者ともどもなかったのであろうか。それとも、彼の愛読者達がそれを求めているのであろうか。編集者あたりに「娘さんとの二人旅、微笑ましいというか、ほのぼのしますなあ」などと持ち上げられ、その気になってしまわれたのであろうか。
- さて、娘と巡った旅の間、前出の「ケースケ」との間でモメた「車番書き写し」の作業は、T村先生自らご担当。また、宿でゴキブリが出て悲鳴をあげる娘のために新聞紙を丸めて退治したりしており、若い同行者に雑事を全て押し付けているいつもの様子とは随分趣きが異なる。
- また、いつもは当たるを幸いとばかりに、無礼な店や宿、駅員などを怒鳴りつけたり小言を献上したりしているが、有馬温泉の脱衣所でヤクザがカギを投げつけたり従業員を怒鳴り散らしたりしているところでは見て見ぬふりである。男湯の脱衣所での出来事だから、愛娘が見ているわけもなく、自然体で嵐が通り過ぎるのを待てばよいとのご判断だったのだろうか。一方、例のゴキブリが出た旅館は実名入りで、「部屋に意見や感想を記す用紙があったので、昨夜来のアブラの一件を綴り・・・進言しておく。住所、名前も書き・・・なんらかの反応があるだろうと思っていたのに、なしのつぶてなのは遺憾である」と鬼の首を取ったかのようである。これではペンの持つ力にものを言わせた、「弱いものいじめ」をなさっているかのようだ。日頃からペンの暴力を弱者にふるうがゆえに、バチがあたって、行く先々でゴキだのヤクザだの、嫌な思いをなさるのではあるまいか。
『そばづくし汽車の旅』 (徳間書店・1991年)
- タイトルから、全国のうまいそばを選んで食べ歩く汽車旅のルポを想像させるが、そうではなく、駅の立ち食いそばでも何でもよいから、旅行中はそばしか食べない、という、乗り継ぎルポ。
- 旅程をそばに合わせてあるのではないので、ごはんどきになったら駅の立ち食いでも飲み屋のそばでも、そばでありさえすれば胃におさめてしまう。ゆえに、「旅なれたレイルウェイ・ライターが紹介する全国各地のうまいそばづくし」などというものを期待したら泣きを見る。(でも普通、期待すると思うが・・・)
- ありていに言えば、「乗り継ぎ」が最優先で、そばの質は二の次、三の次という感じである。よって、うまいそばのガイドブックとしては明らかに中途半端になってしまっている。実情は、乗り継ぎの題材が尽きてきたT村先生が、「そば」をダシに無理やりルートを作って乗り継ぎ旅を実践、それを本にしただけのことなのではないか。
- 世の中には、もっとうまいそばが、山ほどあるのに・・・。これだけ旅費と時間を使って、この程度の「そばづくし」しか出来ないのであれば、企画自体が間違いだったような気がする。
『日本縦断JRウオッチング』 (徳間書店・1989年)
- 表紙にはサブタイトル的に「民営化で日本のレールロードは再生したか」と、いかにもジャーナリスティックなフレーズが踊っているが、中味は国鉄からJRへと転換する刻限が迫る中、「志布志(しぶし・鹿児島県)」から「瀬戸瀬(せとせ・北海道)」といういずれも名前が回文となる駅の間をシャレで結んだキップを買い、そのキップの通り全国を縦断する格好で夜行や鈍行を乗り継ぐという、いつもの調子の「乗り継ぎゲーム」の顛末を綴ったもの。
- 髭剃りを寝台車に置き忘れて新潟で買ったとか、札幌駅でロッカーに預けたスーツケースを同行の「ヤング読者」に取りに行かせたら列車の出発時間になっても戻ってこず、スーツケースは後で別の同行者に東京まで届けさせた、とか、「民営化で日本のレールロードは再生したか」という問題とはあまり関係のない瑣末なエピソードが丹念に綴られており、釈然としない。
- また、高校生などの同行の読者たちが、当時流行のおニャン子クラブのメンバーにちなんで「稲生」(生稲の逆だかららしい)とか「岩井」とかの名前を持つ駅で途中下車したがるのを、いかにも愚かで若気の至り、という調子でこき下ろしているのだが、そういうT村先生が大まじめで取組んでおられる旅が、旧国鉄との「さよなら」にちなんで、「佐用(さよ)」から「奈良(なら)」行き、というのだから、「目くそ鼻くそ」とはこのことではないか。
- 本当に些細なことで同行の読者を怒鳴りつけるし、不要不急の旅の最中に何をそんなに苛立ったり慌てたりしているのか、不可思議である。例えば以下の文を参照されたい。
「なんと言われてもいいから寝ます」「もう歩かないで下さい」満澤と勉はシートに倒れ込んだ。・・・成田で19時41分の我孫子ゆき860Mに乗り換え、103系ロングシートの国電ゾーンに入ったが、二人はまだひたすらに眠る。我孫子駅ホームのそば屋が暖かそうな湯気をあげており、つい誘われて入り、天ぷらそばを注文。・・・寝ぼけまなこの二人ものそっと入ってきて、ぼんやり立っている。「食べるなら、早く注文しろ。快速に乗るよ」二人はつくづく舌代を眺める。駅そばのメニューなど、自慢の品が大書されていない限りどことも大同小異で、さっさとたのみ、早く食べるのがなによりなのだ。20時31分の快速上野行きが入ってきても、二人はようやく鉢にとりかかったところなので、あきれ果てて乗り込む。電車に間に合うように食べなければなんのための駅そばかということになり、計算違いだったら食べるほうをあきらめるのが筋だろう。もっともすでに国電区間に入っているのだから、電車はいくらでもあると思っているのかも知れないが、それならそれで、あとから行きますくらいのことを言えないわけはなかろう。鉢を持ったまま、ぽかんとこちらを見ているのだから、どうしようもない。・・・ようやく205系に乗ると、例の二人が近づいてきた。5分後の上野行きで追いかけたら、僕が日暮里でのんびりしていたものだから一緒になり、たまたま同じ車両になったのである。どうやら我孫子で乗り遅れたのを恥ずかしいとも思っていないらしく、二人とも平然としているので、新宿へ着いてホームへ出たとたん、勉を怒鳴りつけた。
- 「満澤」と「勉」はいずれも高校3年生で、夜行列車で3泊する全国縦断の旅に付き合い、この日は千葉の田舎でテクテク歩かされ、やっと乗り継ぎ時間だのを気にせず乗れる首都圏ゾーンに入り、安心からどっと疲れが出たのだろう。成田や我孫子近辺の何の面白みのない国電区間でもあり、私でも車中の時間は仮眠に充てると思う。それで乗り過ごしたり、あるいは寝起きでぼんやりしてうまく次の乗り換えに接続できなくても、すぐに次の電車は来るわけで、こんなところで「次の快速に乗るから早くそばを食べろ」だのと一人でイライラしているT村先生の方が不自然な感じである。ましてや、衆人環視の中と思われる新宿駅のホームで、「もっと駅そばはテキパキ食べろ」だのと60歳近い大の男が高校生を怒鳴りつける、という構図は想像するだにかなり寒いものがある。
『気まぐれ列車に御招待』 (実業之日本社・1989年)
- 例によって、ゲーム感覚で乗り継ぎ旅を企画・実行した記録集。フォッサマグナを辿る旅とか、レールラリー(汽車旅でオリエンテーリングをやるようなもの)とか、独り善がりのきらいもあるが、これは今に始まった話でもない。
- 本書のメインの「日本列島外周気まぐれ列車PART4」も同様。但し、北海道の離島など、普通はなかなか訪れることが出来ない地の実況になっている部分も多々あり、そういうところは興味深く読める。
- あとは、これまた結構正直に大層な失敗談が堂々と書かれており、凄いなと思わせる部分が巻末にあった。かねてより「外周の旅」にこだわるあまり、バスなどの路線のないところでも、「徒歩」で巡って来たようなのだが、ショートカットの功を焦って、海岸沿いの行き止まりの道へガードマンのやんわりした制止を振り切って踏み込み、誰もいないガケ地から危うく滑落しかけ、カメラやナップザックを海に投げ捨てて体勢を立て直し命からがらよじ登って生還したというのである。なぜかこういうところに限ってお得意の「写真」が収録されておらず、T村先生の文章だけでは現場のシチュエーションが想像し切れないのだが、恐らく死にそうな思いをなさったのだろう。
- 別の本で、断崖絶壁を見ればすぐに駆け降りていってしまう常連の「ヤング」読者を、『過激』といささか悪趣味なあだ名をつけて揶揄されていた(『気まぐれ列車の時刻表』82ページ)が、ご自身のほうがよほど『過激』なのでは・・・。
『東京ステーションホテル物語』 (集英社・1995年)
- これは「気まぐれ列車」などと異なり、東京ステーションホテルの歴史と現状を淡々と述べたルポ。
- 題材のホテル自体の持ち味に負うところも大きいのだろうが、T村先生の筆致も抑制が効いており、読後感もあっさりとして良かった。
- いっそ、巻末に堂々と収録されている「著者近影」とか、表紙の著者名に誇らしげに付けられている「レイルウェイ・ライター」の肩書きとかの、恒例の自己主張アイテムも取っ払ってしまうべきだったのではないか。この本の良さは、ホテルが主役、T村先生はあくまで語り部、という本来当たり前の役割分担を、T村先生としては奇跡的にこなしておられるところにあるのだから。
『バス旅 春夏秋冬』 (中央書院・1997年)
- バスの乗り歩き。編集者や読者との、いつもの如き旅の記録を記してある。
- 題材が列車からバス中心に代わっただけで、旅のスタイルは同じ。T村先生のスナップショットの満載ぶりも同じ。
- そして例によって、泊まった旅館での不愉快な体験を針小棒大に書いている。
2食つき16,000円の宿にしては、玄関が粗末だ。はいるとすぐ左手に銭湯のような履物入れがずらりと並び、雰囲気などあったものではない。日帰り入浴客用の設備なのだが、出入口を別にしないと品位に関わる。”24時間はいれる”と、フロント、お手伝いさんが口をそろえる浴場が、朝は8時までにあがって食堂へ行くことと何度も注意されたのも腹立たしい。8時からは清掃で、朝食後は入浴できないそうだ。それならば”24時間入浴可”は偽りである。夕食に温かい汁ものが一品もなかったのも解せない。メインの”戦国焼”は、肉や野菜を自分が焼いて食べる鉄板焼きで、汁を催促しても運ばれず、あげくの果てに「戦国焼に吸いものはつきません」と。その他いろいろあって、ついに爆発。
- 旅館の実名を挙げての指摘であることに照らすと、「その他いろいろあって、ついに爆発」とは、何となく卑怯な書きぶりではなかろうか。問題の在り様と責任の所在を曖昧にしてしまっているからだ。「その他いろいろ」より前の部分については、いずれも「難癖」あるいは「言いがかり」の域を出ないと思われる。玄関の件については、地方の温泉宿をつかまえて「玄関の造りが貧弱だから損した、カネ返せ」と主張しているようなものであり、陰惨な印象が拭えない。「24時間」の件にしても、「掃除に必要な数時間を除いていつでも入れますよ」の意であることは、良識ある大人なら想像が付くのではないか。ある「24時間温泉」付リゾートホテルで、早起きしてひとっぷろ、と朝6時に浴場に行ったら「清掃中」の札・・・という経験をしたことがある私にとっては、深夜とか早朝ではなく朝食時に清掃時間をぶつけてあるあたりは、逆に良心的なくらいだと思えるが。汁ものの件だって、米の飯を持ってこない、というならまだしも・・・。あったかい液体が欲しけりゃお茶でも飲んでりゃいいのに、何故に「爆発」せにゃならんの、と思ったのは私だけだろうか。大体、「爆発」だなんて、随分もって回ったような、不躾な言い回しではないかと思うが、どうだろうか。
『気まぐれ列車の時刻表』 (実業之日本社・1984年)
- 「気まぐれ列車」の初期のころの作なのであろう、同行の若い読者たちも概ね「クン」付けで呼ばれており、適切な距離感を持って付き合っている様子が窺える。
- また、スナップ写真の掲載や「著者近影」もなく、あっさりした印象。
- この程度であれば、「気まぐれ列車」も好感が持てる読み物なのに・・・と思わせる。ところどころ、若い同行者に対してかんしゃくを起こす場面もあるが、この本ではいずれのエピソードにおいてもT村先生の主張のほうがリーズナブルと思われる。
- 最近の著書ではいかにも気難しく一癖あるおやじぶりを発揮しているが、T村先生がご自身の老いにリンクして頑迷になっていったか、それとも昔の「ヤング」の方がお利口さんだったかのどちらかだろうと思っていた。この本に出てくる15年以上前の「ヤング」達の行動の幼さ、がさつさを見るに付け、どちらかというと前者の方ではないかと思われる。
- そんな「ヤング」達と何年にもわたって付き合ってきた結果、彼らとの距離感の測り方にかえって倒錯が生じてしまい、ご自身の加齢も手伝って、嫌味な感じに陥ってしまったのかもしれない。
『遥かなる汽車旅』 (日本交通公社・1996年)
- 『きしゃ記者汽車』と同じく、幼年期からの思い出を語っているが、『きしゃ記者汽車』と異なるのは、路線別に章立てされているところ。
- 「かなり長いあとがき」と題したあとがきで、この本の成立事情を説明しているが、『きしゃ記者汽車』との重複が避けられないため執筆を渋ったものの、担当編集者が是非と懇願するので仕方なく書いた、という風に読める。かなり言い訳がましく、やたら責任転嫁するこの人のいつもの悪いクセが出ており愉快ではない。
- 実情は、『きしゃ記者汽車』がほとんど絶版同然で売れず、また小さい出版社が作ったダサい装丁の本であるため、有名会社から綺麗にデザインされた装丁で、文章も「大レイルウェイ・ライター」にふさわしく格調高いものに・・・などの欲望が頭をもたげた結果、「自伝のフルモデルチェンジ」という珍妙なプロジェクトに相成ったのではなかろうか。
- フルモデルチェンジしたとはいえども、「切符売りのおばあさんの売上金をくすねた」とか、ダークなエピソードは包み隠さず披露している。列車の愛称プレート抜き取りの件も記されている。
- あとは、四隅をぼかすなど、多少気取った処理を施したスナップ写真の数々。汽車ポッポの写真が多いが、そういうのとは別に、唐突に奥様の若い頃の写真がデカデカと掲載されている。何なんだろう・・・。
『快速特急記者の旅』 (日本交通公社・1993年)
- 「レイルウェイ・ライター」生活20周年を記念し、直近10年間の著作からより抜いたもの。音楽でいえば、自選ベストアルバムみたいなものか。
- ルポ、エッセイ、レビュー、フィクション、トークと章が分かれており、エッセイには、「僕はきわめて好き嫌いが激しく、気まぐれ人間である。周囲の若い人たちに対しても、まったく飾らずに接し、気に入らなければ叱り飛ばしている」と素直に書かれている。「気まぐれ」で全てが免責されるわけではないとは思うが・・・。
- フィクションの章は、「愛着のあるショートショート」を含む2編が収録されているが、音楽でいえば、「アルバム1枚のうち必ず2〜3曲はある『捨て曲』」みたいなものか。CDだったら、プレイヤーのスキップボタンを押してしまうところ。
- T村先生はやっぱり「ルポ」に尽きる、としみじみ思わせる。一人旅の文章などは、「乗り継ぎ」シリーズのような騒々しさがなく、いい感じだ。
- 最終章の「トーク」は、宮脇俊三と開業時の上越新幹線に初乗りした車中での対談。「二人掛け座席を向かい合わせにして話し合ったのだが、スラブ軌道の音が高いうえ宮脇さんの声は小さいのでよく聞き取れず、適当に語を継いだ。テープ起こしが大変だったらしい」と冒頭に書かれているのだが、「声が小さいのでよく聞き取れず適当に語を継いだ」などと、「宮脇さん」に対して随分デリカシーに欠ける書きぶりではなかろうか。向かい合わせに座ったりせず、ちょっと動いて隣り合わせに座ればもう少し聞き取れたのではないかと思うのに、「声が小さい」「スラブ軌道の音が高い」と、ご自分の非を認めようとしないのは読んでいて後味が悪かった。『きしゃ記者汽車』にあったように、「宮脇さん」はT村先生が「レイルウェイ・ライター」としての活動を軌道に乗せる際、手助けしてくれた恩人ではなかったのか。
『史上最大の乗り継ぎ旅』 (徳間書店・1992年)
- JRグループの中で、最も低いところにある「吉岡海底」駅から、最も高いところにある「野辺山」駅まで、7泊8日・総延長5,300キロにわたって日本列島を縦断かつ西日本をブーメランのように一周する一筆書きの旅。当時T村先生一派がトライした乗り継ぎ旅の中では最大のスケールを誇る、ということでこの大仰な書名が付けられた。
- 総参加者は集めも集めたり96人ということで、相当騒々しい旅であったことが行間から伝わってくる。中でも『駅前温泉汽車の旅PART2』で活躍した「ケースケ」君のオッチョコチョイぶりが逐一記されており、ガチャガチャした印象をより強めている。
- T村先生自体も「これでいいのか」という疑念にとらわれていたようで、ぞろぞろ後をついてくる「ヤング」達の群れから何とか抜け出そう、一人の静かな時間を持とう、とあがくさまが幾度か描かれている。また、次のような感慨を巻末にふともらしている。
世間一般の常識では過激に類する遊びをヤングと共にこなしてきたが、いつまでもこんなことができるわけはない。あといくつか趣向を変えた乗り継ぎを試みたら、汽車旅ゲームの白紙ダイヤ大改正を実施したほうがよいような気もする。もうしばらく、このまま突っ走り、20周年を期に、どこかで立ち止まってみよう。
- このような宣言をした1年後に「20周年」を迎えたわけだが、その後、最近の「銀づくし」に至るまで、同じパターンの汽車旅ゲームを幾度となく繰り返しているのが実情である。読者サークルのようなものが組成され、それがT村先生の意思と離れて一人歩きしてこの手のゲーム的企画を次々実行してしまっているようでもあり、またそういった乗り継ぎゲームの実行ぶりを綴るだけで本書のようなものが次から次へと量産できるというウマ味もあいまってか、この路線から離れられないようである。
- 原稿料で口に糊する立場としてはそれでよいのだろうが、そうは言ってもガチャガチャした旅に自分でも時折嫌気がさすのであろう、フラストレーションを遠慮なく「ヤング」達にぶつけている。
固いベンチでうたた寝を繰り返しながら深夜便を待って、南海フェリー「ニューたちばな」で夢のつづきを見たのだが、その間、フェリーの大部屋に移って目がさえたのか、いつまでも雑談を続けていた岸本、ケースケらに雷を落としている。どなりつけると、こちらの精神衛生にも良くないので、できるだけ押さえることにしているのだけれど、とうとう爆発した。疲労がたまった証拠である。
- ご自身の安眠を妨げるケースケらに我慢がならなかったのだろうが、フェリーの大部屋で怒鳴り声をあげるのはいかがなものか。大部屋というのなら、他にも眠っている人や、眠りにつこうとしていた人がいたのではないのか。大部屋全体で「岸本」「ケースケ」らとT村先生しかいなかったというのなら別だが・・・。
- また「あとがき」に、「運輸界と鉄道趣味界の重鎮、和久田康雄さん」の手になる、T村先生の前著『「青春18きっぷ」の旅』の書評が引用されているが、「和久田さん」の皮肉たっぷりの筆致に、思わずこちらがたじろいでしまうくらいだ。
・・・さすがに20年近くレイルウェイ・ライターをしていると、ふつうの汽車旅ではマンネリズムになるのだろう。そうかといってただの語呂合わせのようなコースの設定には、わたくしなどはあまり感心しない。そこで、何かある制約を置いての旅行が面白いということになる。しかし、前作の「そばづくし汽車の旅」のように米飯は食べないで「そば」だけで全行程を通すというのでは、「汽車旅」というより食べ歩きの旅行記といった感じになってしまう。・・・さて、1日1,000円あまりで汽車旅ができるとして、この本の定価1,400円というのはいったい安いのだろうか高いのだろうか。
- T村先生は、「いつもながらシニカルな和久田さんの視点には恐れ入るばかりだ」とか言いながら引用しているのだが、この辺は引用を含めてT村先生から「和久田さん」への怒りの婉曲表現なのであろうか。
『「青春18きっぷ」の旅』 (徳間書店・1992年)
- JRが発売する激安切符である「青春18きっぷ」を使い、「どれだけ安く、どれだけ長距離乗れるか」に挑んだ旅の記録。
- 総費用2万円、青春18きっぷや指定席券、フェリー券にかかる費用を控除すると5日間で5,400円という少額で食費その他全てを賄う過酷な旅と、費用の制約をなくし、日本列島四島を7日間で回る方に重点を置いた旅の2つを取り上げている。
- 2万円の旅の方は、そもそもT村先生一派の仲間内で盛り上がろうとしたゲームでしかないと言ってしまえばそれまでだが、予算設定があまりに低廉に過ぎ、1日あたり1,080円で全てを賄わねばならないため、単なる我慢比べの記録になってしまっており、読者としては今ひとつ感情移入出来ない。1個の駅弁を3人で分け合ったり、大のおとながキャンデーを夕食代わりにしたり、はっきり言って非現実的だ。普通の人が普通に旅してもこんなに安上がり、というようなことだったら、実用的な旅の記録になるのだが・・・。かと言って、我慢比べとしても中途半端。T村先生は、「仙人になるつもりはない」ということで、タバコやビールをちょくちょく買っているし、他の参加者は旅程が首都圏に近づいたところでコースからぱらぱら離脱し、実家に帰って食料を仕入れてから復帰したりしている。
- また、T村先生がご自分の大便の様子を逐一報告しているのも妙な感じだ。「いくぶんいつもより茶色っぽいかなという気がした程度だ」とか、はっきり言って汚らしい。
『鉄道を書く 自選作品集2』 (中央書院・2000年)
- 新聞記者時代にあたる1970年から73年に書かれたものを集めている。
- 読後感を端的に言えば、古新聞をイッキ読みしたような感じ。
- この人の文体は、作家としての風合いとか滋味とかには欠けると思うが、この本を読むと、新聞記事の書き手としてはこれで良かったのかな、と思わされてしまう。旧国鉄の実態に迫る現場レポートのようなものは、この程度でもそれなりに読めるのだ。
- しかし、やはり紀行文となると、新聞記者の文章であるがゆえの味わいのなさが気になってしまう。やっぱりこの人は「鉄道ネタ専門の新聞記者」を永遠に続けられれば本人も読者も一番ハッピーだったのではないか。それが人事異動で叶わなくなったことから退社したものの、本人の希望に一番近い「フリーの新聞記者」なんてものは肩書きとして通用せず、かといって「鉄道作家」と名乗って内田百閧竏「川弘之あたりと比較されても惨めなだけなので、「レイルウェイ・ライター」なる造語をひねり出し、現在に至っているわけであろう。
『日本縦断JR10周年の旅』 (徳間書店・1997年)
- 『日本縦断JRウオッチング』の続編のような位置付け。すなわち、「JRグループが10周年になろうとするいま、ひとつの大きな節目であり、JR6社の現状を見つめ、10周年で変わったポイントをたどる旅をしようと考えた」と巻頭にあるが、民営化後に各社が打ち出してきた施策の諸成果である空港アクセスの利便性向上、アイデア車両の新造、狭軌・標準軌並列によるミニ新幹線化、貨物線活用での新ルート設定などの現場をいつもの乗り継ぎスタイルで見て歩いた記録である。
- このように、ふれこみ自体はなかなかジャーナリスティックであるが、実態はいつもの騒々しいグループ旅行日記でしかない、と言ってしまってはミもフタもなさすぎるであろうか。最後にとってつけたようにJR各社の行く末を案じ、JR九州に関して「鉄道を九州全体の問題として考えると、なんら数字的な根拠はないが、JR九州と西鉄(西日本鉄道)の大同団結も、ひとつの道ではないかと思う」などと述べているが、こういう浅薄な考察もどきの一文を、「蛇足」というのであろう。「数字的な根拠」が示せないのは仕方ないが、それ以外の「根拠」くらいは示さないと、ただの寝言にしか聞こえない。「同じ九州の鉄道会社だから、大同団結」と言いたいのだろうか。そんな提言なら小学生でも出来るだろうに。西鉄とかJR九州の職員が読んだら、どう思うのだろうか。競争原理のもと切磋琢磨している私企業である西鉄・JR九州双方にとって、捨て置けない記述と思うのだが、会社側から抗議されたらどう答えるのか。
- 巻末で、「紀行よりも、JRレビューのような要素が強くなり、かなり固い本になったが、JRグループの現状と問題点を考える手がかりになれば幸いである」と大仰に記しているが、「しみとりーな」なるしみ抜き剤でコーヒーをこぼしたあとのしみがきれいにとれ、大喜びで帰宅後長女に話すと、彼女も「しみとりーな」セットの愛用者だった、などというエピソードを延々と垂れ流している本書のどこが「かなり固い本」で、どうやったら「JRグループの現状と問題点を考える手がかり」になるのか。
『気まぐれ列車は各駅停車』 (実業之日本社・1986年)
- 「汽車旅おにごっこ」「日本列島外周」など、いつもの調子で乗り継ぎ旅を展開する。
- 他の本に当たり前のように出てくる「乗ったで・降りたで」なる用語の由来はこの本に出てくる。用もないのにむやみに途中下車し、その駅の数を競う「降りたでごっこ」というゲームが京大鉄道研究会で流行っている、と若い読者から旅の途上で聞き、なぜかこれがT村先生の琴線に触れたようだ。こうして、当時の京大生が仲間内で言い習わしていた「乗ったで・降りたで」あるいは「下車駅増殖」などという、世間一般では熟していない用語が以後のT村先生の著書に注釈もなしに氾濫することになる。
- これらの語句は、およそ味わいとか風合いが芳しくないと思うが、T村先生はご自分の母校の後輩たちの造語に何の抵抗感も示さずそのまま自著にインポート。他方、関西学院大の一年生である一読者がシャツのすそを外に出して彼の前に現れた際には、
なんともだらしない格好である。ただちにどなりつけそうになったが、ひとまず今回は関西の新米大学生の生態を観察しようと思いとどまる。
- ・・・という具合で、ヘンにギスギスしている。シャツのすそを出すのは別に本人がだらしないからではないのは勿論であり、こんなことで怒鳴りつけられてはたまったものではない。そもそも、登場する読者の所属大学や会社の名前をいちいち挙げるのは何なんだろう。
- なお、この本には、「ヴァンクーヴァー気まぐれ列車」なる一章があり、カナダの地で例によって「乗ったで・降りたで」を果敢に試みようとするさまが描かれている。時刻表に太字で書かれているからという理由だけで適当に「降りたで」駅を設定し、夜行列車からド田舎の駅に降り立ってみたり、かなり無茶をしている。幸い、命にかかわるような事態にはならなかったようだが、外国の田舎駅に下調べもせず夜間に「降りたで」するのはかなり向こう見ずな行為だと思う。政府機関からの招待による万国博取材旅行のわずかなフリータイムを使っての「気まぐれ列車」であったようだが、もし万一の事態にでもなれば、招待に関わった人たちにかなりの迷惑がかかるであろうことなど、予想できなかったのだろうか。こういう向こう見ずな「気まぐれ」は、私費で再訪して別途試みるべきではないのか。
『時刻表の旅』 (中公新書・1979年)
- 時刻表にまつわる歴史、規則・規程、世界各国での発行状況などを踏まえつつ、自身の豊富な経験を織り交ぜ、汽車旅とその周辺を紹介した本。
- 最終的に何を伝えたいのか今ひとつはっきりとせず、読後感としてはやや散漫な印象であるが、種々のエピソードはそれなりに面白く、読み物としてはひとまず成功していると思う。また、当時の新書としてはかなり柔らかい内容であったと思われ、商業的にも成功した部類であったと聞く。
- 但し、そのエピソードの多くが今となっては古びてしまい、実用には耐えない。それを承知の上で、図書館か古書店でタダもしくは廉価で入手し読むのならいいだろう。
『気まぐれ郵便貯金の旅』 (自由国民社・1997年)
- 日本全国にちらばる郵便局で細切れに貯金をし、記念に通帳に局名印を押してもらう、というゲームに熱を入れ、4,000局弱の訪問数に至るまでのエピソードや、7,000局あるいは10,000局の大台に乗せた読者(とその友人)の奮闘ぶりを紹介するもの。
- 「僕の旅行貯金は自然体を旨としている」と宣言したり、「気の向くままに旅行貯金」なる一章を設けたり、「気まぐれ」「自然体」を強調している割には、離島での局めぐりが時間的にギリギリとなり、民宿のおやじにクルマで送迎させるよう手配したり、郵便局に船上から陳情の電話をしたりと大騒ぎの末、取扱い時間外になってしまったにもかかわらず、局長に泣きついて貯金したりしている。しかもそこでは、同行の者たちが勝手に過熱しており自分は基本的に関与していないかのように書いている。だが、自分も一緒になって時間外の貯金をしてもらっているのだから、独りいい子ぶるのはおかしいし、年長者として見苦しい。
- これが、「僕流自然体旅行貯金」(第三章「気の向くままに旅行貯金」の見出しより)だというのなら、これだけ厚顔無恥な、旅の恥をかきすてるかのような貯金を自然体で続けるのがT村先生流、ということになってしまう。
『鉄道を書く 自選作品集1』 (中央書院・1998年)
- 駆け出し〜中堅新聞記者時代にあたる1960年から69年に書かれたものを集めている。
- 当時の国鉄当局に入り込み、現場でしか得られぬ題材を拾ってきては、自らの取材旅行による実体験で肉付けして記事にまとめてきた様子がよく分かる。
- やはり、この人はずっと鉄道専門の新聞記者でいるべきだった(もっとも、大手新聞社というサラリーマン組織の中ではあり得ない話ではあるが・・・)のだろうな、とつくづく思わせる本だ。題材そのものは古びているものばかりだが、中味が濃いものが多い。独立し「レイルウェイ・ライター」になられた後は、ご自分の感情とか思い込みを書き散らすスタイルを定着させてしまったが、新聞記者時代の書きものは、独自に取材した事実に基づいており、木目細やかさがある。
『レールウェイレビュー 国鉄激動の15年』 (中央書院・1986年)
- 新聞記者ではなくフリーのライターになった後、鉄道趣味専門雑誌に連載しつづけてきた「国鉄時評」を収録したもの。
- 記者時代とは異なり、ソースが基本的にディスクロ資料とか新聞記事、それと自分の旅での体験に限られているため、はっきり言えば「鉄道にうるさいプータローのおじさんが作った家族新聞」みたいな感じ。つまりは、彼の主張に具体的裏付けが欠けており、単なる思い込みとか感情論に堕してしまっているし、彼の周辺での些細な出来事を針小棒大に言いつのる「批評」ぶりが全体の説得力を一層弱めている。やはり大新聞社の記者が持つ取材特権は大きかったのだろう。『鉄道を書く 自選作品集1・2』と読み比べると、そんな彼の悲喜劇がよく分かる。
- 「あとがき」には、本書の狙いが次のように書かれている。
「レビューの視点は、あくまでもレールファンの一人で鉄道のおかれている現状についてかなりの情報と理解をもっている僕が、日ごろの体験を基調にして、鉄道関係者に、ときによっては仲間であるファンに呼びかけるトーンを貫いてきたつもりだ。最近、「レビューを読むのが楽しみ」「新聞の社説などより歯切れがよく、理解しやすい」といった便りもいただくので、基本線は間違っていないと信じている・・・。
- そうか、「子ども新聞の社説」をまとめて読まされていると思えば良いのか。道理で、つまらないと思った・・・。とにかく、T村先生の数ある著作の中で、一番つまらない本だった。本当に、社説みたいに平板でどうしようもない「べき論」しか書いていない。唯一盛り上がったのは、例によってT村先生がキレて駅員を怒鳴りつけるところ。切符を「持たせ切り」しようとした改札係とその上司に対し、「少しお酒もはいっていたので約10分にわたり改札口前に突っ立って、大声で執務態度を追求することになった」というわけで、丁々発止のやりとりが3ページにわたって綿々と記されている。しかし、「少しお酒もはいっていたので」って、タダの酔っ払いがオダをあげているだけじゃないですか。自重していただきたいものである。
『気まぐれ列車が大活躍』 (実業之日本社・1996年)
- 「中央構造線気まぐれ列車」「日本列島外周」といった、定番の乗り継ぎ旅の記録。例によって・・・という感じの本であり、今さら改めて批評するのも面倒になるくらい、いつもの調子が続く。
- そもそも、この人の書くこういう本って、どういうジャンルに属するのか、また本人や出版社はどういうジャンルに属していると思っているのか、などと考えてしまう。紀行文としては騒々し過ぎるし、ルポルタージュとしては身内ネタが多すぎるし、ふざけているでもなし、シリアスに徹するでもなし・・・。ヌエのような出版物ではないか。
- そう思って表紙をふと見ると、隅の方に「ユーモア汽車旅エッセイ!」の文字が躍っているではないか。・・・そういうつもりだったのか。それにしたって、「ユーモア」も「エッセイ」も、世間一般ではも少し違うものを指しているのではないか、と思うのは私だけか。同行者の段取りがまずくて徒歩ルートが伸びたり、温泉宿で宿泊を断られたりで、
・・・ここでまた歩かされたら爆発していたかもしれず、なんとかにこやかに酒を飲めそうで、なによりである。
- などと、破裂しそうになってはしぼみまた膨らんでゆくフーセンのようなT村先生の子どもっぽさが「ユーモア」を醸し出している、とでも言うのだろうか。
『新版 汽車旅相談室』 (自由国民社・2000年)
- 列車・切符・時刻表についてのQ&A;をまとめた本。割引切符の扱いや区間変更・払い戻しといった煩雑な手続き時のルールなどについての読者の質問に、丁寧に答えている。
- また、巻末には、長崎〜佐賀〜福岡近辺を安上がりに巡った旅の実践例が収録されている。カメラマン、編集者を従えた計3名での「ミニ・気まぐれ列車」であり、いつものごとき読者大勢とのドヤドヤ乗り継ぎ旅で見られる騒々しさはない。
- 年を追うごとに混迷を深める乗り継ぎ旅シリーズ、とりわけ最新の『「銀づくし」乗り継ぎ旅』での暴君ぶりに照らし、失礼ながら加齢による心身面の変調すら想定してしまったが、一人旅あるいは編集者との二人連れくらいであれば、落ち着いた旅がまだまだ期待できるようだ。『日本あちこち乗り歩き』同様、読者ご一行が絡まない本の方が好ましく読めることを、T村先生とその周囲はそろそろ悟って欲しいものだ。
『気まぐれ列車と途中下車』 (実業之日本社・1991年)
- 「日本列島外周」などのほか、韓国の汽車旅や北海道の家族旅行記も交えた、いつもの調子の本。
- 旧知の読者にあだ名(とは言っても「豊田さん」を「トヨさん」と呼ぶたぐい)で呼ばれたくらいで、「30歳近くも年が離れた相手に慣れ慣れしく呼びかけられるのは不快である」と機嫌を損ね、その読者が土産にと手渡した寿司の折詰に「荷物になるのにありがた迷惑」などと八つ当たりしたり、バスの営業所で鉄道駅との連絡や宿の様子などの観光情報を仕入れようとしたところうるさがられたのに腹を立て「大声でどなりつけて」しまい、同行の読者に仲裁役を買わせたり・・・と、相変わらずカミシモ付きのパーソナリティを披露。
- そんな中で、韓国の汽車旅の章は面白い。案の定、バラック建ての魚屋でボラれたり、メーターを倒さないタクシーにふっかけられたり、「日本語勉強中」という若い女の客引きにヘンな土産物屋へ連れ込まれたりするのだが、T村先生は不思議と鷹揚に構えておられるのだ。日本でだったらきっと怒声が飛ぶか機嫌を損ねて同行者に当り散らすか、というような場面が続々なのだが・・・。思うに、「韓国では多少損をしても何十円、何百円にしかならない」ことが大きいのだろう。ボラれる都度に円換算しておられるし、穴のあいた靴を釜山の地下街のセールで4,500円にて買い換え、満足だったことを殊更に書き立てておられるし・・・。
- なお、関釜フェリーから下船した途端に寄って来て日本語で話し掛ける客引きについて、
タクシーに乗らないか、案内しよう、どこへ行く・・・。すべて日本語で便利のようであるが、この連中は相手にしないに限る。
- と一刀両断のT村先生であったが、根本敬の『因果鉄道の旅』を座右の書とする私は、「第二の尹さんとの出逢いのチャンスをみすみす・・・。惜しい!」などと、ここだけ意味もなく切歯扼腕してしまった。
『新・地下鉄ものがたり』 (日本交通公社・1987年)
- 地下鉄の歴史、各線の現状などをまとめたもの。地下鉄の「雑学本」として、よく出来ている。
- 『東京ステーションホテル物語』と同様、T村先生の文体もいつもの騒々しさがなく、落ち着いておりいい感じだ。
- 専門書のような堅苦しさがなく、誰にでも親しめる書きぶりで、T村先生の文章の良い面が出ている本だと思う。
- なお、書名についてだが、「あとがき」で、ソフトな感じを出そうとひらがなの「ものがたり」にした旨書かれている。しかし、これだと児童書と勘違いしてしまう恐れがなくはないか。少なくとも私は実物を手に取るまでそう思っていたが・・・。
『日本縦断・「郵便貯金」の旅』 (徳間書店・1995年)
- 『気まぐれ郵便貯金の旅』と同様、旅行貯金の体験談を綴ったもの。
- 念仏のように「自然体の積み重ね」を強調しているが、その割には時間外の取扱いを頼み込んでやってもらったり、ATMで預け入れておいてから貯金窓口以外の局員をつかまえ、「記念だから」と局名印を通帳に押させるなど、けっこう無理をしている。
- どうやらこの局名印(ゴム印)が旅行貯金のキモであるらしい。ところが一時期、郵政当局の指導で「通帳をなるべく汚すな」ということになり、局によっては押印拒否をするようになった。T村先生は周囲のファン達から押印拒否の話を予め聞いてはいたようだが、いざ自分が拒否された時は怒り心頭、見事な瞬間湯沸器ぶりを発揮しておられる。
「そうですか、分かりました。そちらで押してくれないなら自分で書きましょう。ゴム印くらい、文房具屋でたのめば、すぐできるのだから」頭に血がのぼり、女性局員の目の前のカウンターでボールペンを持ち、ゴム印の書体に似せて「山田郵便局」と支払高欄に横書きした。通帳が汚れるから、いたずら書きしてはいけないといった御注意はなかった。皆無言で、足音高く山田郵便局を出る。大人げないが、ともかく、こういう次第になった。
- ご丁寧に、山田郵便局で預け入れた問題の部分の通帳のコピーまで収録されており、T村先生のゴム印に賭ける熱い想いが伝わってくるようであった。たかがゴム印ひとつでここまで熱くなれるなんて・・・ある意味、うらやましい。これがT村流・「自然体」なのであろう。
『気まぐれ列車も大増発』 (実業之日本社・1992年)
- 「日本列島外周」などのほか、ヨーロッパの汽車旅なども併せて収録した、例によって・・・という感じの本である。
- 恒例の「外周気まぐれ列車」は、隠岐、壱岐・対馬といった離島を丹念に訪れており、興味深い。こういった島々がどんなところで、どういう暮らしがそこにあるのか、というようなことは、普通はなかなか分からないものである。これら以外にもマイナーな島々が沢山出てくるのだが、そういったところにいちいち足を伸ばし、場合によっては宿泊してくるのだから、情報価値についてもそれなりに認められる部分がある。
- しかしながら、併載の「ヤング読者」達との「気まぐれ列車」は、例によって読者達とT村先生の楽屋オチみたいなのがてんこ盛りで、情報価値はとてつもなく低い。例えば、以下のような一節を読まされて、我々「部外者」としてはどう反応したら良いのやら・・・といったところだ。
「どこへ行ってたんですか。おそいなあ」湯舟に沈んでいた景が、不機嫌な声を出した。(中略)「便所。入浴、夕食の前にさっぱりしてきた」「きたないなあ。よく洗ってくださいよ」若い読者と温泉へ出かけ、身体に湯をかけなかったりタオルを湯につけるなど入浴のエチケットを知らない面々に、その心得を説くことはあっても、少年に洗えと命じられたのは初めてで面くらった。排便してきたないときめつけるのも妙なもので、誰でもさかのぼれば、用をたしたあとで入浴していることになる。直後はきたなく、時間が経てば問題なしということにはなるまい。ともあれ、景の潔癖さを垣間見た思いだ。
- これって、「景」(同行の読者の名前)の方が「潔癖」なのかなあ。「誰でもさかのぼれば用をたしたあとで入浴していることになる」っていう、T村先生の思考回路の方がどう見ても異常だけどなあ・・・。こういうふうにテメエの尻拭きに無頓着な手合いが、温泉やら銭湯やらにもいっぱい来てるんだろうねえ。今度のゴールデンウィーク、温泉宿に行こうかと思ってたんだけど、急にイヤになって来ちゃったなあ。
『アメリカ大陸乗り歩き』 (中央書院・1995年)
- アメリカ合衆国のアムトラックおよび各都市の地下鉄などの乗り歩きと、カナダへのフルムーン旅行記を収録。
- ロスやシカゴなどで、けっこう危なっかしい地域に出入りしながら、ふらふらと乗ったり降りたりしている。同行の読者が、英語を一通り解し、アメリカの治安状況も把握しているようであり、危機感の薄いT村先生に盛んに注意喚起することで、最終的には危ない目に遭わずに済んでいるのだが・・・。
- カナダへの旅は、せっかくのフルムーン旅行でありながら、また例によってかんしゃくを起こしている。団体ツアーに参加したため、同行の他の参加者と服装を打ち合わせてからディナーに出る決まりにしていたところ、新婚さんの参加者が打ち合わせ時と違う服装で出てきた、ということで以下のようなご反応である。
・・・二組のハネムーナーはネクタイ姿だ。僕は日ごろカラーシャツを愛用しているけれど、バランスということもある。それ以上に、ラフにしましょうと言っておきながら、きちんとしてきたのが腹だたしい。いったい、どういうつもりだ、ふざけるなと、つい、どなってしまう。・・・僕だって、好んで声を大きくするわけではない。どなられたほうはもちろん、こちらも一層不愉快になる。しかも相手は二組の若い新婚さんで、かたわらに奥さんがいるのだ。たまたまツアーで一緒になっただけの他人にののしられては立つ瀬があるまい。声を出してすぐ、大人げなかったとは思ったものの、許せないことは許せない性格なのである。
- 相手がよほど人間の出来た「新婚さん」だったのだろう。何事もなくてよかった。万一相手がヤンキーの新婚カップルだったりしたら、ナイヤガラの滝あたりに沈められてもおかしくないと思うのは私だけか。
『気まぐれ列車や汽車旅ゲーム』 (実業之日本社・1994年)
- 恒例の「日本列島外周」のほか、ゲーム性の濃い乗り継ぎイベントの記録を収録。
- 「外周気まぐれ列車」で長崎県の五島列島をくまなく回っている様子は、日常性からの離脱というような意味合いにおいて、なかなか面白く読める。この辺は、『気まぐれ列車も大増発』と同様である。
- あとは例によってT村先生の血の気の多さが見どころといえば見どころ。台湾の宿泊先で、余りにみすぼらしい部屋をあてがわれ、にわかに怒りが込み上げて「血相を変えて帳場にのり込んだ」ところが、単にT村先生が間違えて従業員の宿泊室に入り込んでしまっただけだったり・・・。「照れ笑いしながら平身低頭するほかない」とあるが、ちゃんとまじめに謝ったのであろうか。
『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』 (実業之日本社・1987年)
- 佐賀県から北海道まで、1985年当時の国鉄の鉄道、バス、航路をフルに使って組み立てた最長片道ルートを辿る旅。鉄道12,000キロ、バス5,600キロ、航路110キロ、計18,000キロ・23万円也の片道きっぷを手に、分割民営化前の国鉄ネットワークを縦断する。
- 読み進むにつれ、なかなかダイヤがうまくつながらず苦労したり、乗り換えポイントがはっきりせず迷ったりと悪戦苦闘するT村先生とともに、「まだ半分か・・・先は長いなあ」などと意識を共有してしまいそうになる。換言すれば、常連読者たちとの汽車旅ゲームのたぐいよりは共感し、感情移入できる部分があるということだ。
- しかし、感情移入するからこそ気になるのが、ダイヤの都合やT村先生自身のアポの都合などに鑑み、たびたび経路をショートカットしたり、逆さに回って事足れりとしたり、ひどい時にはタクシーに代行させたりしている点。出発前には、国鉄当局にルート選定や円滑な進行のための協力を仰いだり、最長ルートの計算にノウハウを持つ眼科医の手を煩わせたりしてルートの精緻化に血道をあげたわりには、旅の疲れも手伝って、次第にいいかげんになってくる。ここはお得意の「気まぐれ」ではなく、まじめにやって欲しかった。
『日本縦断鈍行最終列車』 (徳間書店・1986年)
- 国鉄の分割民営化を控え、前年に最長片道ルートを辿った(『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』)T村先生が、国鉄の全国ネットワークと離れ難い思いから、鈍行列車だけを使って再度日本列島を縦断した旅の記録。
- 再度、といっても、今回は鈍行列車しか使わないためバス路線の乗り継ぎではなくレールの上がメイン。しかも乗ったり降りたり郵便局へ足を伸ばしたり、といったいつもの「気まぐれ列車」ぶりや、鬼ごっこやクイズなどに興ずる独り善がりの「汽車旅ゲーム」ぶりが目立たず、T村先生自身は結構大人しく決まった列車を乗り通している。
- ところが、せっかくT村先生が日頃の暴れん坊ぶりを見せずにいるのに、最長片道ルートの旅と比べ本書の印象は相当ガチャガチャと落ち着きのないものなのである。その主因として、今回は読者ご一行様が大量にゾロゾロついて回っている、ということを挙げねばなるまい。一部区間参加や駅頭出迎え・見送りといったものも含めると、のべ130名は下らないようだ。こうして小中学生なども含め相当にワサワサした団体旅行と相成るわけである。
- 読者達がすし詰めになりタコ部屋のようになった夜行列車(カーペット客車といって座席を取り外しカーペットを床に敷いた簡易お座敷列車)内の見るからにむさ苦しい様子や、駅の構内で新聞紙を敷いてザコ寝する読者達の死体のような寝姿といったスナップ写真が満載で、はっきり言って見苦しい。
- T村先生の本を読むにつけ、「T村先生と読者ご一行様」とたまたま車内や駅頭で行き会ったりしたら、相当いやだろうなと漠然と思っていた。車中泊の連続などでまともに風呂に入れず体臭プンプンの中高生読者と、朝から常習的にビールやワンカップに手を出すため酒の臭いを体中の汗腺から大量に発するT村先生および中高年読者の一群・・・。これはT村先生の本のほとんど全てにわたって活写されているご一行様の行動から勝手に類推していた姿なのだが、本書に載っている何枚もの写真を見れば見るほど、私のイマジネーションはそう外れていなかったのではないか、との思いを強くした次第である。
『気まぐれ列車だ僕の旅 九州・南西諸島渡り鳥』 (実業之日本社・2000年)
- ここ数年、単行本化が進まなかった「日本列島外周」を一気に収録。南西諸島を丹念に巡った上で、時計と逆方向に九州をぐるりと回って下関まで至る。
- 『気まぐれ列車が大活躍』から3年半ぶり、「気まぐれ列車」シリーズの9冊目となるのだが、「あとがき」に見られる以下のような文章に、過去の著作物を絶版にし続けるばかりで新作をなかなか出してくれない版元へのフラストレーションのようなものが窺える。
版元の都合で大幅に遅れたため、各巻に分載してきた「日本列島外周気まぐれ列車」の旅が、どんどん先行してしまい、異例の”外周特番”長大編成になった。
この本の第一部、「ようこそ日本列島外周気まぐれ列車の旅へ」は書き下ろしで、『気まぐれ列車が大活躍』までに収録した鹿児島県阿久根市への旅路を振り返り、絶版になっているシリーズから、要所を引用した。
- 上記のような背景を踏まえて読み進むと、T村先生の苛立ちが随所に淋しく垣間見える。『気まぐれ列車に御招待』に収録された通り、T村先生は過去「外周列車」の単独行において無人のガケ地からの墜落未遂事故を起こしており、それ以来、常連の読者仲間は「なるべくT村先生を独りにしないようにしよう」と示し合わせてきたらしい。しかしながら、そんな慈愛の精神にあふれる常連達も歳月とともに家庭を持ったり会社で偉くなったりと、なかなかまとまった休みが取れなくなりつつあり、航路のダイヤが乱れがちなためかなり酔狂な日程となってしまう離島巡りに付き合い切れなくなってくる。離島ルートをさらに進めば予定通り本土に戻れなくなり仕事に支障が出ることから、やむなくT村先生を残して早めに外周ツアーを離脱、残りの時間を外周ツアーとは別個の観光に費やそうと、恐る恐るT村先生にお伺いを立てる社会人4名に対し、
これはおかしい。明日7時半のフェリーに乗って口永良部へ行けば、明日中に戻れるのだ。島に40分いるだけでは無意味というところから出発したプランだけれど、こう決まった以上、行けるところまで外周ルートをたどるのが筋ではないか。口永良部へ往復するより2日間、屋久島をレンタカーか何かでまわりたい気持ちは分かるけれど、誰かが1人、屋久島へ残るというならともかく、4人まとめて残留では5人が一度に博多から引き上げた91年2月の”博多事件”の二の舞である。残るのではなく、先へ行けるのに残るのだから、博多以上に困った事態だ。・・・おかしい、しかしと、何度かやりあううち、とうとうどなってしまう。
- フリーのライターの「気まぐれ列車」にいくらでも付き合ってくれた筈の大学生など、「ヤング読者」が軒並み社会人となり、結婚して家庭を持ち、会社でも責任ある仕事を任されてゆく中、64歳のT村先生の方は「75歳までには東京・日本橋に到着し、ライフワークたる日本外周の旅の完遂を!」と焦りが募るばかり。初期に決めた外周の旅の原理原則にこだわる余り、旅自体の進行が危ぶまれる事態もしばしば。無茶な日程、無茶なルートのお陰で、T村先生ご自身も「野グソ」を強いられたりとかなり辛そうである。血圧の薬を常用されているとの記述もあり、若い頃の無理がだんだんたたって来た感じの健康状態も含め、いささか心配。
『汽車旅ベストコース』 (中央書院・1989年)
- さまざまに趣向を凝らした汽車旅のモデルコースや、行き止まりの風情あふれる全国の終着駅を紹介する本。実用書としての色彩が濃い。
- 今となってはデータが古くなっており現実には使えないが、ここに登場する数々のモデルコースに沿った旅をしてみたいな・・・と思わせるほど、ガイドブックとしては出来が良い。
- T村先生は、このようなガイドブックや雑学本のようなものは、「上手い」と思う。複雑な鉄道きっぷのルールや経路の説明などには、彼の文章は非常に向いていると言える。
- 全体的に、必要な情報を無駄なく伝えており、好感が持てる本であった。但し、次の一文だけを除いて・・・。終着駅・浦賀の紹介文の末尾にくっついた、文字通りの「蛇足」である。
浦賀といえば、ひと昔前、まだ幼かった長女をつれて灯台を見に行ったとき、息をのむほどかわいい少女が同じバスに乗り、途中の停留所で降りたのを思い出す。娘がいなければ、ふらふらと一緒に下車、声をかけたかもしれない。
- 「ふらふらと一緒に下車」し、「声をかけ」ているところを客観的に見れば、まずは職務質問は免れまい。相当あぶない光景である。すんでのところで思いとどまったのであろう。何でも正直に書いてあるのはいつもながらたいしたものだと思うが、それにしても・・・。
『日本縦断朝やけ乗り継ぎ列車』 (徳間書店・1998年)
- 「夜明」という駅から「日ノ出」という駅まで、7泊8日5,200キロの道のりを、途中に「朝陽」「有明」「旭」「曙町」といった駅を絡ませながら辿った乗り継ぎ旅の記録。要は、いつもの調子の語呂合わせによる甘いコンセプトに拠って立つ集団旅行日記である。
- T村先生一派というか、永年の一読者が自らの結婚記念に作製して周囲に配った特製の「記念きっぷ」の券面写真と文面(「つばさに乗って新しいのぞみを胸に、はるか夢空間へ旅立ちます」という調子のもの)を延々と引用したり、駅のホームでタバコをくゆらすT村先生と愛煙家2名のスナップ写真に「スモーキングトリオまたはヤニーズ」なるキャプションを付けて掲載したり、まるで趣味サークルの自費出版本のようである。
- そんな調子で、同行の読者仲間がどうしたこうしたと、およそどうでもいいことを延々と垂れ流しているわけだが、そんな中に、「『周遊券』と『周遊きっぷ』」というタイトルで、周遊券の盛衰、JR転換後の「周遊きっぷ」への移行などについて、非常に分かり易く解説したコラムが挿入されている。『汽車旅ベストコース』に見られるように、こういうものを任せたら、必要な情報を親切かつ簡明に書ける人なのだが・・・。
- 巻末に収録の「『乗り継ぎ旅』の歩み」は、これまでT村先生がこなしてきた数々の乗り継ぎ企画と収録雑誌・著作をリストアップしたもの。リストの前半部分に対応する本はほとんど絶版になっておりあわれである。また、将来の乗り継ぎ企画として「100歳記念乗り継ぎ」が末尾に付け加えられているのも凄い。100歳乗り継ぎ実現のためには、まず酒とタバコと癇癪持ちの習慣をお止めになったほうがよいかと思うが。
『ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行』 (徳間書店・1996年)
- ポートワインの産地「ポルト」(ポルトガル)に始まり、「コニャック」(フランス)、「紹興」(中国)といった、酒類に何らかのつながりを持つ駅を国際列車で辿りながら、ひたすら各地の酒を飲みつづけた旅の記録。
- 東欧からロシア、中国とつながっていくあたりの鉄道の旅は、切符の手配などなかなか難しそうだと思えるが、そこは多方面に愛読者を持つT村先生のこと、旅行代理店に勤務する読者経由で手を回し、難なくクリア。お陰でレア物の旅の記録がまたひとつ増えたのは確かだが、なかなか素人には真似のしづらいやり方ではある。
- T村先生一流のプロの手口はこれに留まらない。駅の窓口で「もう締め切ったので売れない」と断言されたモスクワ行き一等寝台の切符をまんまと入手した方法について、「レイルウェイ・ライターの腕の見せどころである」とわざわざ前置きした上で、ロシア人の車掌に米ドルの賄賂を握らせて・・・と誇らしげに述べている。こういうのを大威張りで書くのはどうかと思うが・・・。
- それ以外は、ドーバー海峡を潜り抜けるユーロスター車内でビールやヘネシーを飲み干した挙げ句ウォータールー駅(ロンドン)下車後すぐに駅構内でゲロを吐いたり、中国であてがわれたガイド(通訳)が若くてすらりとした美人だったというので鼻の下を伸ばし得意になって散財したまでは良いが結局カネが足りなくなり当のガイドに借金したり・・・と、酔っ払いにありがちな武勇談の数々が並ぶだけで、特筆すべきものはない。
- とにもかくにも、本人が終始酔っ払ってしまっているため、(T村先生の他の本では通常それなりに期待できる)データブック・ガイドブックとしての役割が全くと言っていいほど果たせていないばかりか、車窓あるいは町歩きの印象や行きずりの人々との交流・・・といった紀行文にあり得べき記述も散漫になっているきらいがある。
『ぶらり全国乗り歩き』 (中央書院・1994年)
- 三セクやケーブルカーなど、地方で孤軍奮闘しているマイナーな路線を乗り歩いた体験談のほか、当時新鋭だった新幹線「のぞみ」の試乗記などを集めている。
- 気の合う読者や編集者との道中の顛末を垂れ流すいつものスタイルではあるが、「日本縦断」「日本外周」もののような騒々しさがないのは良い。
- ダム建設のために敷設された鉄道のトロッコ列車や、関西の行楽地で永年上り下りしてきたケーブルカーのルポなどは、それなりに希少価値があり「買い」である。他方、地下鉄開通や路線延長などの試乗記は、雑誌連載時なら情報として価値があったのだろうが、時を経て単行本として読まされても、「何をいまさら」という感が強く、ありがたみがない。
- T村先生の著作の主流を占める、読者連中とのごちゃごちゃした交流(いさかい・摩擦も含めて)ぶりをこってり書き散らすスタイルとは異なり、あっさりとした薄味の一冊で、その意味では好感が持てるのだが、それだけ、と言えばそれだけなのが残念。
『終着駅の旅』 (講談社現代新書・1981年)
- 全国のいくつかの終着駅にからめた旅の思い出、エピソードなどを綴ったもの。
- 当時日本一の赤字ローカル線にまつわる地元の人々との交流の思い出や、1日わずか1往復しか列車の運行がない路線の乗り歩きルポなどが収録されている。
- 「終着駅」という明確なテーマに絞ったことと、新書という紙幅が限られたステージが幸いしてか、T村先生の他の著書にありがちな散漫・冗長な印象はなく、読みやすくまとまっている。
- ただし、同時期に新書で出した『時刻表の旅』と同様、今となっては内容が古くなっており、実用には耐えない。
『乗ったで降りたで完乗列車』 (創隆社・1983年)
- 私鉄などを含めた日本の鉄道完乗に至るまでの顛末記。
- 完乗記録達成の地に、片田舎のローカル私鉄の終着駅を選び、その私鉄の名物常務を宮脇俊三氏に紹介してもらい、「自分専用の完乗記念切符を特別に作ってくれ」とねじ込んだり、読者連中やテレビ局まで呼びつけて大騒ぎのセレモニーをやらかしたり・・・。
- そのくせ、完乗前夜、妙にしゅんとなって自省なさる場面は見どころ。
突然、身体が震えるほどの不安に襲われた。10年間は、自分でも不思議なほど順調に過ぎた。しかし、今後10年間が、いや3年、5年だって同じように推移するという保証は全くない。読者あってのレイルウェイ・ライターである。鉄道と汽車旅にターゲットをしぼり、ハウツーものから、気まぐれ列車へ書きついできた方向は間違っていなかった。実体験を軸にして、あるがままを描く手法−−というより僕の自然な姿勢が、幸い若い層の支持を得て、読者の輪が広がった。レール・ファンの数も確実に増えた。しかし、あきられたら、おしまいではないか。
- こういう立派な自覚をお持ちでありながら、その後のワンパターンぶりはいかがなものだろうか。
- ほかには、数々の著書に登場する女性読者「ミスf」との出会いを延々と垂れ流すところも気になる。写真入り、本名入りで、「とりたてて美人でもないが・・・」って、本人了承の上での記述なのかも知れないけれど、結婚前の女の子をつかまえてこの書きぶりじゃ、親が読んだら泣くぜ・・・。
『どんじり駅への長い旅』 (創隆社・1985年)
- 国鉄全駅を五十音順に並べたらトップに来る「あいおい」からラストに来る「わらびたい」まで一筆書きにルートを取り、6泊7日で乗り継ぐ旅。
- 合理化で廃止が相次ぐ夜行鈍行に乗っておく、という意義を持たせつつ、若い読者とともにいささか無茶な行程を駆け抜けている。
- 同行の若者たちの生態を茶化すやり口は今日に至るまで同じだが、この本では殊勝なことに、「同行者の横顔を気ままに書きつらねた罪ほろぼしに、ヤングの言いたそうなことを付け加えておく」と、ご自身をいささか戯画化して巻末を締めくくっている。曰く、(1)いびきがすごい(2)酒をよく飲む(3)煙草やめろ、の3点。ただ、これ以外に「(4)すぐ物を置き忘れて後で大騒ぎする」(5)「やたら怒鳴る」(6)「言い逃れが多い」というのも付け加えるべきではないかと思ったが・・・。
『汽車旅日誌1982・1983』 (創隆社・1985年)
- 文字通り、旅から旅への日常を日記形式で綴ったもの。
- 正直、「体力あるなあ・・・」というのが感想。とにかくよく動き回っている。
- ただ、これはある意味仕方ないのかもしれないが、同時期に他で書いた記事や単行本と、内容が重複している部分が多すぎる。『乗ったで降りたで完乗列車』既出の大騒ぎの完乗セレモニーとか、ミスfとの出会いとか、『快速特急記者の旅』既出の宮脇俊三氏との上越新幹線試乗対談とか・・・。特に、宮脇氏との対談は、改めてT村先生の無礼ぶりが蘇る。
何をおっしゃっているのか半分ほどしか聞きとれないが、そうかといって、いちいち問い返していては流れをそこなう。どっちみち新幹線そのものか車窓に話題はしぼられるのだし、適当にあいづちをうってしゃべっていれば、大筋ははずれないはずである。
『続・汽車旅日誌1984・1985』 (創隆社・1986年)
- スタイルは、『汽車旅日誌1982・1983』と全く同じ。
- 前作同様、『さよなら国鉄最長片道きっぷの旅』や、いわゆる列島外周ものとの重複がかなりある。
- 『乗ったで降りたで完乗列車』では、「読者にあきられたらおしまい」と、自戒の念を熱く語っていたT村先生だが、以下のとおり、早くも慢心のきざしが見える。
西ノ宮で、レイルウェイ・ライター友の会おしゃべり会。散会後、酒抜きで話したいと読者有志に喫茶店へ呼ばれ、作品への注文や批判などを拝聴。いささかうっとおしいが、ありがたいことではある。
- 「拝聴」とか「ありがたいことではある」といった斜に構えたものの言い方だけでもどうかと思わされるが、「うっとおしい」とは・・・。これを読んだ西ノ宮の「読者有志」はどう思ったろうか。こうして、身近にいてちゃんと忠告してくれる存在をどんどん遠ざけ、裸の王様になっていかれたのであろう。
『貴婦人C571の軌跡』 (創隆社・1985年)
- SLブームのさなかより「貴婦人」の愛称で親しまれ、後に山口線小郡−津和野間で「やまぐち号」を牽引したC57形1号機の軌跡を、国鉄のあゆみを絡めて追ったもの。
- 他のSLがどんどん廃車に追い込まれた後も、その姿形の美しさなどから動態保存対象に選ばれ、数々の記念列車運転に駈り出され挙げ句、過熱気味のブームの中、人身事故まで経験したが、やがて山口線に安住の地を得る・・・と、数奇な運命を辿って来た同機の歴史を丹念に捉えており、なかなか読み応えがある。
- 表紙が昔の少年雑誌のカラーページのようなタッチのSLのイラストであるため、ジュニア向けの本かと思っていたが、中味はちゃんと大人の鑑賞に耐え得るもの。T村先生お得意の「気まぐれ」シリーズあたりのほうがよほど子供っぽいくらいだ。
『時刻表から旅立つ』 (サンケイ出版・1985年)
- カッパブックススタイルの実用書。時刻表の読み方、各種鉄道切符のルール、宿泊先の選び方などに、自身の旅のエピソードを絡めて綴っており、なかなか読みやすくコンパクトにまとまっている。
- 四季折々のローカル線の見どころなどもちりばめ、時刻表でも買い込んで旅に出てみようか、という気にさせられる本だ。
- ただ、「あとがき」にもT村先生自身が弁解しているように、当初の書き下ろし構想が尻すぼみになり、後半は他の本で既出の小ネタが羅列されているだけなのが残念。
- また、例によってこの手の本は情報の鮮度が命。本書は国鉄民営化以前に書かれていることもあり、既に賞味期限切れも甚だしいため、「使う」ことは出来ない。が、日本旅館の料金システムの詳説や、全国のうまい駅弁ガイドなど、このまま埋もれさせておくのは勿体無い。切符の知識などを現JRのものにアップデートし、改訂版を出せばいいと思うのだが、もう出してくれる出版社がないか・・・。
『おもしろ駅図鑑1東日本』 (保育社カラーブックス・1988年)
- JRグループの駅の中から、駅舎が変わっているもの、独特の風情があるもの、歴史の変転に彩られたものなど、T村先生独自の視点で「おもしろ駅」とされた駅の数々を写真入りで紹介している。
- T村先生は、「列車」や「路線」ではなく「駅」をテーマにした著作を本書の他にもかなりものしているため、それらとの重複感はあるものの、豊富なカラー写真のお陰で、T村先生の文章力(例の「のびやか」などの貧弱な形容詞に代表されるもの)だけでは伝わってこなかった駅のたたずまいのニュアンスがつかめるのがポイントか。
- ただ、写真の素晴らしさに対比して、T村先生の文章部分は相変わらず読者連中とのエピソードを垂れ流しており、どうでもいい記述も目につく。『日本縦断JRウオッチング』に既出の、当時流行のおニャン子クラブのメンバーにちなんで「岩井」という駅で途中下車したがる高校生読者の行動を揶揄するところなどが、またまた焼き直されて出てきたりする。
『おもしろ駅図鑑2西日本』 (保育社カラーブックス・1988年)
- 『おもしろ駅図鑑1東日本』の続編。構成もほぼ同じ。
- 巻頭の能登半島特集などは、写真に迫力があり、旅情をそそられるものがある。
- T村先生の文章部分は、読者連中とのガサガサした集団旅行の顛末などではなく、カメラマンとの二人旅のエピソードが中心で、その点では『おもしろ駅図鑑1東日本』より好ましい読後感であった。
『駅を旅する』 (中公新書・1984年)
- 私鉄を含めた全国の駅の中からT村先生の何らかの思い出に残ったものを選んで題材にしたエッセイ。『おもしろ駅図鑑1東日本』『おもしろ駅図鑑2西日本』の写真なし版、かつもう少々センチメンタル版、といったところだが、今となってはいささか素材が古びてしまった感がある。
- 一編ずつが余韻を残しつつスパッと終わるショートショートのような肌合いが少しあり、T村先生の著作としては珍しく「くどさ」がない。説教じみたところや分別くさいところが少ないのだ。執筆時点のT村先生が若かったからなのだろうか。
- T村先生が駅をテーマにしたものは、その後も姿かたちを変え何度も書かれているが、本書が一番「冴え」があるように思う。写真の力を借りずに、様々な駅の情感を伝え、かつ考えさせられる余韻を伴っているからだろう。
『汽車旅日本列島』 (創隆社・1984年)
- 国鉄ローカル線を淋しく往復する単行列車、私鉄の新顔通勤路線、モータリゼーションの波にもめげず頑張る路面電車等々、日本列島を走るさまざまな列車・路線をルポしたもの。
- 当該列車を乗り通し、そこで出会う乗務員、お客、車内販売の売り子など、列車に関わる様々な人々と哀歓をともにする、なかなか味のある計14編を収録。
- 巻末の一編は、寝台列車と新幹線という、いわば書き尽くされた列車のルポをしなければならず、窮余の策として、日本の列車に初めて乗る架空の外国人を登場させ、「異邦人の目から見た国鉄」を浮かび上がらせることによって新味を出そうとしたもの。ただ、その試みは全く成功していない。まるで中学・高校の鉄研あたりが作る同人誌の習作を読まされているようである。この一編がなければ、味わいのある良書と言えるのだが・・・。
『鉄道を書く 自選作品集3』 (中央書院・2000年)
- レイルウェイ・ライターとして独立後の1973年から75年に書かれたものを集めている。
- フリーとしてやっていこうという意気込みや、しっかりしたものを書かなければ相手にしてもらえない、という焦燥感もあったのだろうか、最近の著作に見られるような無責任な書きっぱなしの姿勢は見られず、取材や資料に裏付けられたしっかりしたルポ類が多い。貨物列車の車掌車への同乗記録など、なかなか読み応えがある。
- ハウツーものもいくつか収録されているが、簡潔かつ軽妙な文章でツボを押さえたノウハウ紹介をしており、なかなかの切れ味と思わせる。
- この作品集は時系列でT村先生の歩みを追うわけで、この後何冊出るかわからないが、次第に文章は荒れ、題材はパターン化し、読者連中とのドンチャン騒ぎで埋め尽くされることになるのであろう。そう思うと、この『3』あたりまでで打ち止めにしておいた方がよさそうだが・・・。
『気まぐれ列車で出発進行』 (実業之日本社・1984年)
- 『気まぐれ列車』シリーズの第1弾にあたる本。
- T村先生もまだお若く、たまたま無人だった隙を狙ってホームの待合室の椅子に乗っかり中腰で着替え(「ズボン下」の着用のため)の暴挙に及んだりと元気いっぱい。
- ラジオなど活字媒体以外への露出も多くなり始めた頃で、5泊6日間の列島縦断乗り継ぎの出発前に出演した番組でノセられて(というよりおちょくられてたんだと思うが・・・)「今度の乗り継ぎ旅の間は一度も改札から出ない」と愚かしい約束をさせられてしまう。ところが道中運悪くトイレが改札の外にある駅の構内で尿意を催し、「普通は改札近くの洗面所の場合、改札内外のどちらからでも使用できるはずなのに」などと愚痴った上で、
行けないとなると・・・どうしても飛び込みたくなった。一計を案じてホームへ戻ると、ちょうど客車列車が入ってきた。室蘭行きで20分近く停まる。『停車中は使用しないでください』の呼びかけは、何千回、何万回も見ているが生理的欲求には勝てない。もとはといえば駅洗面所の場所選定の誤りなのだから掃除をたのむとデッキからかけ込み、ガチャンとロックした。
- などという狼藉ぶりを屈託なく披露。トイレくらい「改札の外に出ないルール」の例外措置でノーカウントにしておけばいいのに、ヘンに律儀というか、子供っぽいというか・・・。「もとはといえば駅洗面所の場所選定の誤り」というのも恥ずかしい八つ当たりではなかろうか。
『鈍行急行記者の旅』 (日本交通公社・1983年)
- 「レイルウェイ・ライター」生活10周年を記念し、その時点までに色々なところに書き散らしたルポ、エッセイ、レビュー、フィクション、それにテープ起こししたインタビューを再録したもの。『快速特急記者の旅』と成り立ちはほぼ同じ。
- 「レイルウェイ・ライターの歩みと仕事の輪郭が分かるもの」というコンセプトで編まれたとのこと。章立ての並び方どおり、ルポ→エッセイ→レビュー→フィクション→トークの順にはっきりクオリティが下がっていくので、「色々と手は出すものの、ルポ以外はこれといった仕事が残せず、結局は新聞記者のカラを破れなかったとしか言いようのない10年」という具合に、「歩みと仕事の輪郭」がくっきりと浮かび上がってくる。
- 救いは、レイルウェイ・ライターとしての草創期の仕事が主な収録対象であるため、ヤング読者の大群を引き連れての例のガチャガチャした旅日記の垂れ流しを読まなくて済むことか。
- 総じて、「ああ、この人は本当に国鉄が好きだったんだなあ」と実感させられる。「ルポ」の章では「利用者の立場で語る」なんて何度も言いながら、割に国鉄サイドに立った物言いが目立つし、「フィクション」の章でSFまがいの鉄道将来像を描く中にも、赤字を解消して不死鳥のように甦り、超高速列車やアイデア豪華列車で次々とヒットを飛ばすたくましい国鉄の姿が常に中心に据えられる、といった具合だ。
- 後年の荒廃した仕事ぶりを考え合わせるにつけ、「民営化されてJRになっちゃった頃から、旧国鉄時代からの幹部連中とのコネやパイプが細ってきたこともあいまって、どうにも国鉄ほどには愛着とか思い入れが持てなくなったんだろうな・・・」なんて思わされる。
『新顔鉄道乗り歩き』 (中央書院・1990年)
- 各地で新規に開業した路線や、第三セクターとして生まれ変わった旧国鉄ローカル線を試乗した記録集。
- 編集者やカメラマンが同行するものが多いため、「ヤング読者」達との騒々しい「乗り歩き」臭が希薄なのはいいが、その代わり、T村先生の「気まぐれ」に編集者達が振り回されるさまが得意げに活写されており、あまり愉快な読後感ではなかった。
- 作中に同行の編集者を登場させイビったり茶化したりして面白みを出すのは、紀行文を得意とする作家にしばしば見られる古典的ともいえるパターンだが、なぜかT村先生のだけはユーモラスな味わいに乏しく、不快さが先に立ってしまうのだ。
- 編集者同行で北山形駅→楯岡駅→そば屋→クアハウス→楯岡駅という道筋を辿ろうとし、順路を打ち合わせの上で北山形駅から15:56発の列車に乗ろうとする直前の15:48になって、「駅前近くに郵便局があるぞ」と編集者に示唆するT村先生。編集者はT村先生に毒されてか旅行貯金に精を出すようになっており(これだって、稚気たっぷりに旅行貯金に命を賭けるT村先生に付き合わなければ悪いと思った編集者がいやいや始めたことかも知れないだろうに、先生は「コイツもようやく貯金の面白みが分かってきたか。じゃあ入門させてやろう」みたいな書きぶりである)、ちょっと行って来ますと言い残して足早に去る。そのうち列車が来たが、先生は「どうせ行き先は分かっているのだから」と編集者を待たずに乗り込む。楯岡駅では来たバスでそのままそば屋へ直行。お目当てのそばを食べ終わるころになって、「あの列車に乗り遅れても後続に乗れば17:21に楯岡駅に着くはず。バスはもうないからタクシーに乗るとして、当然もうそば屋に着いているべき時間なのに・・・」なんて計算するうちだんだんイライラしてくる。18:17のバスでクアハウスへ行く予定だったが、「行き違いになると気の毒だ」なんて妙な親心を見せ、店が勧める郷土料理や酒を味わいつつ19:00ごろまで待つも編集者は現れず、「あきれはてて」タクシーでクアハウスへ。ゆっくり温泉につかって駅へ戻ったところ、編集者が待合室で待っていた。で、この迷子騒ぎを先生は次のように総括。
そば屋に行って行き違いになるよりはと「クアハウス碁点」へ直行、7時ころまで玄関前で待ったが会えないので、温泉にもはいらず駅へ戻ったと言う。気の毒ではあるけれど、まったく不合理な追いかけ方で、これではつかまるわけがない。
- 18:17のバスでクアハウスに行く予定だったにもかかわらずそば屋で長っ尻したT村先生の方がまずもって不合理ではないのか。「後続列車に乗れば当然そば屋に着いているべきなのに」なんて計算をしたんだったら、「そば屋に来ない=そば屋を諦めて温泉に直行」と推察する方が合理的だろう。旅行貯金に1時間も2時間もかからないから後続列車にはまず間違いなく乗ると考えるべきだし、そば屋が先でクアハウスが後という順路確認を既にしていたのだから、18:17過ぎの時点でそば屋を出ても「行き違い」は起こらない、と考えるべきではなかったのか。要するに、「行き違いになると気の毒だ」なんてのは屁理屈による後講釈で、郷土料理だの酒だので居心地がよくなっちゃっただけではないのか。
『鉄道を書く 自選作品集4』 (中央書院・2001年)
- 「気まぐれ列車」シリーズが発足し、「ヤング読者」たちとの交流が始まりつつあった、1975年から77年に書かれたものを集めている。
- 増えていく「ヤング読者」に対し書き手としてどう対峙していくか、というのがまだ確立していなかった様子が窺え、「・・・しなければね」「・・・とかなんとか言ったりして」「・・・いけませんねえ」「・・・眠ろうじゃないか」等のヘンにくだけた語尾が目に付く。現在のT村先生が多用している「祈るや切」「御同慶の至りである」等の文語調の語尾とはえらい違いだ。
- 「あとがき」には、本書の出版準備中にT村先生を襲った「クモ膜下出血」について多少の経緯が書かれている。自宅で倒れ、即日開頭手術。運動機能障害や言語障害がなかったため、2ヶ月の入院を経て恐る恐る執筆活動や列車乗り歩きを再開するも、まだまだ調子が出ないようである。
- こうなると、「日本列島外周の旅」がちゃんと完結するのか、というのと同様、この『鉄道を書く』シリーズも最後まで出し切れるのか、という不安が頭をもたげる。タバコはさすがにお止めになったようだが、お酒はまだみたいだし・・・。
『駅の旅その1』 (自由国民社・1999年)
- 東京新聞の長期連載コラムの単行本化。日本国中の駅に乗り降りした経験を生かし、日本一高いところ・低いところにある駅、名前の長い駅・短い駅、温泉最寄駅等を紹介している。コラムとは別に、T村先生の本ではしばしば見られる「巻頭乗り歩き紀行書き下ろし」として、「雪の奥飛騨信越気まぐれ列車」を掲載。
- コラムの方は、さすが元新聞記者だけあって、実体験とデータを上手く取り交ぜた記述でよくまとまっている。
- 問題含みはやはり「気まぐれ列車」の方。メンバーは単行本の編集者とカメラマンとの3名であり、「ヤング」愛読者達とのワサワサ・ドタバタ道中記の愚は避けられてはいる。しかし、T村先生の落ち着きのなさは相変わらず。女湯の扉をガラッと開けて全裸の妙齢の女性とハチ合わせしたとか、新潟のローカル駅前食堂でウナ丼をオーダーしたところ延々30分以上待たされた挙句ヌルくて激マズなので残したとか、何だかなあ〜的なエピソードが延々。
- 一番「何だかなあ〜」だったのは、バスターミナル付設の温泉に入浴中のところの写真をカメラマンに撮られているT村先生を見て、取材なのかと問いかけてきた青年へのご対応。青年の方もうっかりしているといえばそうなのだが、彼の次の発言がT村先生の自尊心を傷付けてしまう。
「私も旅は好きなのです。宮脇俊三の本も読みます」
- すかさず場を繕おうと、同行の編集者が「T村先生の方は?」と声をかけたが・・・。
残念ながら確たる反応はなかった。しゃくだから横を向いておく。
- T村先生ご本人は露悪趣味的なユーモアのつもりなのかも知れんが、何故か陰惨な印象が拭えないなあ・・・。
『駅前旅館ざっくばらん』 (サンケイ出版・1986年)
- 『時刻表から旅立つ』と同様のカッパブックススタイル。前半は実体験に基づく宿の探し方や泊まり方をレクチャー。後半は全国の駅前旅館・ホテルの泊まりある記兼採点表。
- 汽車旅の副産物として溜め込んだ宿泊データをエピソードとともにまとめれば駅前の宿探しの参考になるだろう、という思いから書き上げたものだという。
- 確かに実体験だけに依拠した姿勢はいつもながら大したものだが、若い女性写真家とラーメン店の2階の一間に泊まったエピソードを「想い出深い一夜」としてわざわざ記したり、奥様の実家である駅前旅館を「実家であろうとなかろうと、温泉の湯量豊富、いい宿であることは確かで、料理も自慢だ」と開き直って大宣伝したりと、暴走ぶりもなかなか。
- 実体験に基づくのはいいが、「なんとなく」感覚で採点されちゃう各地のお宿も気の毒といえば気の毒。
サンルートチェーンのほとんどをAランクとしながら岐阜がBなのは、なんとなく雰囲気が好みに合わなかったのであって、設備上の問題ではない。
『新・国鉄2万キロの旅』 (廣済堂出版・1983年)
- 分割・民営化論が喧しかった国鉄末期の全245線について見どころやワンポイント雑学をまとめたもの。
- 読み始めてから分かったのだが、この本の大部分はT村先生の知り合い2名が書いており、肝心のT村先生は「はじめに」「旅立ちの前に」「道北気まぐれ列車」「汽車旅七つのポイント」「あとがき」のみを執筆。「はじめに」「あとがき」は型どおりのご挨拶、「旅立ちの前に」は、分割・民営化に疑問を投げかけつつ、"赤字ローカル線に今のうち乗っておこうよヤング読者諸君"というメッセージ、「道北気まぐれ列車」はいつもの調子のヤング読者を引き連れての小旅行記、「汽車旅七つのポイント」は、途中下車を楽しめとか駅弁や駅そばを食えとかいったアドバイス。どれもこれも手短に書き飛ばされた感じの小ネタばかりで、「T村先生・著」と銘打つために形だけつくろっただけではないのか、と言われても仕方ないようなものだ。
- そんな中、「汽車旅七つのポイント」で、「マニア」という語についての嫌悪感を熱く語っているところは唯一印象深い。
自称"鉄道マニア"なんていう人がいるが、マニアは大嫌いだ。辞書を引くと、「あるひとつの事に異常に熱中する人。偏執狂」と書いてあり、異常になったり狂ったりしては困る。
- T村先生とその一党は、「鉄道マニア」ではないのかも知れない。でも、間違いなく「旅行貯金マニア」ではあると思うのだが・・・。船舶電話を借りてまでして離島の郵便局に取扱時間の延長をゴリ押ししたりってのは、「異常に熱中」してる「偏執狂」にはあたらないのかな?
『駅の旅その2』 (自由国民社・2000年)
- 空港アクセス駅、ホテル併設駅、駅舎の建築が特異な駅等、テーマ別にユニークな駅の数々を紹介している。また、「巻頭乗り歩き紀行書き下ろし」として、「ぐるり四国気まぐれ列車」を掲載。
- T村先生の旅では、田舎の駅で途中下車する際、「待合室のベンチの隅にザックを置き、身軽になって降り立つ」というパターンが散見され、かねてより「オイオイ、無用心だぞ」と気にはなっていた。巻頭の「四国気まぐれ列車」では、そんな風に置き去りにしたザックが遂に盗難に遭ってしまう。結局ザックは出てきたのだが、中身の小銭や薬袋などが紛失していた。日本の治安のよさを信じていたというT村先生はかなりショックだったようだが、これまで一度も被害に遭わなかったという方がむしろ偶然というべきではないか。
- 駅ごとのコラム編では、ラストに「百舌鳥」という駅を紹介し、次のような妙なオマケ?も付けている。
僕が100歳まで元気だったら、99歳最後の日となる2036年3月6日に九十九湾小木駅を出発して・・・100歳の誕生日を百舌鳥で迎えようと考えている。「100歳記念乗り継ぎ」の参加希望者は、自由国民社旅行書編集部へ、はがきでどうぞ。『日本縦断朝やけ乗り継ぎ列車』(徳間書店刊、98年10月初版)でも呼びかけており、99年11月現在、応募者は3人。
- 「応募者は3人。」っていう体言止めが、妙に侘しいですなあ。1年近く待って、たった3人とは・・・。T村先生の取り巻きの皆さんも、意外にドライですね。「あんなに酒もタバコもやってる癇癪持ちが、100まで生きるわきゃねえだろ!」なんて思ってはいても、お義理半分、おべんちゃら半分で応募だけでもしてやればいいのに・・・。
『鉄道を書く 自選作品集5』 (中央書院・2002年)
- 1977年から79年に書かれたものを収録。著者自らが「あとがき」で語っているように、「著書が快調に売れて、ラジオ、テレビ出演もふえ、海外の旅や読者とのつきあいが数を増し、病気とも無縁で、進め進めの時期」にあたる。
- 「進め進め」とは言いながら、後年のような若い取り巻き連中とのワサワサした道中記を書き飛ばすスタイルではなく、元新聞記者らしいルポルタージュや評論がメインであり、また筆に力もこもっている。
- この『鉄道を書く』シリーズでは最早恒例となってしまった「あとがき」での病状報告では、クモ膜下出血からようやく復活の兆しを見せたところで今度は胃癌の手術で入院と、「5年間に計3回、延べ108日間、ほぼ1割も病院のベッドで過ごしたのだから困ったことである」と書かれており、「進め進め」の本編とのコントラストが淋しい限りである。
- 胃癌は人間ドックで発見されたそうだが、その告知も旅先から病院に検査結果を確認すべく入れた電話でなされたそうで、さすが旅人間・・・と感心するよりも痛々しさが先に立つ。
『日本の鉄道なるほど事典』 (実業之日本社・2002年)
- T村先生の昔からの弟子分が鉄道雑学を見開き約120項目にまとめ、さらにT村先生自身の「僕の半生記」と題するエッセイを数本はさんで出来た本。従って、T村先生は「編著者」としてクレジットされている。
- というわけで、T村先生の「エキス」が感じられるのは、上記のエッセイ数本と「あとがき」など、本文中のごく一部に留まる。その「あとがき」では、自宅で倒れて病院に搬送され、クモ膜下出血との診断で即日開頭手術(2000年11月)→人間ドックで見つかった初期の胃癌のため、胃の幽門部を三分の二ほど摘出(2002年4月)という近年の病歴とともに、次のような自省的なのか八つ当たり的なのか良く分からないフレーズも・・・。
・・・エッセイはじめ、原稿全体を読み返して気づくのは、全体に国鉄時代を顧みて、昔は良かったというトーンなのが気になります。このところ僕自身が三年ごしに体調を崩しているから、そう見えるのかもしれませんが、どうも最近の鉄道には元気が感じられません。
- この、「昔は良かったというトーンなのが気になります」というくだり、後ろの「どうも最近の鉄道には元気が感じられません」という一節とのつながりが良く分からん。「気になります」の骨子は、「自分の書いた文が過度に回想モードであるのは良くなかった」という反省なのか、それとも「俺に『国鉄時代は良かった』とばかり思わせる最近のJRや鉄道全般はだらしないぞ」という檄なのか、どっちなんだ。
- そりゃあ、最近は鉄道だけじゃなくて世の中全体が元気がないし、国鉄時代=高度成長期なわけだから、最近の景気の悪さに比べたら国鉄時代は良かったなあ・・・となるでしょう。もともとT村先生は国鉄びいきで分割民営化反対論者だったってのは、昔の著作を見れば一目瞭然。「気になります」なんて不明瞭な書き方でお茶を濁さず、ご自身がかつて書き散らしておられた分割民営化反対論の総括を、ここらでちゃんとなさったらいかがだろう。