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探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-き-


黄色の部屋(きいろのへや)

1949年(昭24)10月創刊。中島河太郎が主宰した同人研究雑誌。
1954年(昭29)、江戸川乱歩先生華甲記念文集を発行。
1954年(昭29)、廃刊。全13冊。


木々高太郎(きぎ・たかたろう)

本名林髞(たかし)。1897年(明30)、山梨県甲府市生まれ。ペンネームは本名の漢字を分解したもので、海野十三が名付けた。本名でも執筆。佐和浜次郎の名で詩作もおこなう。
甲府中学卒業後、福士幸次郎に師事し、林久策名義でドイツロマン派の詩の翻訳も行う。福士幸次郎の門下では、最高弟として、国木田独歩の長男の国木田虎雄、永瀬三吾、サトウハチローらがいた。この頃、金子光晴とも親しくなった。
慶応大学医学部予科在学中、「家出」を執筆。「家出」はその後、1935年(昭10)に随筆集「刺戟」に収められた。
1924年(大13)、医学部を卒業し、加藤元一教授のもとで生理学教室助手となる。
1926年(大15)、生理学会にて神経伝導不減衰論に関し、京大の北村助教授と論争したのがきっかけで、生理学会で名をあげる。
1928年(昭3)、助教授となる。
1932年(昭7)、外国留学生となり、ソ連(現ロシア)に留学し、翌年帰国。「条件反射の研究」で有名なパブロフに師事し、日本に初めてその理論を紹介した。
1931年(昭8)、「犬の唾液を数える」などの科学随筆で注目を集める。
1934年(昭9)、科学知識普及評議会で知り合った海野十三や南沢十七の勧めで、「新青年」に「網膜脈視症」を発表。精神分析を扱い、心理の内面に入っていく内容と、スマートな文体で、小栗虫太郎とともに二大新星と注目される。
1935年(昭10)、「新青年」にて六ヶ月連続短編を連載。
1935年(昭10)、「就眠儀式」を「ぷろふいる」に発表。
当初は精神分析を題材とした作品が多かったが、1936年(昭11)には探偵小説芸術論を提唱し、「探偵小説は論理的遊戯」であると主張する甲賀三郎と「シュピオ」上で論争した。「推理小説」の名称はこの論争の過程から木々高太郎が名づけた。戦後は江戸川乱歩と、「ロック」上で「一人の芭蕉」と題し、同様の論争をした。この論争は、1950年(昭25)、「新青年」に掲載された文学派座談会「抜き打ち座談会」につながり、探偵文壇を木々高太郎率いる文学派と、江戸川乱歩を総帥とする本格派に二分した。
1935年(昭10)、業績全般により第3回直木賞の候補となる。
1936年(昭11)、「新青年」に発表した「人生の阿呆」にて、かねてからの持論だった探偵小説芸術論を実践し、1937年(昭12)、探偵作家としてはじめて、第4回直木賞を受賞。戦後は同賞の選考委員でもあった。また、佐藤春夫を中心に復刊された「三田文学」の主任編集委員でもあり、その門下から松本清張などを生んだ。
1937年(昭12)、海野十三、小栗虫太郎とともに、雑誌「シュピオ」を創刊。
1937年(昭12)、「折蘆」(報知新聞)、「永遠の女囚」(新青年)を発表。
1942年(昭17)、「葡萄」を発表。
1946年(昭21)、「宝石」に発表した「新月」で、1947年(昭22)に第一回探偵作家クラブ賞受賞。
1947年(昭22)に「キング」に発表した「死恋」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1948年(昭23)に「宝石」に発表した「冬の月光」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1948年(昭23)に「サン写真新聞」に発表した「三面鏡の恐怖」が1949年(昭24)に第2回探偵作家クラブ賞長編賞の候補となった。
1949年(昭24)、「宝石」に発表した「老人と看護の娘」が1950年(昭25)に第3回探偵作家クラブ賞短編賞の候補となった。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1950年(昭25)には「朝日新聞」夕刊にあとむF名義で「青眼白眼」の文壇時評欄を連載。本格派と揶揄する文章を執筆し、物議を醸し出す。
1950年(昭25)に「新潮」に発表した「少女の臀に礼する男」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。この掲載誌は純文学誌で初めて探偵小説の特集を行なったものである。
1951年(昭26)、「錘体外路系の実験生理学的研究」により福沢賞を受賞。
1951年(昭26)、「わが女学生時代の犯罪」を「宝石」に発表し、1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。同時に1951年(昭26)に「サンデー毎日」に発表した「深入り」も候補となる。「深入り」は、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1952年(昭27)に「宝石」に発表した「夜光」が1953年(昭28)に第6回探偵作家クラブ賞候補作となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1953年版」に収録される。
1953年(昭28)に「宝石」に発表した江戸川乱歩、大下宇陀児角田喜久雄との連作「畸形の天女」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1953年(昭28)に「週刊朝日」に発表した「X重量」と、さらに「無名の手紙」が1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1953年(昭28)、第三代日本探偵作家クラブ会長に就任し、1958年(昭33)には国際探偵作家クラブの結成を提唱したが、経済的な事情で挫折に終わった。この事件がきっかけで副会長に就任していた高木彬光が辞任する。
1954年(昭29)に「別冊文藝春秋」に発表した「六條執念」と、「別冊小説新潮」に発表した「タンポポの生えた土蔵」が1955年(昭30)に第8回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。「タンポポの生えた土蔵」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「探偵倶楽部」に発表した「遺花」が、1956年(昭31)に第9回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)からは、氷川瓏大坪砂男が幹事となり、木々邸で文学派探偵作家を主として招いた新年会が催され、恒例となる。新年会の出席者を母胎とし、1963年(昭38)、同人誌「詩と小説と評論」を創刊。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「オリムポスの山」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1956年(昭31)、「生命の科学」により第11回毎日出版文化賞を受賞。
作品はヴァン・ダインの影響を受け、ペダントリーや心理的探偵法が用いられた。また、探偵小説に思想的側面を持ち込み、近代的自我の確立の問題に取り組み、ドストエフスキーに迫らんとした。
1957年(昭32)に「オール読物」に発表した「異安心」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)に「別冊文芸春秋」に発表した「細い眼の孫娘」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した「悪い家系」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
1962年(昭37)に「宝石」に発表した「銀の十字架」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
「米のかわりにパンを食べれば頭がよくなる説」や「人生結婚二回説」を唱えたことでも有名。「人生結婚二回説」は自らが実践したが、ご飯党だったので、パンは食べなかった。
1967年(昭42)、処女詩集「渋面」を刊行。
1969年(昭44)、心筋梗塞のため死去。

幻影城掲載誌:5/6/7/29/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


菊村到(きくむら・いたる)

本名戸川雄次郎。1925年(大14)、神奈川県生まれ。早稲田大学英文科卒。父は小説家で平塚市長の戸川貞雄。兄は政治評論家の戸川猪佐武。
1954年(昭29)、本名名義の「受胎告知」により第32回芥川賞候補となる。
1955年(昭30)、「文藝手帖」同人となる。
1957年(昭32)、「不法所持」で第三回文学界新人賞を受賞。同時に日本文藝家協会の「創作代表選集 20(昭和32年前期)」に収録される。
1957年(昭32)、「硫黄島」で第37回芥川賞を受賞。
1958年(昭33)、江戸川乱歩の勧めにより、「宝石」に「複数の私」を発表。
1963年(昭38)に「小説現代」に発表した「獣に降る雨」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「オール読物」に発表した「黒い蜜」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1968年(昭43)に「別冊小説新潮」に発表した「魔女の視線」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1973年(昭48)に「別冊小説現代」に発表した「赤坂サニーハウス」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1974年(昭49)に「オール讀物」に発表した「謎とき」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1975年(昭50)に「別冊小説新潮」に発表した「雨の夜、誰かが死ぬ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1978年(昭53)に「オール読物」に発表した「私、殺されそう」は日本文藝家協会の「現代小説'78」に収録される。
1983年(昭58)に「小説推理」に発表した「こんなに寒い夜」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)、「首桶伝説」を刊行。
1999年(平11)、心筋梗塞のため死去。


北方謙三(きたかた・けんぞう)

1947年(昭22)、佐賀県生まれ。中央大学法学部卒。
1970年(昭45)、同人誌に発表した「明るい街へ」が「新潮」に転載。
1981年(昭56)、「弔鐘はるかなり」を刊行。
1982年(昭57)に刊行した「眠りなき夜」で、1983年(昭58)に第4回吉川英治文学新人賞と、第1回日本冒険小説協会大賞を受賞。
1983年(昭58)に刊行した「檻」で、第2回日本冒険小説協会大賞を受賞。同時にこの作品は1984年(昭59)に第37回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。1983年(昭58)に第89回直木賞候補にもなる。また、この作品は「週刊文春」の83年「傑作ミステリーベスト10」の7位に選ばれる。
1983年(昭58)に「野性時代」に発表した「友よ、静かに瞑れ」が、1983年(昭58)に第90回直木賞候補となる。
1984年(昭59)に発表した「渇きの街」で、第38回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。
1984年(昭59)に発表した「やがて冬が終れば」で、第92回直木賞候補となる。
1984年(昭59)に発表した「過去」で第11回角川小説賞受賞。
1985年(昭60)に発表した「明日なき街角」で第5回日本文芸大賞受賞。
1986年(昭61)に「小説新潮」に発表した「霖雨」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1989年(平1)に「小説新潮」に発表した「灰」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1990年(平2)に発表した「破軍の星」で、1991年(平3)に第4回柴田練三郎賞を受賞。
1990年(平2)に「小説すばる」に発表した「岩」は日本文藝家協会の「現代の小説 1991」に収録される。
1994年(平6)に「小説現代」に発表した「道草」は日本文藝家協会の「現代の小説 1995」に収録される。
1995年(平7)に「小説現代」に発表した「試着室」は日本文藝家協会の「現代の小説 1996」に収録される。
1997年(平9)、日本推理作家協会理事長に就任。
2004年(平16)に発表した「楊家将」が第38回吉川英治文学賞受賞。
2005年(平17)、「水滸伝」が第9回司馬遼太郎賞受賞。


紀田順一郎(きだ・じゅんいちろう)

本名佐藤俊。1935年(昭10)、神奈川県横浜市生まれ。慶応大学卒。
1956年(昭31)、本名で東京創元社版「世界推理小説全集」第八巻月報に「ハードボイルドの悲哀-”大いなる眠り”論」を発表。
1957年(昭32)、「SR」に酷使官名義で書評を執筆。
1963年(昭38)、雑誌「ホラー」を刊行。
1982年(昭57)、小説「古本屋探偵登場」を刊行。
幻想文学の研究や、書斎とライフスタイルに関する提言が多い。

幻影城掲載誌:2/4/5/6/7/8/13/14/19/23/26/27/28/29/30/31/32/33/35/36/37/
38/41/42/43/49/別冊幻影城掲載誌:8/ブラックホール/タイムトラベルロードショウ


北洋(きた・ひろし)

本名鈴木坦。1921年(大10)、東京都北区生まれ。京都帝国大学理学部卒。湯川秀樹博士門下の原子物理学者で横浜国立大学助教授だった。。
1946年(昭21)、「ロック」に「写真解説者」を投稿。
1951年(昭26)、喘息のため死去。

幻影城書庫:「失楽園

幻影城掲載誌:12/24/


鬼怒川浩(きぬがわ・ひろし)

本名中島謙二。1913年(大2)、広島県佐伯郡平良村生まれ。
1947年(昭22)、「宝石」第一回懸賞に「鸚鵡裁判」が入選。
1952年(昭27)、JOFKの放送劇「バラ屋敷の女」を発表。

幻影城掲載誌:41/


樹下太郎(きのした・たろう)

本名増田稲之助。1921年(大10)、東京池袋生まれ。劇団「新制舞台」を主宰。
1946年(昭21)、戯曲「樹下」が読売演劇文化賞に選外佳作入選。
その後、本名でNHKの放送劇「遮断機」等を執筆。
1958年(昭33)、「週刊朝日」「宝石」の合同懸賞に「悪魔の掌の上で」が佳作入選し、「宝石」に掲載。
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生佐野洋竹村直伸星新一水上勉結城昌治とともに探偵作家団体の「他殺クラブ」を結成。
1960年(昭35)、「夜の挨拶」を刊行。
1960年(昭35)に「宝石」に発表した「お墓に青い花を」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)、「銀と青銅の差」を刊行し、1961年(昭36)に第46回直木賞候補となる。
1961年(昭36)に「オール読物」に発表した「オシローマー事件」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「宝石」に発表した「雪子・夫」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)、「漫画讀本」に「サラリーマンの勲章」が掲載され、1963年(昭38)に第50回直木賞候補となる。
1963年(昭38)に「小説現代」に発表した「壇上」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「小説現代」に発表した「熱海の男」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に発表した「上海に死す」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1968年(昭43)に「小説現代」に発表した「拐帯逃亡」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1972年(昭47)に「オール読物」に発表した「五十一の夏がくる」は日本文藝家協会の「現代の小説 1972年度後期代表作」に収録される。
1982年(昭57)に「小説推理」に発表した「塔」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1986年(昭61)に「小説推理」に発表した「蛇」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1988年(昭63)に発表した「音」は日本文藝家協会の「現代の小説 1989」に収録される。
2000年(平12)、肺炎のため死去。

別冊幻影城掲載誌:12/日本長編推理小説ベスト99/


金来成(きむ・ねそん)

朝鮮半島平安南道大同郡生まれ。東京帝大卒。
1935年(昭10)、「楕円形の鏡」を「ぷろふいる」に投稿し、デビュー。
1935年(昭10)、「ぷろふいる」創刊2周年を記念しておこなわれた特別懸賞募集に「探偵小説家の殺人」が入選。
ほかに、「モダン日本」の懸賞にも入賞している。
戦後は韓国で探偵作家として活躍。
1957年(昭32)、死去。

幻影城掲載誌:5/


木村清(きむら・きよし)

生年経歴一切不明。
1929年(昭4)、サンデー毎日大衆文芸募集に「黒鳥共和国」が甲種(100枚中編)入選。

幻影城掲載誌:36/


霧の会(きりのかい)

1961(昭36)、新章文子仁木悦子を中心とした女性探偵作家の親睦団体を作りたいと発案し結成。代表は仁木悦子。会の名付け親は夏樹静子。発足には東都書房に在籍し、東都ミステリーや現代推理小説体系を発行した原田裕が協力した。会員としてほかに藤木靖子南部樹未子、園田てる子、のちに宮野村子芦川澄子曽野綾子水芦光子も加わった。月一度の例会を開催し、ゲストを招いた。第一回のゲストは樹下太郎宝石の編集長だった大坪直行。しかし、仁木悦子が多忙になり、ゲストもひととおり招いてしまうと自然消滅に到った。しばしば不在クラブと合同で会合をもっていた。


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