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探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-か-


カー,ディクスン(John_Dickson_Carr)

1906年(明39)、アメリカのペンシルヴァニア州ユニオン・タウン生まれ。父はウィルソン大統領時代に国会議員だったウッダ・ニコラス・カー。イギリス・アメリカで活躍。別名ロジャー・フェベアン。
14歳の頃から地方新聞に寄稿しはじめ、のちにパリにてボヘミアン的生活を送り、ロマン小説に手を染めたが認められなかった。
1921年(大10)、密室物の短編「The Ruby of Rameses」を学園誌に発表。
1926年(大15)、副主筆を務めていた「ハヴァフォーディアン」誌に「死者を呑むがごとく…」を発表。
1929年(昭4)に「ハヴァフォーディアン」誌に匿名で掲載された中編「グラン・ギニョール」をもとに、1930年(昭5)、ニューヨークのホテルにて探偵小説の第一作「夜歩く」を完成。
1930年(昭5)、シートン動物記などで知られる英米文学者、内山賢次の訳で「夜歩く」が日本に紹介される。
「夜歩く」が好評を博したので、再度ヨーロッパに渡り、その船上でイギリス女性と知り合い、結婚。1933(昭8)年から16年間、イギリスに住みつく。
1932年(昭7)、「蝋人形館の殺人」を発表。
1933年(昭8)、「帽子収集狂事件」を刊行。
1934年(昭9)、カー・ディクスン(のちにカーター・ディクスン)名義で「プレーグ・コートの殺人」を刊行。
1935年(昭10)に発表された「三つの棺」が、1936年(昭11)、「魔棺殺人事件」の題で判大矩によって訳されるが、訳文が拙く、戦前の日本におけるカーの評価を低める要因となった。しかし、「三つの棺」はエドワード・D・ホックが1981年(昭56)のアンソロジー「密室大集合」の密室長編人気投票で第一位を獲得。また、第17章の「密室講義」は江戸川乱歩の「類別トリック集成」に影響を与えた。
1936年(昭11)には、戦後、江戸川乱歩横溝正史にカーを伝導した井上英三の訳によって「絞首台の秘密」が「新青年」増刊に抄訳で掲載。
1937年(昭12)、「火刑法廷」を発表。
1938年(昭13)、カーター・ディクスン名義で「ユダの窓」を刊行。
1942年(昭17)、「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」を発表。
1947年(昭22)、「妖魔の森の家」を「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に発表し、第2回コンテスト特別功労賞を受賞。
1948年(昭23)、アメリカに帰国し、アメリカ探偵作家クラブ会長に就任。
1949年(昭24)、「ドイル伝」を発表。
1952年(昭27)、「九つの答え」を発表。
1955年(昭30)、「喉切り隊長」を発表。
1961年(昭36)、「引き潮の魔女」を発表。
1963年(昭38)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
不可能犯罪テーマに固執し、密室ものに定評がある。オカルト、怪奇趣味、ファース、歴史などの味付けがされた作品が多い。
1977年(昭52)、死去。


海渡英祐(かいと・えいすけ)

本名広江純一。1934年(昭9)、東京生まれ。東京大学法学部卒。大のクラッシク音楽ファンで、麻雀が強いことでも知られる。不在クラブ会員。ゴルフの会の蟻這会会員。
1958年(昭33)、高木彬光の「成吉思汗の秘密」執筆に際し、資料収集や原稿整理を手伝う。
1961年(昭36)、「極東特派員」「爆風圏」を刊行。
1967年(昭42)、「伯林-一八八八年」により、第13回江戸川乱歩賞を受賞。
1967年(昭42)、日本推理作家協会の書記局長に就任。
1968年(昭43)に刊行した「影の座標」が、1969年(昭44)に第22回日本推理作家協会賞の候補となる。
1972年(昭47)に「問題小説」に発表した「酔っぱらった死体」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「小説推理」に発表した「気まぐれな死体」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1975年(昭50)、「おかしな死体ども」が第28回日本推理作家協会賞の候補となる。
1975年(昭50)に「小説推理」に発表した「死の国のアリス」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1977年(昭52)に「小説現代」に発表した「野次馬作戦」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1977年(昭52)に刊行した「燃えつきる日々」が1978年(昭53)、第31回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。また、この作品は「週刊文春」の77年「傑作ミステリーベスト10」の2位に選ばれる。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した「噛みつく扉」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)に「週刊小説」に発表した「そして冷たい北風が」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1985年(昭60)に「別冊小説宝石」に発表した「戦鑑「三笠」設計図」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1987年(昭62)に「小説現代臨時増刊」に発表した「杜若の札」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
1988年(昭63)に「小説NON」に発表した「裏返しの殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1989年版」に収録される。

幻影城掲載誌:28/45/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


怪の会(かいのかい)

地下室創刊号表紙1976年(昭51)、探偵小説専門誌「幻影城」ファンクラブとして創設。「幻影城」休刊後も活動を続けていた。
1972年(昭47)に法政大学推理小説研究会を創設した高橋秀博によって設立された。
1977年(昭52)、「幻影城」ファンクラブという肩書きを外す。
機関誌として「地下室」を毎月発行していた。
2003年(平14)、解散。



書下し長編探偵小説全集(かきおろしちょうへんたんていしょうせつぜんしゅう)

1955年(昭30)から翌年まで、講談社から刊行。全11巻。
1.十字路(江戸川乱歩)2.見たのは誰だ(大下宇陀児)3.魔婦の足跡(香山滋)4.光とその影(木々高太郎)5.上を見るな(島田一男)6.金紅樹の秘密(城昌幸)7.人形はなぜ殺される(高木彬光)9.夜獣(水谷準)10.十三角関係(山田風太郎)12.鮮血洋燈(渡辺啓助)13.黒いトランク(鮎川哲也)。
予定された8.五匹の盲猫(角田喜久雄)。11.仮面舞踏会(横溝正史)は未完。13巻は「一三番目の椅子」として、新人の応募入選作であり、中川透はこのとき鮎川哲也と改名した。このとき、藤雪夫鷺尾三郎西村京太郎宮野村子梶龍雄が候補になった。


影の会(かげのかい)

幻影城」新人賞受賞者によって結成された研究会・親睦会。有馬頼義松本清張などが結成していた文壇作家の探偵小説勉強会にも同名の会がある。

幻影城掲載誌:31/33/34/35/36/37/38/40/41/42/44/45/46/50/52/


梶龍雄(かじ・たつお)

本名可児秀夫。1928年(昭3)、岐阜県生まれ。慶応大学卒。
1952年(昭27)、「別冊宝石」に「白い路」発表。
1956年(昭31)、講談社の書下し長編探偵小説全集募集に「白い顔の男」を梶龍男名義で応募し、最終候補作となるが、鮎川哲也に敗れる。
1977年(昭52)、「透明な季節」で、第23回江戸川乱歩賞受賞。また、この作品は「週刊文春」の77年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1978年(昭53)に「小説現代」に発表した「おふくろは霊媒」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1980年(昭55)、「遠い季節」が第33回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
1980年(昭55)に「別冊小説宝石」に発表した「好色の背景」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1981年(昭56)に「問題小説」に発表した「色慾の迷彩」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1981年(昭56)に「別冊小説宝石」に発表した「ピンクの好きな女」が1982年(昭57)に第35回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
1982年(昭57)に刊行した「リア王密室に死す」が1983年(昭58)、第36回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。
1982年(昭57)に「小説CLUB」に発表した「アパッシュの女」が1983年(昭58)に第36回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1983年(昭58)に「別冊小説宝石」に発表した「毛皮コートの死体」が1984年(昭59)に第37回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
児童文学や翻訳も手がける。
1990年(平2)、食道癌のため死去。

幻影城掲載誌:23/38/39/日本長編推理小説ベスト99/幻影城ノベルス/


梶山季之(かじやま・としゆき)

1930年(昭5)、朝鮮京城生まれ。広島大学教育学部卒。他殺クラブ会員。別名梶謙介、梶李彦。「新幹線作家」と称された流行作家。
1950年(昭25)、“売れる同人誌”を目指し「天邪鬼」を刊行。
1952年(昭27)、「買っちくんねぇ」を自費出版。
1955年(昭30)、第15次「新思潮」に参加し、1956年(昭31)には「合わぬ貝」が全国同人雑誌推薦小説特集として「新潮」に掲載。
1957年(昭32)、大宅壮一主宰のノンフィクションクラブに入り、「週刊明星」「週刊文春」を担当しトップ屋として活動。
1960年(昭35)、「週刊文春」に「朝は死んでいた」を発表。
1961年(昭36)、ラジオドラマ「愛のうず潮」を執筆。
1962年(昭37)に刊行した「黒の試走車」は産業スパイ小説の先駆。
1963年(昭38)に「別冊文藝春秋」に発表した「李朝残影」 が、1963年(昭38)に第49回直木賞候補となる。
1964年(昭39)に「小説現代」に発表した「四本目の鍵」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「オール読物」に発表した「黒の燃焼室」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1966年(昭41)に「小説新潮」に発表した「レスビアン殺人事件」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「別冊小説現代」に発表した「甘美な誘拐」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1971年(昭46)、マスコミ界の内幕を暴いた月刊誌「噂」を創刊。
1974年(昭49)に「小説現代」に発表した「那覇心中」は日本文藝家協会の「現代の小説 1974年度後期代表作」に収録される。
1975年(昭50)に「小説新潮」に発表した「負け犬」は日本文藝家協会の「現代の小説 1975年度前期代表作」に収録される。
1975年(昭50)、取材先の香港で、食道静脈瘤破裂により死去。
1991年(平3)に発掘され、「小説NON」に発表した「命買います」は日本文藝家協会の「現代の小説 1992」に収録される。

日本長編推理小説ベスト99/


春日野緑(かすがの・みどり)

本名星野龍緒。一高時代には甲賀三郎と知り合い。大阪毎日新聞の社会部副部長。
1922年(大11)、「サンデー毎日」に「尚侯爵」を掲載。
1925年(大14)、大阪毎日新聞に勤務していた江戸川乱歩に相談して、「探偵趣味の会」を主宰する。機関誌は「探偵趣味」。
1926年(大15)、「新青年」に発表した「開いた口」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1928年(昭3)、「猟奇」の同人となる。
1972年(昭47)、死去。

幻影城掲載誌:7/23/36/


香住春吾(かずみ・しゅんご)

本名浦辻良三郎。1909年(明42)、京都市生まれ。
1937年(昭12)、香住春作名義で「白粉とポマード」を「週刊朝日」に掲載。
1948年(昭23)、香住春作名義で「「二十の扉」は何故悲しいか」が「新探偵小説」に掲載。
1947年(昭22)、島久平天城一らとともに関西探偵小説新人会を結成し、創作中心の活動を行う。
1948年(昭23)、「関西探偵小説新人会」を母胎として、神戸に関西探偵作家クラブを設立し、幹事・書記長を務める。
1949年(昭24)、香住春作名義で「カロリン海盆」を「宝石」第三回懸賞に応募し、佳作として「別冊宝石」に掲載される。
1949年(昭24)、香住春作名義の「片目珍作君」が「夕刊岡山」の第2回探偵小説懸賞に入選。
1950年(昭25)、筆名を香住春作から香住春吾へあらためる。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に触発され、香山滋山田風太郎島田一男高木彬光三橋一夫武田武彦、香住春作、島久平白石潔が、本格派擁護のために鬼クラブを結成。
1950年(昭25)に「鬼」に「推理小説廃止論」を掲載するなど、本格派の急先鋒として知られ、1952年(昭27)に関西探偵作家クラブ会報「KTSC」誌上で起こった、大坪砂男と覆面子“魔童子”との論争には、高木彬光と山田風太郎の書いた魔童子の文章を関西弁に翻訳するなど一役かった。
1950年(昭25)から放送業界にも進出し、「エンタツちょび髭漫遊記」「びっくり捕物帳」などの原作を執筆。
1953年(昭28)に発表した「古い手紙」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1954年(昭29)に「宝石」に発表した「蔵を開く」が1955年(昭30)、第8回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「宝石」に発表した「鯉幟」が1956年(昭31)、第9回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1993年(平5)、死去。

幻影城掲載誌:10/11/13/14/20/22/別冊幻影城掲載誌:5/作家が語る探偵小説観/幻影城ノベルス/


加太こうじ(かた・こうじ)

1918年(大7)生まれ。「黄金バット」の作者。評論家。思想の科学研究会、大衆芸術研究会会員。
紙芝居、落語、流行歌などの大衆芸能の評論が多い。

別冊幻影城掲載誌:10/


加藤公彦(かとう・きみひこ)

本名加藤一男。1929年(昭4)、東京生まれ。
1949年(昭24)、東映のシナリオライターとなる。その後、週刊誌のルポライターになる。
1971年(昭46)、「週刊話題」に「肉の宴」を連載。
1977年(昭52)、「幻影城」第二回新人賞小説部門に「殺人・弥三郎節」が佳作入選。
1987年(昭62)、死去。

幻影城掲載誌:27/


ガボリオ,エミイル(Emile_Gaboriau)

1832年(天保3)、フランスのソージョン生まれ。
医師を目指していたが、騎兵隊除隊後、運送会社の書記となり、暇な折、菓子屋の宣伝文や大道芸人のための歌をつくったりした。当時、人気があった新聞付録文芸誌の大衆小説作家ポール・フェヴァルにあてた歌が彼の目にとまり、フェヴァルの秘書となり、
1860年(万延1)の「名高きコティヨン」などの小説を書くきっかけとなる。
1863年(文久3)から発表された「ルルージュ事件」は世界最初の長編探偵小説である。最初に掲載された「ル・ペイ」紙はすぐに廃刊になってしまい、1865年(慶応1)に「ル・ソレイユ」紙に改めて掲載され、1866年(慶応2)に刊行。
家庭ドラマの複雑な構造を探偵小説として開花させ、ドイルのホームズものの先駆となった。
1867年(慶応3)、「書類百十三号」を「プチ・ジュールナル」紙に発表。
1868年(明1)、「オリシヴァルの犯罪」を「プチ・ジュールナル」紙に発表。
1869年(明2)、「ルコック探偵」を「プチ・ジュールナル」紙に発表。
現実的な探偵である警官ルコックを創造し、警察小説の元祖でもある。
1873年(明6)、肺充血で死去。
1887年(明20)、黒岩涙香が「ルルージュ事件」を「人耶鬼耶」として「今日新聞」に訳す。

幻影城掲載誌:20/


仮面(かめん)

1948年(昭23)2月創刊。ぷろふいる社発行。九鬼澹が編集をおこなう。「ぷろふいる」を改題したもので、ヴァラエティに富んでいたが、問題作に乏しかった。同年8月廃刊。通計6冊刊行。


香山滋(かやま・しげる)

本名山田ナ治。1904年(明37)、東京新宿生まれ。法政大学経済学部中退。
1937年(昭12)、大蔵省の機関誌「財界」に掲載されている佐々木信綱選の和歌欄に投稿し、採用。また、「財界」には随筆の発表している。
1938年(昭13)、短歌同人「衛」に入会し、鈴木北渓に師事。
1939年(昭14)、短歌同人「立春」に入会。
1940年(昭15)、筏井嘉一の主宰する短歌同人「蒼生」に入会。
1945年(昭20)、筏井嘉一の主宰する短歌同人「定型律短歌会」に参加。
1947年(昭22)、「宝石」第一回懸賞に「オラン・ペンデクの復讐」が入選。同時に1948年(昭23)の第一回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。
1947年(昭22)、「宝石」に掲載された第二作「海鰻荘奇談」が、1948年(昭23)の第一回探偵作家クラブ賞新人賞を受賞。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1948年(昭23)、「緑色人間」が「旬刊ニュース」に掲載され、旬刊ニュース新人コンクール読者投票で第二位獲得。
1948年(昭23)に「宝石」に発表した「蜥蜴の島」が、1949年(昭24)、第2回探偵作家クラブ賞短編賞候補作となる。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1948年(昭23)、「探偵小説新人会」を高木彬光、香山滋、山田風太郎島田一男岩田賛楠田匡介らが結成。
1949年(昭24)に「別冊宝石」に発表した「月ぞ悪魔」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1950年(昭25)に「宝石」に発表した「心臓花」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に触発され、香山滋、山田風太郎、島田一男、高木彬光、三橋一夫武田武彦香住春作島久平白石潔が、本格派擁護のために鬼クラブを結成。
1951年(昭26)に「小説公園」に発表した「誤算」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1952年(昭27)に「宝石」に発表した「キキモラ」と「蝋燭売り」が1953年(昭28)に第6回探偵作家クラブ賞候補作となる。また、「蝋燭売り」は探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1953年版」に収録される。
1953年(昭28)、「宝石」に発表した「ハゲタカ」「ネンゴ・ネンゴ」は1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞候補作となる。同時に「ネンゴ・ネンゴ」は探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1954年(昭29)に「宝石」に発表した「狂った人々」が1955年(昭30)に第8回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「宝石」に発表された「風船売り」が、1956年(昭31)に第9回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「講談倶楽部」に発表した「夜明けまでの三時間」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)に「週刊サンデー毎日」に発表した「霧悪魔」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)に「宝石」に発表した「犬と剃刀」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1959年(昭34)に「宝石」に発表した「マンドラカーリカ」は日本探偵作家クラブの「推理小説ベスト15 1960年版」に収録される。
生物学的地理学的な題材を駆使し、怪奇・SF・秘境ものを多数執筆。東宝特撮映画「ゴジラ」(1954年(昭29))、「ゴジラの逆襲」(1955年(昭30))の原作も提供している。
江戸川乱歩は、香山滋、島田一男、山田風太郎、高木彬光、大坪砂男を戦後派五人男と呼んだ。江戸川乱歩、島田一男、渡辺剣次、楠田匡介、中島河太郎千代有三、荻原光雄、岡田鯱彦鷲尾三郎とともに「十人会」を結成していたこともある。
1975年(昭50)、心不全のため死去。

幻影城掲載誌:2/4/25/38/作家が語る探偵小説観/別冊幻影城未刊行リスト/


狩久(かり・きゅう)

本名市橋久智。1922年(大11)、東京生まれ。四季桂子は妻。慶応大学工学部電気科卒。別名貝弓子、N・J・コウ、ウイリアム・Q・ハント。
1951年(昭26)、「落石」と「氷山」を「別冊宝石」に発表し、「落石」が優秀作に選ばれる。
1952年(昭27)に「別冊宝石」に掲載した「すとりっぷと・まい・しん」は新鋭コンクールの三席に入選した。
1954年(昭29)から翌年にかけて、関西鬼クラブ(のちのSRの会)東京支部を主宰し、同人雑誌「密室」の東京代表編集者を勤めた。
1954年(昭29)に「探偵実話」に発表した「鉄の扉」で1955年(昭30)に第8回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1977年(昭52)、肺癌のため死去。
1979年(昭54)、「幻影城」休刊とともに、遺稿となった「裸舞&裸婦奇譚」の原稿は行方不明となる。

幻影城掲載誌:7/9/11/15/24/38/別冊幻影城掲載誌:9/作家が語る探偵小説観/幻影城ノベルス/


川田功(かわだ・いさお)

1882年(明15)生まれ。
海軍少佐退役後の1924年(大13)から、「新青年」に「砲弾をくぐりて」などの戦争物語を発表。
1926年(大15)、探偵小説「酩酊」を「新青年」に発表。
1926年(大15)に「新青年」に発表した「偽刑事」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1926年(大15)、「新青年」に発表した「偶然の一致」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1931年(昭6)、死去。

幻影城書庫:「偽刑事

幻影城掲載誌:25/


川辺豊三(かわべ・とよぞう)

本名浅沼辰雄。1913年(大2)、神奈川県小田原市生まれ。宝石賞受賞作家の親睦団体GEMの会会員。別名足柄伝次。
1936年(昭11)頃から「話」「週刊朝日」「モダン日本」に短編を発表。
1952年(昭27)、足柄左右太名義の「私は誰でしょう」が「別冊宝石」の新人二十五人集に採用され、1953年(昭28)に一席入選。
1958年(昭33)、菱形伝次名義の「五人のマリア」を「別冊宝石」に発表し、二席入選。
1961年(昭36)、「蟻塚」を「宝石」に掲載し、第二回宝石で一席入選する。
1997年(平9)、死去。

幻影城掲載誌:21/


関西探偵作家クラブ(かんさいたんていさっかくらぶ)

1947年(昭22)、山本禾太郎酒井嘉七西田政治らは神戸探偵小説クラブを再興、一方、同年、香住春吾島久平天城一らは関西探偵小説新人会を結成し、創作中心の活動を行う。ふたつが合併して、1948年(昭23)に結成。会員には本格マニアが多く、文学派の作家たちとたびたび摩擦を起こす。会長西田政治、副会長山本禾太郎。
1954年(昭29)、日本探偵作家クラブ関西支部となる。会報として「KTSC」を発行し、1952年(昭27)に大坪砂男と覆面子“魔童子”のあいだで論争が起こした。魔童子の正体は、高木彬光山田風太郎だった。

幻影城掲載誌:13/


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