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探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-な-


内藤陳(ないとう・ちん)

本名内藤陳(のぼる)。1940年(昭15)、東京生まれ。
1964年(昭39)、「トリオ・ザ・パンチ」を結成し、「ハードボイルドだど」というギャグを編み出す。
小泉喜美子との同棲がきっかけで、ハードボイルドや冒険小説ファンの注目を集め、1981年(昭56)に日本冒険小説協会を設立し、日本冒険小説協会賞などを運営している。また、新宿ゴールデン街にて日本冒険小説協会公認酒場「深夜+1」を経営する。
1983年(昭58)から「月刊PLAY_BOY日本語版」で「読まずに死ねるか!」を発表。


直木賞(なおきしょう)

1935年(昭10)7月から開始された日本文学振興会主催の文学賞。
一年を上半期、下半期の二回にわけて、授与される。文藝春秋社社長であった菊池寛が設立した。正賞は時計。第一回直木賞は、川口松太郎の「鶴八鶴次郎」その他の作品。第12回から太平洋戦争となり、しばらくは続いていたが、1944年(昭19)、上半期の第19回、岡田誠三の「ニューギニヤ山岳戦」で中断。戦後は、1949年(昭24)上半期第21回から再開された(第20回は欠番)。受賞者は、富田恒雄の「面」「刺青」。

幻影城掲載誌:46/


中井英夫(なかい・ひでお)

1922年(大11)、東京生まれ。祖父はW・S・クラークの弟子、父は植物学者。東京大学言語学科中退。別名流薔園園丁、月蝕領主、碧川潭。
在学中、第14次「新思潮」に習作を発表。
「短歌研究」「日本短歌」「短歌」の編集に従事。
1955年(昭30)、「アドニス」21号より、四回にわたって塔亜蘭名義で、「虚無への供物」の原型を連載。
1957年(昭32)、有馬頼義松本清張ら文壇作家が結成していた「影の会」の世話人を務める。
1962年(昭37)、「虚無への供物」前半二章までを、塔晶夫名義で第8回江戸川乱歩賞に応募したが、規定枚数を越していたこともあり、次席に留まり、後半を完成させて、1964年(昭39)に刊行。中井英夫の名で刊行したのは、1969年(昭44)。熱狂的なファンを持つ戦後屈指の名作であり、1975年(昭50)には、「週刊読売」推理小説特集のベスト20アンケートで第二位に選出される。。ほかには耽美な幻想小説が多い。
1969年(昭44)、「久生十蘭全集」を編集。
1973年(昭48)に「太陽」に掲載した「悪夢の骨牌」で、1974年(昭49)に第二回泉鏡花賞受賞。
1979年(昭54)、泡坂妻夫日影丈吉とともに全編暗号で書かれた短編集「秘文字」を刊行し、「薔薇への遺言」を発表。
1980年(昭55)に「オール読物」に発表した「一粒の葡萄もし…」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
また、竹本健治を見出した。
1993年(平5)、肝不全により死去。

幻影城掲載誌:4/5/6/11/15/26/27/38/44/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/別冊幻影城未刊行リスト/幻影城ノベルス/


中上正文(なかがみ・まさふみ)

1932年(昭7)、鹿児島生まれ。慶応大学文学部卒。
1978年(昭53)、「幻影城」第四回新人賞小説部門に「贋作たけくらべ」が佳作入選。

幻影城掲載誌:49/52/


中島河太郎(なかじま・かわたろう)

本名中島馨。1917年(大6)、鹿児島市生まれ。東京大学国文科卒。別名小城魚太郎、石羽文彦、玉井一二三。
1945年(昭20)、「柳田国男研究文献目録」を作成。
1947年(昭22)、「日本探偵小説略史」を「探偵新聞」に発表。
1949年(昭24)からガリ判刷り30頁の個人雑誌「黄色の部屋」(60部限定非売品)を自費刊行。全13冊。その創刊号に掲載した「探偵小説辞典」が、「宝石」に転載され、1955年(昭30)に第1回江戸川乱歩賞を受賞。
1958年(昭33)、角田喜久雄を中心に、大河内常平楠田匡介千代有三日影丈吉山田風太郎山村正夫らで親睦会「例の会」を結成。
1960年(昭35)、日本探偵作家クラブ副会長に就任。
1964年(昭39)に刊行した「日本推理小説史」第一巻で、1965年(昭40)、第18回日本推理作家協会賞の候補となる。
1965年(昭40)に発表した「推理小説展望」にて、1966年(昭41)、第19回日本推理作家協会賞を受賞。
1967年(昭42)、「推理界」編集長に就任。
1985年(昭60)、「日本推理小説辞典」を刊行。
1985年(昭60)、日本推理作家協会理事長就任。
1996年(平8)、「日本推理小説史」を完成。
1997年(平9)、日本ミステリー文学資料館初代就任。
1998年(平10)、第2回日本ミステリー文学大賞を受賞。
日本を代表する探偵小説の評論家。阿部主計渡辺剣次、楠田匡介らとともに、批評グループ「青酸カリグループ」を結成していた。江戸川乱歩島田一男香山滋、渡辺剣次、楠田匡介、千代有三、荻原光雄、岡田鯱彦鷲尾三郎とともに「十人会」を結成していたこともある。
1999年(平11)、腎不全のため死去。生前贈与された日本有数の探偵小説に関する蔵書の一部によって、ミステリー文学資料館が開設される。

幻影城掲載誌:1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/23/24/25/
26/27/29/31/33/38/40/41/42/44/45/48/49/50/52/53/54/別冊幻影城掲載誌:5/15/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/幻影城ノベルス/


中島親(なかじま・したし)

生年不詳。別名中風老人。
1935年(昭10)、「ぷろふいる」の寄稿家である鮫島竜介(野島淳介)、荻一之介とともにつくった探偵作家新人倶楽部の機関誌「新探偵」が本格探偵小説に偏っていたため、蘭郁二郎平塚白銀とともに「探偵文学」を創刊。
1935年(昭10)、「探偵文学」に「江戸川乱歩論」を発表。
1946年(昭19)、ロックの編集顧問となる。
1946年(昭19)、小説「金色の悪魔」を発表。

幻影城掲載誌:5/7/


永瀬三吾(ながせ・さんご)

1902年(明35)、東京生まれ。仏語専修学校卒。詩の同人誌で木々高太郎と一緒だった。中国で京津新聞社長を務めており、終戦後は収容所生活を送り、文学によるレジスタンス活動をおこなった。
1947年(昭22)、「宝石」に「軍鶏」を発表。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に参加するなど、文学派として活躍した。
1950年(昭25)に「探偵倶楽部」に発表した「告白を笑う仮面」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。
1951年(昭26)に「宝石」に発表された「良心の断層」で1952年(昭27)、第5回探偵作家クラブ賞候補となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1952年(昭27)、「宝石」の編集長に就任し、1957年(昭32)に江戸川乱歩に後任を譲る。
1952年(昭27)に「探偵倶楽部」に発表した「轢死経験者」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1953年版」に収録される。
1953年(昭28)に発表した「虫篭」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1954年(昭29)、「売国奴」を「宝石」に発表し、1955年(昭30)の第8回日本探偵作家クラブ賞受賞。同時に「別冊宝石」に発表した「妻の見た殺人」が候補作となる。また、「売国奴」は1954年(昭29)に第32回直木賞候補作となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)に「宝石」に発表した「発狂者」が1956年(昭31)、第9回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「読切特選集」に発表した「阿呆な殺人」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1990年(平2)、呼吸不全のため死去。

幻影城掲載誌:27/


中薗英助(なかぞの・えいすけ)

本名中園英樹。1920年(大9)、福岡県生まれ。中学時代には渡辺啓助に西洋史を教わる。
1941年(昭16)、引田春海主宰の同人誌「燕京文学」に参加し、1942年(昭17)、「北支那」に掲載した「第一回公演」が北支邦文化賞を受賞。
1950年(昭25)、「烙印」を「近代文学」に掲載し、三島由紀夫に認められる。
1957年(昭32)、「彷徨のとき」を出版。
1959年(昭34)、初の探偵小説「死電区間」を「中央公論文芸特集」に発表。
1963年(昭38)に刊行した「密航定期便」が、1964年(昭39)に第17回日本推理作家協会賞の候補となる。
1963年(昭38)、AA(アジア・アフリカ)作家会議に参加し、1965年(昭40)にモスクワにて日ソ文学シンポジウムに出席し、1974年(昭49)にAA作家会議を離脱するまで、世界中を駆け巡る。さらに「記録芸術の会」にも参加。
1980年(昭55)に刊行した「闇のカーニバル」で、1981年(昭56)の第34回日本推理作家協会賞評論部門その他を受賞。
1989年(平1)に「中央公論文芸特集」に発表した「彷徨湖」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1992年(平4)、「北京飯店旧館にて」で第44回読売文学賞受賞。
1992年(平4)に「文学界」に発表した「北京の貝殻」は日本文藝家協会の「文学 1993」に収録される。
1992年(平4)に「問題小説」に発表した「上海のローレンス」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
1995年(平7)、「鳥居龍蔵伝」で第22回大佛次郎賞受賞。
2002年(平14)、肺炎により死去。
日本のスパイ小説の開拓者である。

日本長編推理小説ベスト99/


中田耕治(なかた・こうじ)

1927年(昭2)、東京生まれ。明治大学英文科。青年座の演出をつとめる。「近代文学」「制作」同人。
1961年(昭36)、「危険な女」を刊行。
1964年(昭39)、「近代文学」に掲載した「ボルジア家の人々」で第5回近代文学賞を受賞。
スピレイン「裁くのは俺だ」、レヴィン「死の接吻」などの翻訳がある。

日本長編推理小説ベスト99/


中町信(なかまち・しん)

本名中町信(あきら)。1935年(昭10)、群馬県沼田市生まれ。早稲田大学文学部卒。医学関係の出版社で津村秀介と同僚だった。
1967年(昭42)、「偽りの群像」を「推理ストーリー」に掲載。
1969年(昭44)、「急行しろやま」を「推理ストーリー」に掲載し、第4回双葉推理賞を受賞。
1971年(昭46)、「そして死が訪れる」が第17回江戸川乱歩賞最終候補作となり、1972年(昭47)に「模倣の殺意」として「推理」に発表。
1972年(昭47)、「空白の近景」が第18回江戸川乱歩賞最終候補作となる。
1979年(昭54)、「教習所殺人事件」が第25回江戸川乱歩賞最終候補作となり、1980年(昭55)、「自動車教習所殺人事件」として刊行。
1987年(昭62)、「十和田胡殺人事件」が第40回日本推理作家協会賞長編部門の候補となる。

幻影城掲載誌:22/


中村美与子(なかむら・みよこ)

本名経歴不明。1935年(昭10)、「ぷろふいる」に「火祭」を掲載した中村美与と同一人物かは不明。
1939年(昭14)、「新青年」に「火の女神」が懸賞入選。
1956年(昭31)、死去?

幻影城掲載誌:2/


中村良樹(なかむら・よしき)

1948年(昭23)、大阪府生まれ。
1978年(昭53)、「幻影城」第三回新人賞評論部門に「三好徹と風の世界」が佳作入選。

幻影城掲載誌:38/41/43/


夏樹静子(なつき・しずこ)

本名出光静子。旧姓五十嵐。1938年(昭13)、東京生まれ。五十嵐均は実兄。霧の会会員であり、命名者。
慶応大学英文学科在学中の1960年(昭35)、兄の鋼三の勧めにより執筆した五十嵐静子名義で「すれ違った死」が江戸川乱歩賞の最終候補となった。
1957年(昭32)、NHKのテレビ番組「私だけが知っている」の脚本を山村正夫鮎川哲也笹沢左保土屋隆夫藤村正太とともに執筆。
1962年(昭37)、夏樹しのぶ名義で「ガラスの鎖」を「宝石」に掲載。
1970年(昭45)、専業主婦に徹しきれずに書いた「天使が消えていく」が第15回江戸川乱歩賞次席となり、刊行。この作品は1971年(昭46)に第24回日本推理作家協会賞の候補となる。
1972年(昭47)に刊行した「蒸発」が、1973年(昭48)、第26回日本推理作家協会賞受賞。
1972年(昭47)に「小説現代」に発表した「暗い玄海灘に」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「小説宝石」に発表した「あちら側の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1974年(昭49)に「小説新潮」に発表した「誰知らぬ殺意」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1975年(昭50)に「別冊小説宝石」に発表した「特急夕月」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1976年(昭51)に「小説現代」に発表した「水子地蔵の樹影」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1978年(昭53)に刊行した「第三の女」はフランスで「La promesse de I'omdre」として訳され、1989年(平1)に冒険小説大賞を受賞。
1979年(昭54)に「週刊小説」に発表した「陰膳」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)に「小説新潮」に発表した「懸賞」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。同時に日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
1981年(昭56)に「小説新潮」に発表した「死者の嘘」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1981年(昭56)に「別冊中央公論」に発表した「鼓笛隊」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1982」に収録される。
1982年(昭57)に「オール読物」に発表した「濁流の魚」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1982年(昭57)に刊行した「Wの悲劇」が「週刊文春」の82年「傑作ミステリーベスト10」の4位に選ばれる。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「年一回の訪問者」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1983年(昭58)、「訃報は午後二時に届く」を「北海道新聞」に掲載。この作品は「週刊文春」の83年「傑作ミステリーベスト10」の8位に選ばれる。
1983年(昭58)に「小説宝石」に発表した「パスポートの秘密」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)、「最後に愛を見たのは」が「週刊文春」の84年「傑作ミステリーベスト10」の8位に選ばれる。
1984年(昭59)に「オール讀物」に発表した「秘められた心中」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1985年版」に収録される。
1985年(昭60)に「オール讀物」に発表した「宅配便の女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1986年(昭61)に「小説宝石」に発表した「稚い証人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1986年(昭61)、「わが郷愁のマリアンヌ」が「週刊文春」の86年「傑作ミステリーベスト10」の9位に選ばれる。
1987年(昭62)に「小説現代」に発表した「雨に佇つ人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
1988年(昭63)に「小説推理」に発表した「三分のドラマ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1989年版」に収録される。
1990年(平2)に「小説新潮」に発表した「酷い天罰」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1991年版」に収録される。
1991年(平3)に「小説宝石」に発表した「ひと言の罰」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1992年版」に収録される。
1992年(平4)に「オール讀物」に発表した「黒髪の焦点」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1993年版」に収録される。
1993年(平5)に「小説新潮」に発表した「尽くす女」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1994年版」に収録される。
1997年(平9)に「オール讀物」に発表した「仮説の行方」は日本推理作家協会の「推理小説年鑑 ザ・ベストミステリーズ1998」に収録される。

別冊幻影城掲載誌:7/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


南條範夫(なんじょう・のりお)

本名古賀英正。1908年(明41)、東京銀座生まれ。東京帝大法学部卒。國學院大学教授。
1950年(昭25)、「週刊朝日」の第一回朝日文芸賞に南條道之介名義の「出べそ物語」が入選。
1952年(昭27)、有馬範夫名義の「マルフーシャ」がサンデー毎日大衆文芸に入選。
1953年(昭28)、第一回オール読物新人杯に「子守の殿」が入選し、「オール讀物」に掲載される。同時に「不運功名譚」とともに第29回直木賞候補となる。
1953年(昭28)に「オール讀物」に掲載された「水妖記」が、1953年(昭28)に第31回直木賞候補作となる。
1954年(昭29)に「オール讀物」に掲載された「畏れ多くも将軍」が、1954年(昭29)に第32回直木賞候補作となる。
1955年(昭30)、町田波津夫名義の「あやつり組由来記」により、サンデー毎日大衆文芸30周年記念百万円懸賞を受賞。
1956年(昭31)、「オール讀物」に掲載された「燈台鬼」が1956年(昭31)に第35回直木賞受賞。同時に日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和31年度」に収録される。
1957年(昭32)に「小説新潮」に発表した「鉄砲商人」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
「別冊小説新潮」に発表した「材木商人」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和33年度」に収録される。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した「復讐鬼」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和34年度」に収録される。
1959年(昭34)に「別冊文藝春秋」に発表した「御用商人」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和35年度」に収録される。
1959年(昭34)、最初の探偵小説「からみ合い」を「宝石」に発表。
1960年(昭35)に「小説新潮」に発表した「六弥太の報酬」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和36年度」に収録される。
1962年(昭37)に「講談倶楽部」に発表した「傷痕」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和37年度」に収録される。
1962年(昭37)、「三百年のベール」を刊行。この作品は「ヒッチコック・マガジン」の1962年ベストで2位に選ばれている。
1963年(昭38)に「文芸朝日」に発表した「女人と人形」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和38年度」に収録される。
1964年(昭39)に「小説新潮」に発表した「石垣の中の二人」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和39年度」に収録される。
1963年(昭38)に「オール読物」に発表した「多過ぎる犯人」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「小説現代」に発表した「黒い真珠」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
「別冊文藝春秋」に発表した「発端」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和40年度」に収録される。
「別冊文藝春秋」に発表した「陰謀の人」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和41年度」に収録される。
1965年(昭40)に「小説現代」に発表した「十五年後の或る日に」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1966年(昭41)、「参謀本部の密使」を刊行。
1966年(昭41)に「小説新潮」に発表した「衆道伝来記」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和42年度」に収録される。
1967年(昭42)に「小説現代」に発表した「梟し首と髯」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和43年度」に収録される。
1968年(昭43)に「小説現代」に発表した「剣獣」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和44年度」に収録される。
1970年(昭45)に「オール読物」に発表した「桁打武左衛門」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和45年度」に収録される。
1970年(昭45)に「小説現代」に発表した「奇人・伊藤晴雨」は日本文藝家協会の「現代の小説 1971年度前期代表作」に収録される。
1971年(昭46)に「小説現代」に発表した「河内介の切腹」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和46年度」に収録される。
1971年(昭46)に「オール読物」に発表した「負け犬二匹」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和47年度」に収録される。
1972年(昭47)に「別冊小説宝石」に発表した「孫太郎漂流記−南海紀聞−」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和48年度」に収録される。
1973年(昭48)に「別冊小説新潮」に発表した「戦国とりかえばや物語」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和49年度」に収録される。
1974年(昭49)に「オール読物」に発表した「不肖の弟子」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和50年度」に収録される。
1975年(昭50)、紫綬褒章。
1975年(昭50)に「小説現代」に発表した「葉桜の蔭に」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和51年度」に収録される。
1976年(昭51)に「別冊小説新潮」に発表した「くも姫伝説」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和52年度」に収録される。
1977年(昭52)に「小説現代」に発表した「広重描く「赤坂」」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和53年度」に収録される。
1978年(昭53)に「オール読物」に発表した「この人とあの方」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和54年度」に収録される。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した「脱走」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和55年度」に収録される。
1980年(昭55)に「小説新潮」に発表した「消えた時間から来た手紙」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和56年度」に収録される。
1981年(昭56)に刊行した「細香日記」で1982年(昭57)、第16回吉川英治文学賞を受賞。
1981年(昭56)に「小説宝石」に発表した「汚れた仇討」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和57年度」に収録される。
1982年(昭57)、勲三等瑞宝章。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「双生児の夢入り」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和58年度」に収録される。
1983年(昭58)に「小説新潮」に発表した「江戸のゴリヤードキン氏」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和59年度」に収録される。
1984年(昭59)に「小説現代」に発表した「疑惑の眼」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和60年度」に収録される。
1985年(昭60)に「小説現代」に発表した「兄の蔭」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和61年度」に収録される。
1986年(昭61)に「小説新潮」に発表した「行かないで!」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和62年度」に収録される。
1987年(昭62)に「オール読物」に発表した「ただ一度、一度だけ」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和63年度」に収録される。
1988年(昭63)に「オール読物」に発表した「ただ一つの真実」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成元年度」に収録される。
1989年(平1)に「別冊小説宝石」に発表した「再び消えた一刀斎」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成2年度」に収録される。
1990年(平2)に「オール讀物」に発表した「公方さまの嫉妬」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成3年度」に収録される。
1991年(平3)に「小説新潮」に発表した「束の間の恋ごころ」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成4年度」に収録される。
1992年(平4)に「オール讀物」に発表した「笠原騒動」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成5年度」に収録される。
1992年(平4)に「小説新潮」に発表した「妻の変貌」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
1993年(平5)に「オール讀物」に発表した「女傑への出発」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成6年度」に収録される。
1994年(平6)に「小説歴史街道」に発表した「元亀元年の信長」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成7年度」に収録される。
1995年(平7)に「オール讀物」に発表した「吉川冶部少輔元春」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成8年度」に収録される。
1996年(平8)に「小説新潮」に発表した「ねじれ弾正、鬼弾正!」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成9年度」に収録される。
1997年(平9)に「小説新潮」に発表した「密林の中のハンギ」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成10年度」に収録される。
1998年(平10)に「別冊文藝春秋」に発表した「蝮の道三」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成11年度」に収録される。
1999年(平11)に「オール讀物」に発表した「お蘭さまと一十郎」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成12年度」に収録される。
2000年(平12)に「小説新潮」に発表した「義仲の最後」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成13年度」に収録される。
2001年(平13)に「小説新潮」に発表した「備後の畳」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成14年度」に収録される。
2004年(平16)に「オール読物」に発表した「乱世」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成17年度」に収録される。
2004年(平16)、肺炎により死去。

幻影城掲載誌:35/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


南部樹未子(なんぶ・きみこ)

本名南部キミ子。1930年(昭5)、樺太生まれ。「不在クラブ」会員。「霧の会」会員。
1958年(昭33)、「ある自殺」で「婦人公論」の第一回女流新人賞佳作を受賞。
1959年(昭34)、「流氷の街」で「婦人公論」の第二回女流新人賞を受賞。
1961年(昭36)、南部きみ子名義で探偵小説「乳色の墓標」を刊行。
1976年(昭51)に鮎川哲也編のアンソロジー「見えない機関車」に南部樹未子名義で「汽笛が響く」を発表し、第30回日本推理作家協会賞短編部門の候補作となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。


南陽外史(なんよう・がいし)

本名水田栄雄。1869年(明2)、兵庫県淡路生まれ。立教大学卒。
1889年(明22)、東京能弁学会に加盟し、機関誌「能弁」にシェークスピアを翻訳。東京能弁学会の幹事である大岡育造に認められ、「能弁」の編集参加した。
1890年(明23)頃、大岡育造が経営していた東京中新聞(中央新聞)に入社し、編集総長まで勤める。黒岩涙香とは友人同士であり、その影響で探偵小説を掲載。ボアゴベの訳が多い。
1891年(明24)、ガボリオの「オルシヴァルの犯罪」を「大探偵」の題で訳す。
1896年(明29)からイギリスに渡り、ドイルを発見。
1899年(明32)、「不思議の探偵」の名で「シャーロック・ホームズの冒険」を「中央新聞」に訳す。それまでの翻訳はフランスのものが主流だったが、イギリスの作品に移行する転機となった。
1900年(明33)、アーサー・モリスンの「探偵マーチン・ヒューイット」から八編を「英国探偵実際談 稀代の探偵」として初めて邦訳した。
1910年(明43)頃、大岡育造が中央新聞を手放すとともに、中央新聞を辞め、のち糖業連合会の主事を勤めた。
1958年(昭33)、死去。


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