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探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-や-


八重座螢四(やえざ・けいし)

生年経歴一切不明。
1934年(昭9)、第15回サンデー毎日大衆文芸募集に「鴉殺人事件の真相」が佳作入選。
1935年(昭10)、第17回サンデー毎日大衆文芸募集に「螽蜥殺人事件」が佳作入選。

幻影城掲載誌:37/


安永一郎(やすなが・いちろう)

1958年(昭33)、「宝石」新人25人集に「復讐墓参」が入選。

幻影城掲載誌:47/


矢野徹(やの・てつ)

1923年(大12)、松山市生まれ。中央大学法学部卒。
1953年(昭28)、世界SF大会主席のため、渡米し、江戸川乱歩に「科学小説の鬼」と称される。
1954年(昭29)、「星雲」を創刊。
1957年(昭32)、渡辺啓助都筑道夫とともにSF同人誌「科学雑誌」を発行。発行団体は「おめがクラブ」。
1958年(昭33)、SF創作「甘美な謎」を発表。
1963年(昭38)、日本SF作家クラブの発足に参加する。
1978年(昭53)、日本SF作家クラブ二代目会長に就任。
1985年(昭60)、チャペック賞を受賞。
2004年(平16)、大腸癌により死去。
2004年(平16)、第25回日本SF大賞特別賞を受賞。
SFの翻訳多数。


矢野龍渓(やの・りゅうけい)

本名矢野文雄。1851年(嘉永3)、大分県生まれ。慶応義塾卒。弟子は森田思軒
1881年(明14)、「郵便報知新聞」を主宰し、1886年(明19)からは大新聞の大衆化を進める。
1882年(明15)、大隈重信を党首とした立憲改進党結成に尽力。
1883年(明16)、政治小説「経国美談」を刊行。
1890年(明23)、冒険小説「浮城物語」を「郵便報知新聞」に掲載。はじめは「報知異聞」という題名だった。
1931年(昭6)、死去。


山口海旋風(やまぐち・かいせんぷう)

本名山口源二。満州日報社の社会部長時代、部下に島田一夫がいた。
1927年(昭2)、「レジデントの時計」が第二回サンデー毎日大衆文芸甲種に入選。

幻影城掲載誌:3/


山崎徹也(やまざき・てつや)

ロック」の創刊編集長。
その後、「マスコット」という翻訳中心の雑誌編集長も勤める。

幻影城掲載誌:12/


山沢晴雄(やまざわ・はるお)

本名山澤春雄。1924年(大13)、大阪市生まれ。
1951年(昭26)、「宝石」の短編懸賞に「砧最初の事件」「仮面」が候補となり、「仮面」が佳作入選。
1953年(昭28)、「宝石」の短編懸賞に「銀智慧の輪」が第一席入選。
1963年(昭38)、「離れた家」が第二回宝石中篇賞の候補となる。
関西探偵作家クラブ会報」「密室」にクイーンクロフツに関する評論を発表。

幻影城掲載誌:24/32/


山下利三郎(やました・りざぶろう)

1892年(明25)、京都生まれ。
1922年(大11)、「誘拐者」が「新趣味」の第三回懸賞に一等入選。
1923年(大12)、「詩人の愛」が「新趣味」の第五回懸賞にニ等入選。
1923年(大12)、「新青年」第二回特別募集に「頭の悪い男」が入選し、江戸川乱歩 の処女作と同時掲載。同時に探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1923年(大12)、「君子の目」が「新趣味」の第八回懸賞に一等入選。
1923年(大12)、「夜の呪い」が「新趣味」の第十回懸賞にニ等入選。
1925年(大14)、「探偵趣味の会」同人となる。
1926年(大15)、「新青年」に発表した「藻くづ」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1927年(昭2)、「新青年」に発表した「素晴しや亮吉」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1927年(昭2)、「探偵・映画」の創刊に関わる。
1928年(昭3)、「猟奇」の創刊に関わる。
1933年(昭8)の「ぷろふいる」創刊には山下平八郎の名で関わる。
探偵小説勃興期の作家のひとりだが、地味な作風のため、乱歩の名声に隠れてしまった。
1952年(昭27)、死去。

幻影城掲載誌:20/


山田風太郎(やまだ・ふうたろう)

本名山田誠也。1922年(大11)、兵庫県豊岡市生まれ。東京医科大学卒。
1940年(昭15)、「受験旬報」の学生小説募集に風太郎名義の「石の下」が入選。東京医大在学中も応募を繰り返し、賞金を医学書の購入に当てていた。あまりたびたび入選するので、筆名を春嶽久に改めることもあった。
1946年(昭21)に「達磨峠の事件」が「宝石」第一回新人募集に入選し、1947年(昭22)に掲載。このときも小遣い銭稼ぎだったという。
1947年(昭22)、「ロック」に発表した「みささぎ盗賊」が、1948年(昭23)に第1回探偵作家クラブ賞候補作となる。同時に探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1948年(昭23)、「探偵小説新人会」を高木彬光香山滋、山田風太郎、島田一男岩田賛楠田匡介らが結成。
1948年(昭23)、「虚像淫楽」が「旬刊ニュース別冊」に掲載され、旬刊ニュース新人コンクール読者投票で第一位獲得。1948年(昭23)に「別冊宝石」に発表した「眼中の悪魔」とともに、1949年(昭24)、第二回探偵作家クラブ賞を受賞。同時に「眼中の悪魔」は探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1949年(昭24)に「新青年」に発表した「旅の獅子舞」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1950年(昭25)に「宝石」に発表された「天国荘綺談」と、1950年(昭25)に「りべらる」に発表された「下山総裁」が1951年(昭26)、第4回探偵作家クラブ賞短編賞の候補となった。
1950年(昭25)に「オール読物」に発表した「蓮華盗賊」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に触発され、香山滋、山田風太郎、島田一男、高木彬光、三橋一夫武田武彦香住春作島久平白石潔が、本格派擁護のために鬼クラブを結成。
1951年(昭26)に「講談倶楽部」に発表した「黒衣の聖母」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1951年(昭26)、「週刊朝日」に発表した「帰去来殺人事件」が、1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補となる。
1952年(昭27)に関西探偵作家クラブ会報「KTSC」誌上で大坪砂男と覆面子“魔童子”のあいだで論争が起こったが、魔童子の正体は、高木彬光と山田風太郎だった。
1953年(昭28)に「面白倶楽部」に発表した「赤い靴」「墓掘人」が、1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞の候補となる。「赤い靴」は探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1954年(昭29)に「講談倶楽部」に発表した「二十世紀ノア」が1955年(昭30)、第8回日本探偵作家クラブ賞候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)、「文芸」に発表した「ノイローゼ」が 1956年(昭31)に第9回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1956年(昭31)に「小説春秋」に発表した「跫音」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)に「オール読物」に発表した「不死鳥」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、「講談倶楽部」に「誰にでも出来る殺人」を発表。
1958年(昭33)、角田喜久雄を中心に、大河内常平、楠田匡介、中島河太郎千代有三日影丈吉山村正夫らで親睦会「例の会」を結成。
1958年(昭33)に「宝石」に発表した「怪異投込寺」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1962年(昭37)に「推理ストーリー」に発表した「極悪人」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)、「山田風太郎忍法小説全集」15巻を刊行し、忍法帖ブームを巻き起こした。
1964年(昭39)に「オール読物」に発表した「甲子夜話の忍者」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和39年度」に収録される。
1964年(昭39)に「推理ストーリー」に発表した「環」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1967年(昭42)に「別冊小説新潮」に発表した「妖胎記」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和43年度」に収録される。
1971年(昭46)に「小説現代」に発表した「くの一地獄変」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和46年度」に収録される。
1971年(昭46)に「小説現代」に発表した「羅妖の秀康」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和47年度」に収録される。
1972年(昭47)に「問題小説」に発表した「笊ノ目万兵衛門外へ」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和48年度」に収録される。
1973年(昭48)に「オール読物」に発表した「ヤマトフの逃亡」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和49年度」に収録される。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した「いろは大王の火葬場」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和55年度」に収録される。
1981年(昭56)に「小説新潮」に発表した「明治バベルの塔」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和57年度」に収録される。
2000年(平12)、第4回日本ミステリー文学大賞受賞。
2001年(平13)、「天狗岬殺人事件」が宝島社の「このミステリーがすごい!」7位に選ばれる。
本格物、忍法帖のみならず、怪奇、風刺、戦国、江戸、明治などの時代物など多彩。酒豪としても知られている。
江戸川乱歩は、香山滋、島田一男、山田風太郎、高木彬光、大坪砂男を戦後派五人男と呼んだ。
2001年(平13)、肺炎により死去。

幻影城掲載誌:12/日本長編推理小説ベスト99/


山野浩一(やまの・こういち)

1939年(昭14)生まれ。
内的世界の幻想性を追求しているSF作家。ニューウェーブ運動の提唱者でもある。

幻影城掲載誌:45/ブラックホール


山村正夫(やまむら・まさお)

1931年(昭6)、大阪生まれ。名古屋外語専門学校卒。旧制中学時代、「宝石」編集部でアルバイトをおこなう。卒業後は高木彬光の助手、文学座演出、鬼クラブの「鬼」の編集に携わる。
在学中の1949年(昭24)、「宝石」の第三回懸賞に応募した「二重密室の謎」を「宝石」別冊付録に発表。
1957年(昭32)、NHKのテレビ番組「私だけが知っている」の脚本を鮎川哲也笹沢左保土屋隆夫夏樹静子藤村正太とともに執筆。
1957年(昭32)、「宝石」に発表した「獅子」が、1958年(昭33)に第11回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)、角田喜久雄を中心に、大河内常平楠田匡介中島河太郎千代有三日影丈吉山田風太郎らで親睦会「例の会」を結成。
1960年(昭35)、日本探偵作家クラブの書記長に就任。
1960年(昭35)に「宝石」に発表した「暗い独房」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に「別冊週刊漫画」に発表した「空中観覧車」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)に「宝石」に発表した「天使」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1964年(昭39)に「宝石」に発表した「疫病」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1963年(昭38)に「宝石」に掲載された「女難」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1965年(昭40)に「推理ストーリー」に発表した「短剣」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1965年(昭40)、日本推理作家協会の業務担当理事に就任。
1965年(昭40)、TBS系アニメーション「スーパージェッター」の脚本を手がける。
1971年(昭46)に「推理」に発表した「厄介な荷物」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1972年(昭47)に刊行した「ボウリング殺人事件」が1973年(昭48)、第26回日本推理作家協会賞の候補となる。
1972年(昭47)に「推理」に発表した「気になる投書」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1974年(昭49)に「小説宝石」に発表した「憎い亡霊」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1976年(昭51)に「小説推理」に発表した「瀬戸の夕凪」が1977年(昭52)に第30回日本推理作家協会賞短編賞候補作となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1977年版」に収録される。
1976年(昭51)に刊行した「わが懐旧的探偵作家論」で、1977年(昭52)、第30回日本推理作家協会賞評論その他部門受賞。
1980年(昭55)に刊行した「湯殿山麓呪い村」が、1981年(昭56)、第7回角川小説賞受賞。また、この作品は「週刊文春」の80年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1981年(昭56)、日本推理作家協会理事長就任。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「武者人形」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1984年(昭59)に「小説推理」に発表した「海猫岬」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1985年版」に収録される。
一時、笹沢左保の家に居候をしていたことがある。推理文学会所属。青山学院大学推理小説研究会顧問。劇団「宝石座」主宰。また、カルチャーセンターの小説作法講座を開催し、宮部みゆきなどを育てる。
1999年(平11)、多臓器不全により死去。

幻影城掲載誌:1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/18/19/31/別冊幻影城掲載誌:5/7/12/幻影城評論研究叢書/


山村美紗(やまむら・みさ)

1931年(昭6)、京都生まれ。京都府立大学国文科卒。父は憲法学者の木村常信。日本舞踊の花柳流名取、華道の池坊準華監の資格を持つ。
1967年(昭42)、「推理界」に「目撃者御一報下さい」を発表。この頃、テレビドラマ「特別機動捜査隊」の脚本も手がけている。
1970年(昭45)、「京城の死」が第16回江戸川乱歩賞候補となり、のちに「愛の海峡殺人事件」として刊行。
1971年(昭46)、「死体はクーラーが好き」が小説サンデー毎日新人賞候補となった。
1972年(昭47)、「死の立体交差」が第18回江戸川乱歩賞候補となり、1976年(昭51)、「黒の環状線」として刊行。
1973年(昭48)、第19回江戸川乱歩賞候補となった「ゆらぐ海溝」を、1974年(昭49)、「マラッカの海に消えた」として刊行。
1975年(昭50)に刊行した「花の棺」が、1976年(昭51)に第29回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。
1975年(昭50)に「小説宝石」に発表した「恐怖の賀状」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1976年版」に収録される。
1982年(昭57)に刊行した「燃えた花嫁」が「週刊文春」の82年「傑作ミステリーベスト10」の8位に選ばれる。
1982年(昭58)に発表した「消えた相続人」で1983年(昭59)、第3回日本文芸大賞を受賞。
1992年(平4)、第10回京都府文化賞功労賞 京都府あけぼの賞を受賞。
1996年(平8)に「小説新潮」に発表した「高齢の使用人」は日本文藝家協会の「現代の小説 1997」に収録される。
トリックメーカーとして知られ、日本のクリスティともいわれている。西村京太郎と親しい関係にあった。
1996年(平8)、心不全のため死去。

別冊幻影城掲載誌:9/


山本周五郎(やまもと・しゅうごろう)

本名清水三十六。1903年(明36)、山梨県生まれ。
1926年(大15)、「文芸春秋」に「須磨寺付近」を掲載。
探偵小説的作品としては、1930年(昭5)、少年向けの「危し!潜水艦の秘密」を、「譚海」に「小法師の勝ちだ」を掲載。
1942年(昭17)、「日本婦道記」で、第17回直木賞に押されるが、辞退。
1946年(昭21)からは「新青年」に覆面作家として「寝ぼけ署長」シリーズを掲載。
1948年(昭23)、黒林騎士名義で「失恋第五番」を「新青年」に発表。
1954年(昭29)に「別冊週刊朝日」に発表した「夜の辛夷」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和30年度」に収録される。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「こんち午の日」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和31年度」に収録される。
1956年(昭31)に「オール読物」に発表した「並木河岸」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和32年度」に収録される。
1957年(昭32)に「オール読物」に発表した「牛」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和33年度」に収録される。
1959年(昭34)に「オール読物」に発表した「その木戸を通って」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和34年度」に収録される。
1959年(昭34)に「週刊朝日別冊」に発表した「やぶからし」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和35年度」に収録される。
1961年(昭36に「オール読物」に発表した「おさん」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和36年度」に収録される。
1962年(昭37)に「オール読物」に発表した「饒舌り過ぎる」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和37年度」に収録される。
1962年(昭37)に「オール読物」に発表した「十八条乙」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和38年度」に収録される。
1964年(昭39)に「小説新潮」に発表した「醜聞」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和39年度」に収録される。
「別冊文藝春秋」に発表した「「ひとごろし」」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和40年度」に収録される。
1966年(昭41)に「小説新潮」に発表した「へちまの木」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和41年度」に収録される。
1967年(昭42)、肝炎、心臓衰弱により死去。
1988年(昭63)に「小説新潮」に発掘された「生きている源八」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成元年度」に収録される。
1994年(平6)に「小説新潮」に発掘された「湖畔の人々」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成7年度」に収録される。
1928年(昭3)に「日本魂」に発表された「白魚橋の仇討」は、1995年(平7)に「小説新潮」にて発掘され、日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成8年度」に収録される。
1996年(平8)に「小説新潮」に再録された「鴉片のパイプ」は日本文藝家協会の「現代の小説 1997」に収録される。

幻影城掲載誌:9/


山本禾太郎(やまもと・のぎたろう)

本名山本種太郎。1889年(明22)、神戸市生まれ。
1926年(大15)、「新青年」の募集で「窓」が二等入選。同じ二等入選に夢野久作の「あやかしの鼓」がある。
1927年(昭2)に「新青年」に発表した大下宇陀児水谷準妹尾韻夫角田喜久雄延原謙とともに連作を行なった「楠田匡介の悪党振り」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1928年(昭3)、「新青年」に発表した「小坂町事件」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
谷崎潤一郎の強い影響下にある一方で、現実感のある作風。記録主義、ドキュメンタリズムを導入した犯罪小説で、調書形式で構成するのを好み、検察側の立場から書くのを得意とする。
その傾向は1932年(昭7)から「京都日々新聞」「神戸新聞」に発表され、1936年(昭11)に刊行された「小笛事件」(原題は「頸の索溝」)で頂点を極めたが、「新青年」がモダニズム路線へ転換するのを期に筆を折ってしまった。
探偵小説以外ではほかに「週刊朝日」の懸賞小説募集に「東太郎日記」で第一席となり、また、サンデー毎日大衆文芸に「あせびとバラ」が入選する。
1933年(昭8)の「ぷろふいる」創刊に関わり、再起を図る。1937年(昭12)に「ぷろふいる」に発表した「抱茗荷の説」など、幻想的なスリラー的な作品群が増えた。
1947年(昭22)、「神戸探偵小説クラブ」を西田政治、山本禾太郎、蒼井雄酒井嘉七らが再興。
1948年(昭23)、関西探偵作家クラブ副会長に就任。
1951年(昭26)、宿痾のために死去。

幻影城書庫:「幽霊写真

幻影城掲載誌:8/25/34/


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